東京にいる間は、CIA関係者のヘッドハンターだけでなく、それなりに人にも会っていた。それも職探しのためであり、その中には普通なら自分が採用される仕事もあったが、諜報機関に妨害されている状況では誰も自分を雇える状況になかった。

 

一方で、警察やCIAは自分が人と話す機会を違ったように捉えていた。実際に自分が人と喋っていて起こるのはフレーミングだけだった。犯罪事実がないため、何を喋ったところで犯罪になることはないが、何かを喋るとそれに基づいて次から次へと新しい捜査をしているのが分かった。

 

誰かとの会話は次の誰かとの会話に繋がっており、一部の人たちは明らかに誰かに仕込まれて話をしていた。それが直接的に警察やCIAの要請で行われているのか、間接的に彼らが実行しているのか、その区別は自分にはつかなかったが、少なくとも、ほとんどの人が通常の状況下にないのだけは分かった。そして、その相手の中にはきつく取り調べされている人もいるように感じた。実際には誰がどのような扱いを受けているかを知ることはできないが、相手が普通の精神状態にない場合はすぐに分かった。

 

この間もずっと嫌がらせは続いていた。拷問と呼べるほどの激しいものはこの時点ではなかったが、それでも嫌がらせはずっと続き、尾行がずっとつき、自分の周りにはいつも監視がついていた。それは自分を精神的に圧迫するためであり、そうしなければえん罪にも落ちなければ、自分が公安やCIAのアセットにならないからであった。

 

それと同時に、えん罪のために次から次へと何かを調べているようだった。ここには説明が必要かもしれないが、公安のキャリアやCIAは間違いなく自分に犯罪がないことを知っていたが、警察全体が同様に認識していたわけではない。どのような偽情報が流れていたかは知らないが、本気で犯罪捜査をしている人たちがいたはずであり、彼らがその遠隔操作尋問の主力だったと思う。いずれにせよ、いろんな話が次から次に上がり、また次から次に消えていった。

 

捕まえたければ捕まえろと、当時から自分はいつも言っていた。ただし、何も犯罪をしていないので、警察の調書にもサインすることはない。その結果として、検察は証拠隠滅のおそれがあるとして自分を長期勾留できるため、そうすれば良いと主張していた。えん罪には落とせないが、少なくとも、自分の人生の数年間は破壊できる。

 

そして、実際に多くの人がその脅しに屈していた。長期勾留されたくなければ、警察の調書にサインしろと。警察の作文した調書であってもサインをすると、その調書が証拠採用されるため、えん罪が成立し易くなる。少なくとも、当時においてはそういう状況であったが、多くの人がその事実を知らず、数年間にも及ぶかもしれない勾留を恐れてサインをした結果、えん罪に落とされていた。今、裁判所は長期勾留を認めない方向へと転換しつつあるが、それは、ここでその問題が大きなテーマとして挙がったからである。

 

警察は自分が調書にサインしないのを分かっていたため、自分を逮捕しなかった。その状況では全く存在しない事件の証拠を作れず、えん罪に落とす方法がなかったからである。それよりも、何でも良いから理由をつけて、永遠と捜査を続ける方針を取っていた。そうすれば、彼らの別の目標である自分の社会的抹殺が継続でき、その1つの方法が自分の就業の機会を管理することであった。

 

東京に来れば状況が変るかと思ったが、何一つ変化はなく、全く無駄であった。それ以上に、多くの人が警察の聴収を受けているように感じ、自分が東京にいると更に多くの人に迷惑が掛かると思ったため、そこを離れて実家に帰ることにした。

 

 

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