公安が敵を必要とするのは敵がいなければ自らの存在価値を示せないからであるが、それだけのために、敵となる対象者を選定し、実際に犯罪行為を起こさせたりはできない。それが可能なのは、彼らが国家主義者だからである。

 

 彼らは自分たちに制御できないものが気に入らない。本質的には、それが国家の安寧を損ねるからではなく、彼らの感覚を損ねるからである。公安は治安維持のために存在し、それは警察法に書かれている通りである。結果として、治安維持が全てのものに優先する目的となる。

 

 一般的に治安の維持を行うことは、個人の自由を抑制することが多い。全ての国家はこの2つのバランスの中に存在するが、統制主義や国家主義は個人の自由は気にせず、より治安の維持に焦点を当てた思想体系である。公安の仕事は治安の維持であるため、国家主義的思想を持っていると、その警官は精神的に仕事をやり易くなる。

 

 特に、公安畑で警察キャリアになろうと思うと、治安維持を個人の自由の上に置かない限り成り立たないかもしれない。他人の自由をいつでも抑制できる性質を持っていないと、自由を抑制する上司からの命令を受けると精神的な葛藤が起きる。それは仕事のパフォーマンスにも人間関係にもネガティブな影響を与え、その状況では公安畑の中では出世できない。

 

 その世界でキャリを重ねていくためには、自由が重要だという感性を捨てる必要があるかもしれない。個人の自由に怯んで人殺しができなくなると、公安の中では出世できない可能性が高い。逆に、上司の命令で違法活動をする際に、何も考えずに違法活動に従事できる方が出世する可能性が高まる。それは一般的な組織では考えられないが、公安畑という狭い世界で出世を目指すキャリア官僚には必要な素質かもしれない。

 

 つまり、公安の仕事は国家主義者に向いているが、それ以上に、公安内で出世し、警察の幹部となる過程では、国家主義や権威主義者でないと生き残れないかもしれない。そして、警察内部でそのような方向性を持った人が指揮命令権を持つようになり、警察の行動は更に違法化し、更に腐敗していく。

 

 しかし、1987年に公安のトップである警備局長が盗聴事件でクビになってから、違法な工作は抑制に向かうものだと思われていた。また、1990年代に入り、旧共産圏が崩壊する中で、日本での左翼過激派の活動が減少し、公安の必要性は更に低下し、公安の違法活動は更に減っていくと思われていた。それは、どうやら真実ではない。実際には1980年代以降に高度な電波工作が利用できるようになり、公安の活動は秘匿化されて行く。

 

 彼らの本質的な敵が減少していくと、彼らの目標は自らの権力の維持と、個人の自由の抑制により向けられていく。それは彼らの国家主義的なレトリックの中では一致しており、彼らが国家であり、彼らの組織の維持こそが治安の維持であり、そのためには個人の自由をより多く抑制できる方向性を目指す。

 

 その状況を維持するためには常に敵が必要であり、その最も効率的な方法は自らの存在に邪魔になる人を敵に仕上げて、社会的に抹殺することである。そして、それは電波工作という手段を使うことによって、より容易になった。電波操作が可能だと多くの人に知られるまでは、工作対象者の思考や思想を操作しても露見する可能性が低く、彼らを日本の安全に対する脅威になるようにマニピュレートすることによって、公安は一石二鳥の効果を得られる。

 

 結果として、公安の工作対象は対過激派から拡大し、彼らの権力維持にとって邪魔だと思う人間を社会的に抹殺する方向に進む。また、同時に、彼らの権力維持のために必要な大きな社会問題が時々起こる。そして、彼らの工作はもっと危険な方向に拡大していく。

 

 

ご一緒に、ご覧ください。

http://ameblo.jp/multifractal/entry-12154939935.html