オウム逃亡犯の1人が2011年末に出頭したのは警察のフレーミングである。彼の出頭をこの時期にしたのは自分を落とすためのプランBでもあった。公安やCIAは脅迫してでも拷問してもでも自分を落とすつもりであり、それが駄目なら暗殺するつもりだったが、その時点ではそれら全てが失敗していた。

 

彼が出頭するまでの間、自分は3週間ほど拷問を受け続けていたが、それでも落ちなかった。おそらく、その前のどこかのタイミングで落ちないことに気付いたはずであり、このプランBを実行することになった。この工作において重要だったのは自分に対する拷問の非難が高まる前に実行することと、もう1つは警視庁に出頭して警視庁公安部長を自分に対する捜査に関与させることであった。

 

この工作が可能だったのは彼も自分と同じように電波操作されていたからである。電波工作による洗脳はそんなに簡単ではなく、実際には時間が掛かる。ただし、彼はかなり前の段階から出頭する気になっており、後は感情操作を行えば、そのタイミングを調整できたはずである。

 

結局、彼も自分もかなり昔から電波操作されており、96年までには確実に脳波がクラックされていた。そして、彼を管理していた公安のチームは同時に自分も管理しており、その同じチームが2011年末の彼の出頭においても関与している。正確に言うと、全く同じ人も関わっている。当時の計画立案を担っていた人間は15年もすれば、計画を決裁する側になっていた。

 

しかし、彼らのこの工作はすぐに失敗する。と言うのも、地下鉄サリン事件があった日もその前日も自分と一緒にいた人たちが沢山いたからである。その中に検察官になった人もおり、彼はこの自分に対する捜査が始まる少し前まで大阪地検にいた。

 

つまり、大阪地検特捜部がよく理解している身内が当時の自分がオウムと何の関わりもなかったことの証人となった。特捜部は公安の怪しげな情報よりも確実な身内の情報を精査するはずであり、自分が彼の名前を出した翌日にはこのオウムの件は消えた。

 

公安は大掛かりな工作を行ったものの、2週間も掛からずその目論見は破綻した。15年もすれば公安内部での彼らの立場が出世するだけでなく、自分の周りにも大きな変化があることを理解しておらず、彼らの工作には大きな穴があった。

 

そこから、彼らは逆に自分がオウム逃亡犯と繋がってないように見える隠蔽工作を始めた。と言うのも、この件で自分を落とせないだけでなく、自分とオウム逃亡犯が繋がっているという主張自体が工作であったと露見する可能性があったからである。

 

自分に対する工作が長引けば長引くほど、彼らの説明にほころびが生じ、自分に対する工作が昔から行われていたことが露見する。そうすると、いつかの段階でオウム逃亡犯自体が彼らの工作であったことも表面化することになるため、それを避けるために隠蔽工作を行った。

 

ただし、2012年当時の自分は一緒に働くという類いの工作ができるとは思っておらず、偶然そうなっただけだと思っていた。自分は複数の有名なテロリストと交錯する機会を持つことになったが、それらも偶然だと思っていた。

 

 ただし、電波操作が可能だと気付いてから、それらが偶然のはずはなく、工作の結果だと分かるようになった。そして、それは同時に彼らの逃亡を公安が幇助していたことも意味している。

 

 

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