公安やスパイによる工作活動は終わりそうになく、このまま那覇の中心部にいても展望がなかったため、次のステップを考え始めた。今回の移動は南西諸島の北から入っており、そのまま更に南に進むことにした。そして、一気に宮古島まで飛ぶことにした。初めて行く場所ではあったが、そこは自分のホームグランウンドのように感じていた。

 

 実際に、そこは自分にとってホームではあったが、逆に、多くのスパイが島外からやってきていた。その状況は沖縄本島にいた時と条件が少し異なっていた。現地の人で警察の協力をする人たちももちろんいたが、一緒になって嫌がらせをする人は少なかった。また、自分の滞在が長くなるに従って、彼らに協力する人は減っていった。

 

 その中には宿泊を断るホテルもあった。冬の宮古島はオフシーズンであるために部屋が満杯になることはほぼなく、それは朝食の状況から理解していたが、それでも宿泊を断るところもあった。

 

 と言うのも、自分を泊めると同時に工作活動の協力をさせられるからである。事前に自分が泊まる部屋も指定され、その周りの部屋から騒音を出す役割の人も泊めることになる。そのような工作活動は警察が行っているため、断るのが極めて難しく、それを避けるためには最初から自分の宿泊を断るという手段があった。これまで自分が移動してきた中で、同じような考え方をしている人たちが確かにおり、多くの人たちは自分が誰かを事前に理解していた。

 

 宮古島でそのように断られたのは1日だけだったが、その日は粋に感じて、どこにも泊まらず、車の中で寝ることにした。宮古島でも冬はやっぱり寒く、夜が深くなると体が凍えてきた。エンジンを付け、暖房を付けたままにする必要があったが、それでは車の細工具合によっては死ぬこともあるので、1時間に1回くらいは空気を入れ換えた。満足感に浸って車の中に留まっていたが、それでも、それほど愉快に暮らせる状況ではなかった。

 

 民家からかなり離れたところを選んだため、周りには誰もおらず、通り過ぎて行く車は嫌がらせの車か心配しに来た人たちだけだった。それほど心地よいものではなかったが、誰もいない真っ暗な駐車場で寝るのも偶には良かった。

 

 ともかく、宮古島の一部の人たちは自分が誰で、何故、そこにいるかも理解していた。それは同時に、警察が違法な工作を行っていることも知っていたということである。自分が移動する度に、より多くの人がこのような工作活動の存在を知っていった。