香港でずっと拷問を受けていたが、日本に帰ってくれば、それも終わると思っていた。それが当時の正直な認識だった。拷問を行っているのは中国の諜報機関であり、日本に帰れば、彼らは自由に活動できないため、拷問の生活は終わると思っていた。

 

しかし、日本はそんな国ではなかった。

 

とは言え、最初は小さなことから始まった。最初から激しい拷問があったわけではない。香港から東京に戻り、ホテルにチェックインすると、部屋の中からノイズが聞こえた。その音の発生源を調べていくと、バスルームの換気扇のところから音が出ていた。外の音がかなり大きめにバスルームに響いていた。

 

それは大きな音ではなかったが、それは日本に帰った初日から始まった。それまでの生活の中で、毎日、上の部屋から水の音やビープ音を流されていたので、音にはかなり過敏になっており、フロントに頼んで部屋を変えて貰った。

 

それでも、やはり、同じようなノイズが聞こえてきた。仕方がないので、その晩はそのまま放置するしかなかった。そのノイズは朝になると更に強くなるだけでなく、更に、上の部屋からも大きな音を出されるようになった。そこで上の部屋まで抗議しに行くと、部屋のドアノブには英字新聞が挟んであった。その瞬間に、これは中国の諜報機関がやっていると思った。日本に帰ってきても、中国からの攻勢は止まらないんだと思った。

 

しかし、実際には公安も中国の諜報機関もCIAも組んでおり、英字新聞をそこに挟んだのもわざとであった。今から考えると、わざわざ海外の機関に任せる必要性はないので、公安が人を配置したと思う。ただ当時は背後関係を全く理解しておらず、彼らの工作の術中にかなり嵌まっていた。少なくとも、警察の当時の作戦は、警察は何も悪くなく、必要な捜査を続けているだけだと見せていた。

 

 逆に言うと、警察は必要な捜査を続けていると見せる必要があった。そもそも中共中央が知っているというのは日本の政治家の大部分が知っていると言うのと同義であり、日本で拷問を行うと大きな社会問題になる。そのため、彼らはあからさまな拷問を避ける方法をまず選択し、かつ自らの捜査が合法であると示す必要があった。

 

 そして、彼らは小さな嫌がらせから始め、自分を混乱させ、彼らの工作に落とそうとした。この時点でも彼らの目標は何一つ変っておらず、自分を社会的に抹殺することが目的であり、結局は犯罪に追い込むか、えん罪に落とそうとしていた。もちろん、そこにはCIAもおり、彼らは独自に自分をアセット化することを目指していた。

 

 

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