芦刈勝治を小泉訪朝の随行員として送り込んだのは漆間巌である。彼は当時の警備局長であり、芦刈は警察庁長官官房の警備局担当審議官で、公安の実質的なナンバー2だった。

 

芦刈勝治の奈良県警本部長時代の仕事の1つが自分を落とすか、無害化することであったが、それを仕込んだのも漆間巌である。漆間も1989年から91年に掛けて奈良県警本部長であり、芦刈勝治が本部長だったのはその後の1995年から97年に掛けてである。

 

 漆間巌は自分に対する電波工作にかなり初期から関わっていた。正確に言うと、電波操作の対象は父親であり、彼が本部長として関わるもっと前から自分の家が電波操作の対象であった可能性も高いが、いずれにせよ、彼が当時の電波工作に関わっていたのはほぼ間違いない。

 

 電波工作によって他の誰にも聞こえない声を聞いた後輩を見たのは1993年であり、その時に、同時に鳥も電波操作されていた。怪しげな中核派の勧誘があったのは1992年であり、それ以降も過激派が自分の周りに隠れていた。

 

このような工作が行われたのはその前から自分が電波工作の対象者であったからで、それは漆間巌が本部長だった時期も含まれている。

 

 実際のところ、このような公安の工作は本質的には本部長マターではなく、公安の裏工作機関が取り仕切る内容であるが、彼のように深く公安畑にいる人間は十分に工作を行える。と言うよりも、実際に警察のいろんな部署を使うような工作を行う場合、公安畑の人間を本部長として送らなければ、他部署の協力が得られない。

 

 自分は常に彼の工作を受けており、例えば、2001年春から自分はアメリカに行く前に工作を受けるが、その時の警備局長が漆間巌である。彼がその工作に関わっていたのは別の角度から証明できており、彼は何度も自分を暗殺するような工作に関わっている。と言うよりも、かなりの部分に関して、彼が自分に対する工作の決裁に関わっていたはずである。

 

 自分はそこまでのハイプロファイルではなかったものの、それでも彼が執拗に狙ったのは自分が左翼過激派にならなかったからである。つまり、彼こそが左翼過激化した警察官僚の代表であり、左翼過激派の後継者を作るだけでなく、自らの理想を満たすための政治工作も行っていた。

 

 そして、自分の工作に関してはかなり有力な警察官僚まで投入しており、そこまでして自分を無害化したかった。もちろん、自分を殺し切らないとこのように全ての問題が表面化する可能性があったからでもあるが、それ以上に、彼は自分のことを殺したいくらいに個人的に憎んでいると思う。