南西諸島に行ったのは2012年12月であるが、その前年、2011年10月にも沖縄を訪れていた。この時期はまだ工作活動がオープンに行われるようになる前である。

 

 沖縄には何度も行っていたが、この時は与那国でダイビングするために行った。与那国には海底遺跡と呼ばれているサイトがあり、そこで潜り始められるのは10月以降だった。そのサイトは島の南側に面しており、北風が吹き出すまでは南側の波は荒れ、北風が吹き出すと寒くなり出すが、まだ暖かいうちに潜るには11月初め頃がベストであった。

 

また、与那国に行ったことがなかったので、島をぐるぐる回ってどんなところなのか理解しようと思っていた。その直前くらいからそのように島を回ることが増え、そうすることでより島の環境が理解できるようになった。

 

 当時は時間に余裕があったので、与那国に行く前に与論に行き、そこでもやはり島が知りたくて自転車を借り、島の情景を頭に焼き付けながら走った。そのうち与論でも潜りたくなり、ダイビングショップを探して海に入った。そのような行動はよく取っており、いつものバケーションの感じであった。

 

 2012年の終わりに奄美を南下している時に、そこで誰かが1年前に自分が与論に行った話をしていた。その人はその1年前に自分を見たと遠くで聞こえるように話していた。それはガスライティングの一環であるが、その時に自分は重要な事実に気付いた。

 

 2011年10月の段階で自分は既に公安やスパイに厳しくマークされており、だからこそ、彼らは自分が与論に行った時点で既に自分を監視下に置いていた。それとほぼ同時に、香港でも家の工事を含めて事前準備がなされていたことに気付いた。もちろん、自分はもっと前からマークされていたが、その事実を知るのは徐々にであり、この与論の話を聞いた時点で2011年10月には既に自分が工作対象となっていたことまでが分かった。そして、この事実の開陳が全ての突破口となった。

 

自分に対して犯罪の教唆が行われるのは2011年12月である。それは警察と特捜部の監視の下で行われたが、その10月には自分は徹底的にマークされており、その犯罪の教唆は確実に違法なおとり捜査であった。それも単なる教唆ではなく、脅迫も同時に行われており、それは警察が犯罪を実行するように脅迫していたという意味でもある。

 

 そこから、全ての振り返りが始まり、その前から公安やCIAや中国の諜報機関が自分を嵌める工作を行っていたことに気付いた。それは様々な詐欺の勧誘であり、それらが全て彼らの指揮下で行われていることが分かった。

 

更によく考えると、2011年10月の沖縄に行った時点で、彼らは自分のすぐ傍におり、明らかな形で監視していた。その事実は彼らが長期間に亘って自分を嵌めようとしていたことの証明であり、警察やCIAが自分を脅迫して犯罪を起こさせ、その結果として自分を逮捕しようとしたことの証明でもある。 

 

 

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