「捕まえるつもりだったらしい」という過去形だった2ヶ月後には、今度は「絶対に捕まえる」に変化した。警察の行動がよりエスカレートしたのか、あるいは、単にその場の状況に合わせて脅しとすかしを使い分けていたのかもしれない。

 

 この時点までにもいろんなことを言われてきたが、「絶対に捕まえる」は本当に腑に落ちない。この時点までに警官を何千人動員したかは知らないが、7都道府県に渡って警官にずっと追い回され、自分は隠れなかったために拷問や監視、警察による犯罪の被害を受け続けていた。その背後で自分の周りの人を任意で取り調べ続け、多くの時間を費やしたにも拘わらず、何の犯罪も見つからなかった。

 

にも関わらず、彼らはマントラのように「絶対捕まえる」と言っていた。この言葉はある県を出る時に、その現地の警官に目の前で直接的に言われたが、今でも意味が分からない。実際には、もう少し長い文章で非難されたが、「警察をなめるな、絶対に捕まえてやる」とも言っていた。

 

どうして、このような考え方がまかり通るのかが未だに分からない。重要なことはそこに犯罪があるかどうかであり、その人が犯罪者かどうかであり、警察が勝手に好き嫌いで犯罪を作り出すものではない。

 

この時点では1年数ヶ月も拷問が続いており、それには強弱があったものの、日本の警察は最初から拷問に参加していた。拷問を実際行っていたのは警官だけでなく、スパイやそのアセットも多かったが、警察だけが悪くなければ、警察は悪くないとはならない。

 

拷問を続け、自分の周りの人を脅し続け、何とかしてえん罪を作ろうとしてもできないので、ないものを自白させるために永遠と拷問を続けていた。また、そうやって追い込む中で、何度も自分に犯罪をさせようとしていた。それに耐え続けたことだけが「警察をなめる」の中身である。

 

警察の思い通りに自分をコントロールできないことのフラストレーションが「絶対に捕まえる」に転嫁させる。そして、「絶対捕まえる」スキームの下では、全ての国民の自由は警察の裁量で侵される可能性を秘めている。少なくとも、これが日本において正しいはずがない。

 

この発言をした警官がどこまで知っているかは分からないが、少なくとも、拷問が起こっていることとえん罪を作ろうとしていることは知っていたはずである。その上で、「警察をなめるな」となるのは、警察が組織として間違っていることを示している。

 

つまり、最早、警察はこれまでにえん罪を数多く作ってきた事実を隠すことすら放棄していた。あまりにも違法行為を続けたために全ての理性が麻痺し、警察の権力は制限されるべきだということにすら考えが及ばなくなっていた。彼らの認識の中では自分を落としさえすれば、全てがなかったことになり、それで警察の問題はなくなると考えていたのだろう。

 

それは間違った考え方であるが、警察の内部で自分に対する戦争が共有されている結果でもある。それは法律を守るとかそういうことではなく、警察がルールであり、警察の希望するえん罪を受け入れない人間は犯罪者であり、実際に犯罪者にする必要があると考えていたのだろう。そのためには、どんな拷問でもどんな工作でも、その目的のためには必要だと考えていたのだろう。

 

 

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