インドネシアには1ヶ月近くいたので、実際にはもっといろんなことがあった。それぞれに良い思い出と悪い思い出があるが、いずれにせよ、ずっとスパイが自分の周りにおり、ずっと工作を行っていた。特に、スパイはより小さい島に行ってからの方が直接的に工作を行っていた。

 

大きな街にいても、結局は同じような工作を受けるが、その場合は現地の人が工作の主体になることが多く、ガスライティングと呼ばれる手法が一般的に利用されていた。つまり、大きな街はいろんな人がいるため、スパイが利用できるネットワークが存在し、スパイは工作をサブコントラクトできる。それに対して、小さな島に行くとリソースに限りがあるため、スパイ自ら工作を行う機会が増える結果になる。

 

それでもスパイ自らが工作を行わず、スパイのアセットが行う場合もある。特に外国人だからと言って、工作を行っている人たち全てがスパイであるとは限らなかった。明らかにアセットや協力者に該当する人たちがおり、一方で、区別の付きにくい人たちも多数いた。

 

一般的に、スパイが対象者に直接的にコンタクトを取るかどうかは分からないが、自分の場合はこの時点までに何十人のスパイを知っており、最早、隠しても無駄だと思ったのかも知れない。結局、スパイが自分に対して工作を行っていることは紛れもない事実であり、素性を隠すことよりも適切な工作員が適切な方法で工作を実施する方を選択したような気がする。

 

このようにいろんな工作を受けていたが、この間も拷問はずっと続いていた。もちろん、香港や日本にいたときほど酷い拷問ではなかったが、それでも毎日いろんなことがあった。特に、その後にもう少し大きな島に移ると、そこはスパイがよりアクセスし易い場所であったため、スパイと揉める頻度が多くなった。

 

そして、このままここにいると何の関係もない現地の人にかなりの迷惑が掛かると思うようになった。大きなホテルに泊まっていると、ほぼ業務命令で嫌がらせをさせられている従業員が沢山いた。彼らはそのような行為をするのをかなり嫌がっており、自分はこれをやりたくないという意思表示を同時に見せることが頻繁にあった。また、後から謝りに来ることもあった。

 

自分はライオンさんでもなく、スパイではないため、その状況をずっと見ているのが耐え難くなってきた。このまま東南アジアに残っていても、工作が終わることはなさそうで、また、問題解決の糸口が見つかりそうになかった。この状況は他の東南アジアの国に行っても変わらず、いろいろ考えた結果、もう一度、日本に戻ることにした。その頃には2012年もあと少しで終わろうとしていた。

 

 

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