石川正一郎が自分に対する工作に関わりだしたのは、彼が裏理事官になった1995年以降のはずであり、かなりの長期に亘って自分は単なる公安の監視対象ではなく、犯罪行為を行っている裏工作ラインの直接的な工作対象であった。

 

 とは言え、彼のポジションも変遷していくので、彼自身がずっと自分の工作を指揮していない可能性が高い。公安の自分に対する工作は強くなったり弱くなったりするが、その最たる要因は、1995年から2015年の半分ほどの間、自分が海外に住んでいたからである。その期間も公安の監視対象になっているが、それでも、彼らが直接的に工作を行える範囲は限られていた。

 

 石川正一郎を中心に振り返えると、1995年から1998年までの工作には彼が関わっており、また、2005年から2007年までの東京にいた頃の工作にも彼が関わっている。2000年代半ばもかなり強い電波工作を受けており、犯罪行為はしていないものの、かなり強い妄想を抱かされていた。

 

当時は電波操作の存在も自分が公安の工作対象になっていることにも気付いておらず、小説のネタとしか思えなかった危険な妄想を持たされていた。それはある意味、電波工作技術が今よりも劣っていたから自分の本質的な思想だと思わなかった可能性があり、今の工作能力を持ってすれば、自分はもっと工作に嵌っていたかも知れない。

 

 それでも、軽い脳梗塞の症状は何度も経験しており、致死的な工作も行われていた。それだけでなく、自分を犯罪に嵌めるような工作も行われており、それを実行した人たちを具体的に何人も知っている。この頃、石川正一郎は警察庁公安課長であるため、ほぼ間違いなく自分に対するこれらの工作に関わっている。

 

 そして、彼は2011年から警視庁公安部長になるが、自分が拷問を受けるのも、平田信が出頭して、自分がテロリスト扱いを受けるのもこの年末からであり、2011年から2014年までの工作に関しても彼が関わっている。つまり、公安が自分に行ってきた工作の大部分に石川正一郎は関わっており、自分は明らかに彼の主要ターゲットになっていた。

 

 どうしてこのような長期に亘って工作対象になったかと言うと、彼らが数えられないくらい多くの工作を仕掛けたものの、ことごとく失敗したからである。その結果として、自分はちょっとしたはずみで全ての工作を知れる立場になってしまい、彼らにとっては工作を仕掛ければ仕掛けるほど、自分の存在が脅威となって行った。

 

 自分が最初に暗殺を仕掛けられたのは1991年か1995年であるが、それ以降にもいろんな形の無害化工作があり、その大部分に石川正一郎が関わっている。自分が生きていると常にこの事実が露見する可能性があり、そして、この事実はもっと大きな意味を持っていた。

 

 それは無害化工作にせよ、対社会工作にせよ、自分だけに向けて工作が行われているはずがないからである。同様の工作は日本で多数行われており、それは公安の裏工作チームによって実行されており、それを決定し実行している警察官僚が多数おり、その中に石川正一郎が含まれているからである。

 

 これらの工作の中に北朝鮮が絡んだと思われるものが複数ある。1つは拐かしであり、もう1つは毒物であり、これらは両方とも2011年半ばの話である。これらが実行できたのは自分の居場所を北朝鮮に伝えているからであり、当時、警視庁公安部長であった石川正一郎はその情報入手できるだけでなく、それを北朝鮮に伝えられるほどの関係を保っていた。

 

 そして、石川正一郎にとってはどのような手段をとっても自分を無害化する必要があった。それは単に犯罪行為を隠すというレベルではなく、今まで行ってきた日本を破壊するような工作をより露見しないようにするためであった。