石川正一郎がオウム逃亡犯の幇助計画を立案しないと全てが起きなかったが、とは言え、彼が逃亡を決裁したのではない。誰が決裁をしたかは、石川正一郎が逃亡計画を立案した以上にかなり難しい問題である。

 

 裏理事官であった彼のラインには、警備企画課長、警備局長、警察庁長官がいる。オウム逃亡犯は社会的にも大きな問題であるため、もし、全てのラインが関わったのであれば、警察庁長官銃撃事件の隠蔽工作はその撃たれた警察庁長官が行ったことになる。

 

 その結論は考え難いが、現実的にはあり得ない。と言うのも、銃撃事件の隠蔽工作は彼が昏睡している間に始まっているため、國松長官が隠蔽を指示することは不可能だからである。

 

 つまり、公安はこのライン通りには全ての情報を上げずに、どこかで情報を止めて工作を実行している。問題は誰が止めたかという点になる。

 

 一般的に考えると、この決定は官房副長官である当時の杉田警備局長が行ったとなるが、自分は彼が決定したとは思っていない。しかし、彼がかなり前からオウム逃亡犯が公安の裏工作組織によって作られており、それが北朝鮮の関与を隠蔽するためだという事実を知っていた可能性は否定できない。それは彼がその組織を本質的に管轄する警備局長だったからであるが、この点に関しては、少なくとも、本人自らが真実を明らかにすべきである。

 

 自分の認識としては、この裏工作ラインには特殊な意思決定システムがあったのではないかと考えている。つまり、一般的な警察のラインの中では工作が決定されていないという意味である。

 

そもそも、裏工作組織が存在し、裏理事官が存在するのは通常の指揮命令系統外で決定をするためであって、裏理事官は警備企画課長に報告するだけでなく、重要な事案に関しては裏工作ラインの違う幹部のところに報告しているはずである。

 

 つまり、決定自体は警察内部の幹部によってなされたものの、それは警備局の正式なラインではないところで決められたという意味である。いずれにせよ、この逃亡計画を決定した張本人の可能性は当時の杉田警備局長を含め数人しかいないが、その問題に触れる前に石川正一郎の話を続ける。

 

 このオウム逃亡犯の問題にはいろいろ重要なポイントがあり、その1つは平田信が警視庁に出頭したことである。2011年末当時の彼は大阪に住んでおり、本質的には警視庁に出頭する必要はなかった。

 

 一方で、公安側には警視庁に出頭して欲しい理由があった。それは、彼が出頭する時の警視庁公安部長が石川正一郎であり、捜査が時効により終了したとは言え、警察庁長官銃撃事件の捜査担当が警視庁公安部だったからである。