当時の自分は警察の仕組みを理解できていなかったが、それだけでなく、基本的な警察の方法論も分かっていなかった。法とは何か、構成要件がどのように組み立てられるかは理解していたが、実際の法の執行がどのように行われるかの理解は一切なかった。

 

警察の方法論の中でグッドコップとバッドコップという考え方は、おそらく、かなり基礎的だと思う。それは日本に限らずどこの国においても同じで、警察が取り調べをする上で基本となる手法である。

 

それは単純な方法論で、警官が2人いると一方は良い警官になり、もう一方が悪い警官になる。片方が激しく尋問すると、もう片方がそれを抑える役割を担う。そして、優しく接することで相手の被尋問者を落とす。

 

この際において、実際に尋問者が良い人か悪い人かはほぼ関係がない。ただ単に、その2つの役割をお互いにこなす必要がある。激しく尋問を行って答えが得られればそれでも構わないが、そうならなくても、もう片方が対象者から信頼を得られるようになり、その信頼感を梃子に答えを引き出そうとする。それはテクニックの問題であって、彼らがどんな人間であるかとは全く関係がない。

 

自分が理解していなかったのは、公安を含めて諜報機関の工作においても、この方法論が頻繁に利用されることであった。つまり、香港で自分の目に見えていたのは悪い中国の諜報機関とそれを抑える日本の司法機関であったが、実際には中国の諜報機関がバッドコップを演じており、日本の警察がグッドコップを演じていただけであった。

 

実際には、CIAを含めた諜報機関の共同オペレーションであり、彼らは同様に暗殺と拷問の計画実行に関わっていたが、本来的に激しい工作を行う中国の諜報機関がバッドコップを担うのに適しており、それを止める正しい日本の警察という構図は自分を落とすのに適していると思われた。そして、その目的は自分をアセットにするか、えん罪に落とすことであり、そのために彼らは適切な役割を演じていた。

 

また、このような役割分担が求められていたという側面もある。表面上は中国の諜報機関と公安とCIAは共同オペレーションを行っていないと示す必要があり、拷問は中国の諜報機関が行い、それを日本の警察が止めるという立場が必要であった。そうすることで公安とCIAの存在はうまく背後に隠せた。また、そうすることで日本の警察は拷問をやっていないと主張でき、中国の諜報機関は日本の警察に騙されて、自分を追い詰めたものの、犯罪事実はまだ見つかっていないと主張できた。そして、その事実が見つかるまでは次から次へと偽情報を提示し、捜査が継続できるようにすると同時に、拷問を行うことによって自分を落とそうとした。

 

彼らは、自分が日本に帰ってきてからもこの構図を続け、SPを動員することで日本の警察は自分を保護しているように見せ掛けられた。一方で、自分の真上のホテルの部屋に英字新聞を置くことで、日本の警察は嫌がらせにも拷問にも関わっていないと信じさせ、依然としてグッドコップを演じようとしていた。

 

これと同様の方法論は、この後の公安とCIAの関係の中にも見られ、ある時は公安がグッドコップを演じ、CIAがバッドコップを演じ、ある時にはこの立場が逆転した。そうすることで、お互いがそれほど悪い存在ではないと見せようとしていた。また、これが巧みに機能したのはこの変化と同時に電波操作を加え、実際にどちらかをグッドコップと信じさせたからであった。

 

結局は全てが共同オペレーションだった。とは言え、この時点ではCIAがどれくらい関わっているかは理解していなかった。公安がかなり間違った行為を行っていると気づき始めた頃であり、それと同時に、今度はCIAをグッドコップとして登場させ、自分を彼らに依存させようとする工作へと移り変わっていった。

 

 自分が香港に残ったままであれば、このような方針変更をする必要はなかった。自分の認識の中では自分が日本に戻ってきたという感覚であるが、実際には、それも電波操作されていると思う。本質的には、あのまま自分が香港に残っていると大きな外交問題が引き起こされる可能性があり、その一つが香港で敷かれた非常線であった。その状況を見て、中国の諜報機関は自分をそのまま香港に残すと、自らの存続に危機が生じると感じ、共同オペレーションの結果として、自分を日本に帰すことに決まったんだと思う。

 

 

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