漠然としたストレスも一次的感情である。ただし、自分が漠然とした感情と認識しているだけで、実は複雑な化学変化の可能性はある。

 

一方で、この漠然としたストレスは胸で感じることもできる。その場合、胸で何らかの化学物質が発生している可能性が高い。基本的には横隔膜より上の場所で、右胸でも左胸でも感じるので、肺で何らかの物質が出ている可能性が高い。ただし、漠然とした不安感という意味では心臓でも胃でも感じられる。それが同種のものなのか違うものなのかは分からない。

 

ただ、この胸で感じるストレスと脳内で感じる漠然としたストレスは同じものであり、同じ方向性を持ったモヤモヤしたストレスである。これが体でも感じられ、脳でも感じられるのは、これが一次的な感情で、単純な化学変化で起こされていることを示唆している。

 

この化学変化の識別が依然として一般化されていないのは、一般的に、この漠然としたストレスだけが単独で生み出されないからかも知れない。通常は、何らかの理由があってストレスが高まる。つまり、ストレス源がある。そのため、この漠然としたストレスはその他の情報と合わさってはっきりした形を持ち、情動の一部を形成する。それは悲しさであったり、不安であったりするものである。

 

それに対して、電波操作ではそのようなストレス源がない状態で、ストレスだけが高まる。そのため、一般的にはこの漠然としたストレスは他の感情と分離しにくいが、実際には一次的感情として漠然としたストレスというものが隠れている。

 

この事実は知見として重要であると共に、この化学変化を誘発することで、電波操作は人の感覚をより操作できる可能性がある。この漠然としたストレスはネガティブの感覚に近い。つまり、この漠然としたストレスが高められた状態で、何らかの情報を与えられると、その事実を信じなかったり、不安に感じたり、ネガティブに捉える。

 

 これがネガティブの感情の根源かどうかはもう少し突き詰めないと分からないが、一部の直感がこの漠然としたストレスによって左右されることは間違いない。ただし、人間は常に直感で判断するわけではないので、理性がより機能する状態であれば、この感覚も乗り越えられる可能性は十分にある。

 

 また、この漠然としたストレスは中毒症状やオブセッションの起源にもなる。この漠然としたストレスを抑えるために、何らかの行動をした結果、そのストレスと行動がセットとして脳内で認識され、中毒化を引き起こす。その行動が薬物であった場合は、薬物中毒になるが、それが本来的に中毒性のある薬物であれば、その物質が体内で低下しただけで、薬物の摂取を求めるようになる。

 

 それは同時に、その漠然としたストレスが上昇することでもある。そして、これらがセットとして記憶されると、体内から薬物が全て抜けても、そのストレスが上昇すると、その薬物を欲するようになる。それは薬物の中毒性の結果ではなく、そのストレスと行動がセットとして認識されている結果である。そのため、薬物中毒者はまた同じ薬物に回帰する。

 

 そして、その中毒はどのような行動にも当てはまり、一般的に中毒化しないものでも中毒化する。そのようなオブセッションが起こる背景にはこの漠然としたストレスが存在するが、方向性のある一次的な感情の高まりであっても、それが何らかの行動で減少すると認識されれば、倒錯的な中毒化が起こる。そして、この中毒的行動を導く漠然としたストレスは電波操作でコントロールできる。