芦刈勝治は國松長官が撃たれた時、警察庁警備局公安二課長であった。このポストは必ずしも裏理事官の所属する警備企画課とは直結していないが、その後を考えると、彼はかなり早い段階から隠蔽工作に関わっていたはずである。

 

 特に、彼は同期の出世頭で、北海道裏金問題で落馬しなければ、もう一段上まで行けた可能性があった。それはもちろんこれらの隠蔽工作を行った後の話であるため、彼が工作におけるキーパーソンだった可能性がある。

 

 と言うのも、彼が平田信の逃亡工作のセットアップをしていた。平田信の消息が分からなくなると言われているのは1996年11月辺りからだが、そこから彼は関西に来ていた。自分の理解では彼は奈良にいたはずだが、その当時から大阪にいたのかも知れない。

 

 彼にどこに住んでいるか聞いたことはあるが、はぐらかされてどこに家があるのかは分からなかったため、どこが住居だったかは特定できない。いずれにせよ、その時の奈良県警本部長が芦刈勝治であり、彼がその逃亡先を安定させる工作の管理者だった。

 

 この工作が露見すると日本全体に警察不信を生み出す大きな問題になるため、間違いなく、警察庁警備局警備企画課の裏理事官が計画立案実行に関わっており、それは石川正一郎である。ちなみに、もう一つの逃亡先である神奈川県の1997年1月以降の本部長は裏理事官出身であった石川重明である。

 

 とは言え、自分が実際に平田信と働き出す時点では、芦刈勝治は次のポジションに移っており、既に県警本部長ではなかった。その意味では、彼は直接的に自分が平田信と一緒に働く工作に関わったのではない。あくまでも、平田信の逃亡先を安定させる工作を管理していただけである。

 

しかし、この点においても公安には抜かりがなく、彼の次の県警本部長は警察官僚外から来た人材であり、確実に公安の裏工作に関われる人間ではなかった。つまり、自分が彼と働くような電波工作このような形で、警察庁警備局からダイレクトでコントロールが効くような状態で行われた。