公安が自分を敵に仕立てたのは1990年代からである。当初は自分を左翼過激派に落とそうとしており、それ自体からして敵を作る作業であった。もちろん、実際には左翼過激派に落として公安の敵にしてから、自分をアッセットとして獲得することを考えていた。

 

 このような形で公安の工作対象になったのが自分だけとは全く考えられない。他にも同じような形で工作を受けている人たちはおり、実際に現在時点でもそのような人たちが存在する。

 

 現実的な問題として左翼過激派には後継者がおらず、このまま放置しておけば彼らの活動はじり貧になり、そのうち終末を迎える。

 

 その終末は、実は、公安にとってはこの上なく危険である。このまま左翼過激派が日本から消えると、日本がより平和になるだけでなく、公安自体が不要な存在になる。現在の左翼過激派は平均年齢がかなり上昇しているとは言え、依然として多くの活動家を抱えており、また時に暴力的な行動を行うので、そのたびに公安の必要性が高まる。

 

 だから、公安は何としても過激派の後継者が必要であった。特に、90年代に入り冷戦が崩壊し、左翼活動家に対する興味が今まで以上に低下したため、何とかテコ入れする必要があり、その左翼過激派の後継者探しに公安が協力していた。

 

 しかし、ここには隠されたもう1つの問題があった。それは公安内部に左翼過激派シンパがいたことである。彼らは多くの左翼過激派活動家と同じように1960年代の学生であり、過激派と同じように革命を志向した人たちであった。彼らが革命を遂行するためにもどうしても後継者が必要であり、彼ら自体が後継者を選定していた。

 

 自分はそのターゲットの1人であったが、全くうまく行かなかった。それは自分が根本的に違う価値観を持っているからであり、彼らが本格的に自分に対する工作を始めた頃には既に、自分は資本主義、自由、民主制度の信奉者であった。

 

 ここにも大きな問題がある。と言うのも、これらは権威主義的な警察キャリアにとっては敵対する思想だからである。

 

 資本主義の本質は国家による資源配分を否定するところにある。自由は国家による抑制を否定する考え方である。民主制度は国家の主権を国民の意思の下におく考え方である。これら全ては権威主義的な警察キャリアの価値観を根本的に否定するものである。

 

 結局、自分が左翼過激派にならないという意味だけで公安の敵だったのではなく、資本主義、自由、民主制度を信奉しているため、公安にとっては生かした難い人物だった。

 

 この諜報機関の敵を作る流れは公安だけの問題ではなく、グローバルに存在する。結局、冷戦崩壊は全ての西側スパイの諜報戦勝利であるとともに、彼らの存在が不要になるきっかけとなった。

 

 その状況を打破するためには、どうしても、彼が戦うべき敵が必要であった。1990年代を通して、その敵が模索されており、その中には911テロの黙認が含まれていた。

 

 

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