このような工作と拷問はずっと続くことになるが、12月中盤から、最初の数週間の間は外に出られなくなっていた。1つには睡眠が不規則になっており、寝られる時にはいつでも寝ようとしていたためである。そして、かなりの時間を寝床になっていたソファーの上で過ごした。

 

それよりも深刻だったのは殺されるかもしれないという恐怖感だった。当時は何が起こっているかも分からず、ただ狙われているという現実だけがあった。自分が狙われている意味は全く分からなかったが、暗殺が1回失敗しても、また繰り返されるだろうと思っていた。

 

家にいても拷問は続くが、さすがに暗殺するのは難しく、襲われたとしても入り口は限られているので、必ずしも自分が先に殺されるとは限らないと思っていた。それでも二酸化炭素を充満させるように、目に見えない形で殺そうとすることもあった。いろんな工作が毎日行われ、それらも毎日変化していったが、それらにも1つ1つ対応し、工作を無効化させていった。

 

それでも飽きることなく、次から次へといろんなことが起こった。ビープ音に耐えても、次は家電が勝手に動き出した。仕組み自体はよく分からなかったが、リモートに操作がコントロールされていた。今でもそれらの家電の一部は家にあり、今でも外部的に操作されるときがあるが、それを避けるためにはコンセントから抜いて対応するしかない。

 

大きな工作は目に付き、実際に被害も大きいが、このような小さな工作の積み重ねも確実に神経が衰弱し、睡眠が減り、体力を奪って行く。何もない状態でテレビが突然着くだけでも十分にストレスになる。それと同じように一部の機器が勝手に動き出し、急にうなり出す。PCも突然スイッチが入ることもあれば、突然ブラックアウトすることもあった。

 

中国の諜報機関が本気になれば、いろんなことができるんだなと思わされた。と同時に、そこには日本の警察と特捜部が一緒におり、自分に対する拷問を行っていた。ただし、実際の当時の感覚は、彼らは拷問を監視しているだけで、一緒に拷問をしているとは思っていなかった。

 

そのせいもあって、いつかはこの拷問も終わると思っていた。そもそも、拷問をしたところで何も出てくるはずもなく、いつかはこんなことが無駄だと理解されるだろうと思っていた。結局、これは捜査の延長線上であり、必要な捜査が終われば、自分は解放されるだろうと思っていた。そして、そんな日は遠くないはずであり、このまま数週間籠城を続ければ、いつかは終わるだろうと思っていた。そう思いながら、自分は大きく抗わず、ひたすら拷問に耐えていた。

 

 

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