自分をオウム関係者に見せるような工作には段階があり、平田信と一緒に働くのは1997年春以降だが、その前年の1996年春以降に段階的に自分をオウム関係者だと嵌める工作が続けられていた。

 

その点にもついても以前に触れているが、要するに、芦刈勝治は最終段階の責任を逃れられるタイミングでオウム逃亡犯を利用した工作が行われた。

 

 つまり、自分に対する無害化工作は芦刈勝治が奈良県警本部長だった頃から本格化している。自分を交通事故に嵌めるような工作も彼が県警本部長に就任してから行われており、その中には交通部を利用したセットアップもあり、それは公安だけの力ではできない。

 

そこまで公安が警官を動員して工作を行えたという事実は、県警本部長が工作指揮者だった事実を補強している。

 

 この無害化工作が行われるのは、自分が左翼過激派にならなかったからである。時期的に言うと、これらの工作は自分がよど号事件のハイジャッカーである柴田泰弘を見かけた後から始まった。

 

この話の詳細の詳細も以前に書いたが、自分が仕切る予定になっていた打ち上げ会場は貸し切りにしてあったが、そこに数人部外者がおり、その中にそのハイジャッカーがいた。

 

自分は担当だったため、彼らと喋る必要があり、そこに刑務所から出てきた左翼過激派テロリストがいることを知って、何とかタイミングを見計らって1分ほどでその場を離れた。

 

 そこには2通りの結果が本来的にあり、1つは自分がそれで左翼過激派に興味を持つことであるが、それは起こりえなかった。もう1つが、それでも自分は日本赤軍とコンタクトを取ったと事実をねつ造することができた。

 

 結局、彼は公安に囲われて暮していたため、そこに彼がいたのは偶然ではなく、公安がそこに連れてきたからであった。彼らが理解していなかったのは、自分が心の底から左翼過激派が嫌いで、よど号犯は単なる犯罪者としか認識できないという事実であった。

 

 自分だけがターゲットだったのかどうかは分からないが、本質的には公安が自分を左翼過激派に嵌めるための工作であった。ただし、彼らは完全に誤解しており、確かに、自分は共産党員の息子ではあったが、左翼でもなければ、共産主義自体は間違っていると思い続けている。