公安は間違いなく諜報機関であるが、基本的に海外での諜報機能はなく、国内で諜報活動を行えるだけである。警察の法律上も彼らは海外の諜報機能を担えない。

 

日本も対外諜報機能を持つべきだという考え方があり、実際に、情報収集能力を持つ機関を作りつつあるが、少なくとも、この機能は公安に任せるべきではない。それは彼らの国内における行動が著しく間違っていたからであり、彼らの機能が正常化したとしても、近い将来において彼らの行動は信頼が置けない。

 

また、彼らに限らず、どのような機関であっても情報機能の独占は極めて危険である。大臣や行政職にいる政治家の情報をコントロールすれば、実質的に政治的決定をコントロールでき、それはスパイの方法論の1つである。

 

情報収集機能を分散させることによって、政治に対するマニピュレーションの可能性を下げられる。特に、公安が国内情報もコントロールし、国際情報もコントロールするとなると、彼らは今まで以上に民主主義の脅威になる。

 

次に、日本のスパイ機関はCIAになれないし、なるべきではない。ここまで書いてきたように、諜報機関は情報収集と工作活動を行う機関であり、その2つは不可分一体である。日本が国外に一般的な諜報機能を持つというのは、公安が国内で行っている活動を海外でも行うということである。つまり、テロリストをアセットとして獲得し、その中で情報収集を行うだけでなく、そのテロリストを利用して工作活動も行わせる。結果として、公安が主導する形でテロをさせるか、テロをサポートし黙認することもある。

 

日本はそこまでの関与をできるほどの能力もなければ、人材もなく、またその必要性もない。そして、そのような活動をすることに対しての一般的な国民の支持もない。国外のスパイ機関を作るというのは国外で工作活動をすることを指している。そこまで行うのであれば、日本の対外方針は大きく変化することになり、民主主義の中では、政治はもっと具体的に説明する必要がある。それはテロ対策ではなく、もっと違う何かである。

 

また、対外諜報機関のアセットの対象者になるのはテロリストだけでなく、他国の政府の官僚も対象になる。彼らをアセットとして獲得し、相手政府の行動を日本の利益になるように工作活動で操作する。

 

今の日本にはその機能はなく、それを幸いと考えるべきである。これまでの日本政府が極端な工作活動を行ってこなかったために、そのようなスパイ活動をしないものとして日本政府は信頼されている。そのような信頼はアメリカ政府にはなく、アメリカに対する信頼は、常に猜疑心と恐怖も同時に生み出している。それはアメリカの理念に対する信頼であると共に、アメリカの力に対する畏怖でもある。現在の日本は同じような状況になく、恐怖感を伴わない信頼があり、日本政府はこの信頼を維持し、活用すべきである。

 

 日本がお金を掛けてCIAのミニバージョンを作っても、兆レベルで予算を付けられるはずがないので、機能として追いつくはずがない。そのような組織を作っても中途半端なアセット網を作るだけに終わり、重要な情報を独自に得られないだけでなく、友好国との関係を悪化させるだけで終わってしまう。

 

 日本はCIAのコピーを作るべきではない。その方法を採用しなくても、日本にできる情報収集活動はあるはずであり、日本は違う道を模索すべきである。

 

 

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