自分をオウム関連者だと見せ掛ける工作は1997-98年に行われた。実際には1996年にも工作の一部があり、その証拠も残っているが、自分がオウム逃亡犯と一緒に働いたのは1997-98年である。

 

 1998年には公安が絡んだメジャーな工作が他にもあったが、それについてはまだ書くかどうかを決めていない。ただし、それはよど号事件よりも國松長官銃撃事件よりもオウム逃亡犯よりも日本にとって重要な意味を持つ工作である。その工作には電波操作がフル活用されていると思うが、それ以上に物理的な工作が存在し、最早、隠させる類いのものではない。

 

 彼らはこの工作にも失敗しているが、その後、自分は1998年中にロンドンに行くことを決める。ロンドンに行くことになるのは自分が行くと決めたからであるが、同時に、公安のこの工作がうまく行きそうになかったからでもある。つまり、ロンドンの行くのは次の工作だったと言うことである。

 

ただし、これは日本での工作が失敗したから海外に追い出したという単純なものではない。自分がロンドンに行ったのは誰かがロンドンに連れて来ようとしたからであり、海外でなければならない理由が存在したはずである。

 

自分は元からCIAのウォッチリストに入っている。それは自分が何かをした結果ではないが、父親が共産党員でアメリカの会社で働いており、そこで組合活動のリーダーだったため、自分も監視対象になっただけである。それは自分が生まれた時点からCIAのリストの中に入っていたことを意味している。

 

つまり、CIAはどこかの時点で自分に対する工作の詳細を理解している。それは最初から理解していたという意味かも知れないし、定期的なモニターの中で自分に対する工作に気付いたのかもしれない。自分の周りに海外のスパイがいた形跡はほとんどなく、誰がCIAアセットだったのかも区別が付かないが、1996年くらいから、ところどころにそれらしき人がいたような気もする。

 

いずれにせよ、自分がロンドンに行ったのはCIAがロンドンで観察をしたかったからだと思う。もちろん、MI6がそのような意図を持っていた可能性も否定できないが、結局、イギリスもアメリカもファイブアイズとして諜報情報の一部を共有しており、彼らは深く協業している。

 

そういう意味では、自分を対象にしていたのがCIAかMI6かというところには大きな差がなく、公安の工作が失敗し続けた結果として、スパイの中で自分が大きくクローズアップされた。そして、海外の諜報機関が自分をロンドンに来るような工作を行い、それとは別に、自分の中では自分のロジックとしてそこに行くことを決めた。

 

 

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