長い間、長期記憶へのアクセスを制限されていて困っていた。自分は毎日ピアノを弾いていて、基本的に覚え込んだものを弾いているが、長期記憶を制限されると運指が全く思い出せなくなる。

 

 それだけでなく、一部の記憶は完全に飛んでしまう。それは思い出せないを越えて、何が起こっているか全く分からないようになっている。それでも、記憶を蓄えている細胞自体が消えているのではなく、細胞間の連携が制御されたり、破壊されているようである。

 

 と言うのも、楽譜を見直しながら弾くと確実に指の動きを覚えているからである。しかし、不思議なことにそれを昔から覚えていたという記憶がない場合が多い。つまり、全く新しい記憶として認識しつつも、完全に運指を覚えているという不思議な状況が起こっている。

 

 この問題が前頭前野9野辺りを冷やすことで解決できる。理性を機能させるためにおでこから前頭葉を冷やしていることが多く、また疲れを抑えるために頭頂からやや前の運動野辺りを冷やすことは頻繁にある。前頭前野9野はその間にある。

 

 この部分を冷やすと長期記憶が制御されないようになる。電波操作による長期記憶操作は基本的に記憶情報間の連携を制御するものである。それぞれの細胞に残されている記憶はそれほど大きなものではないが、それらが連携することによってある記憶の全体像が出来上がっている。どうやら電波操作はこの連携を破壊しているようであり、その破壊が前頭前野9野を冷やすことで抑えられる。

 

 実際に、ピアノを弾いていてもいろんな操作はされるが、前頭前野9野を冷やすことで長期記憶へのアクセスは常にできるようになった。

 

 これには副次的効果があり、価値判断が歪み難くなる。合理的思考は合理性の問題であり、理性が機能すればシンプルに計算ができる。一方で、複雑な価値判断になると、単なる合理性の問題だけではない価値部分自体を考える必要が出てくる。長期記憶にアクセスできなくなると、その価値が分からなくなっている。

 

 単純な金銭的な多寡であれば長期記憶に頼る必要もないが、複雑な価値観は経験によってサポートされており、長期記憶にアクセスできなくなると価値判断がとても苦手になっている。しかし、前頭前野9野を冷やすとその部分が機能するようになった。

 

 と言うよりも、その部分を冷やすまでは自分の価値観がそのような制御を受けていることを知らなかった。冷やしだしてから長期記憶と価値判断がリンクしていることに気付き、また、長期記憶へのアクセスを制御することで価値判断を歪ませるという方法を彼らが過去に用いていたことが分かった。