北海道に来てから左翼を見るようになった。それまでの工作の中には左翼がほとんどいなかったか、あるいは、気付いていなかった。

 

 自分は全く左翼ではないが、小さい頃から彼らは見慣れていた。そして、北海道にいる途中で、自分が左翼活動家の区別が付くことが分かった。それは警官の見分けが付くようになってから分かったことで、実際に見慣れると、ある一定の業種の人の雰囲気は区別が付く可能性があることが分かってきた。

 

 ちなみに、左翼の半分は善人の顔をしている。正確に言うと正しいことをするぞという顔をしているが、それはあくまでも彼らが正しいと信じていることをやっているからである。

 

一方で、残りの左翼は犯罪者の顔をしている。左翼的理想を追求するという意味において彼らはほぼ同じであるが、その一部は理想を達成するために犯罪を行うようになった。そのような左翼の顔は理想主義者と犯罪者の雰囲気を持っており、左翼過激派はその犯罪者の顔をした左翼の中に含まれている。

 

 そこから過去を思い出しても誰が左翼か区別が付くようになった。今まではそんなことすら考えもしなかったが、実はそれだけで相手の素性の手がかりを得られた。

 

この認識はクリティカルであり、普通の左翼の見分けが付くということだけでなく、自分の周りにいた左翼過激派を発見できたからである。そういう方法論は考えもしなかったが、そこから彼らが過激派だった証拠を発見できるようになり、どうして彼らが自分の傍にいたのかも考えるようになった。

 

 どうして、左翼の存在に気付いたかと言うと、それは五十嵐広三の言葉が気になったからである。彼が死んだのは2013年5月7日で、その日は彼がいた旭川にはいなかったが、自分は北海道にいた。ソースが見付けられなかったので、彼の正確な言葉は引用できないが、「全ては言えないにしても、一部は言った方が良いのではないか」と死ぬ数週間前から言っていたそうである。

 

 それは自分に関する工作のように思えた。あるいは、大きな工作がそこにあり、その一部に自分が含まれているように感じた。

 

 彼は元官房長官であり、日本の権力に近づいた人間ではあるが、それ以上に北海道の政治家として何かを知っていると思った。と言うのも、中川昭一を始め、北海道を基盤とした多くの政治家が追い落としに遭っていたからである。その頻度は異常であり、かつ、そこには電波操作が使用されていた。

 

しかし、追い落とされた政治家には左翼の政治家が含まれておらず、それは左翼の強い地盤である北海道では不思議であった。彼はその中の1人として日本の大きな問題を知っており、北の大地が深く関わっていることを知っていたのではないかと思った。

 

 

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