自殺感情の一部は攻撃性の延長にあり、それは攻撃的な感情が自己に向かう結果として起こるが、その場合は感情に持続性がない。持続性がないというのは、その感情は一度消化されると消える。ただし、それが攻撃として昇華されなければ感情としては脳内でずっと持続する。つまり、何らかの自傷行為がなければ、その自殺感情は頭の中に残っている。

 

その攻撃の対象が自己に向かうために自殺感情になるが、その対象が自己に向かう必然性はなく、他人を対象とするか自己を対象とするかは個人の特性に依存する。それは個人の倫理観かもしれないし、社会性かもしれないが、同時に共感する感情にも支えられているはずである。これらのバランスが崩れているとその攻撃性は他人に向かい、実際に攻撃となって現われる。

 

この攻撃性は電波によって高められる。一定の周波数パターンが小脳を含む後頭を刺激し、攻撃性が高まると無性に攻撃したくなる。その感情は一般的に怒りに結びつき易いが、電波によってその感情が高められている場合は、本質的には怒りの感覚は上昇していない。つまり、怒りと攻撃性は別の感情である。ただし、その攻撃性の対象が特定されると、その対象に対してほぼ怒りに近い感情になる場合があり、それは電波操作でも引き起こせる。

 

また、この感情は性的な感情とは必ずしも結びついていない。性的なストレスが同時に上昇した場合は攻撃性の中に性的な衝動も含まれるかもしれないが、攻撃性のリリースは攻撃によって満たされ、それが性的になるのは一つの類型にしか過ぎない。ただし、本質的に性的な倒錯がある場合、攻撃性と性的な衝動が一致し、そのストレスが何らかのリリースによって解放されることはある。そのような性質を本来的に持っている場合、電波によって攻撃を高められると、そのストレスのリリースが性的倒錯となって現われる。

 

ここで議論しているのはその攻撃的な感情が自己に向いた際に、衝動的な自殺に繋がる可能性があるという点である。攻撃性の感情をリリースするために最初から自殺に至るということは考え難いので、衝動的に自殺する場合でもそれ以前に自傷行為が見られるはずである。その感情のリリースがエスカレートする結果として、死にまで至る。

 

その自殺は衝動の結果であり、遺書が書けない。少なくとも長い遺書は書けない。特に電波で操作されている場合はその瞬間に攻撃性が高められており、自殺の事前の準備はほぼできない。ただし、攻撃性のリリースを自傷行為で賄っている場合は事前に遺書を用意できなくても、他人に自殺の可能性を伝えているかもしれない。それは頻繁に自傷行為を行っているからである。

 

一方で、うつの延長でも自殺は起こり、その方がより広範に見られる。感情としてはネガティブな感情の延長であり、自分自身に対するネガティブが肥大化し、存在したくない感覚や消えてしまいたい感覚に囚われる。

 

ただし、ネガティブな感覚だけで死ぬかどうかは分からない。何らかの理由があってネガティブが極端なレベルにまで至ると、その感覚の中にいるよりも自らを消し去った方が良いと思う。それは極端に重い感覚で、脳だけでなく全身で感じているような気がする。

 

その感覚から逃れる一つの手段は死ぬことであるが、それは脳がコストベネフィットを計算した結果でもある。その計算は間違っているが、それはその状況下における個人的計算の結果として成立した答えである。この場合のコストベネフィットはほぼ感情の得失に基づいている。つまり、いろいろな感情を合成した結果、その感情に耐えられなくなり、何も考えない状態を選択するということである。

 

このように感覚の得失を前提として脳がコストベネフィットを判断することもあるが、それだけでなく、自らの存在の得失を考えて自殺の判断に至る場合がある。それは自らの物理的な生命よりも重要な価値観が外的に存在すると認識する結果かもしれない。この状況においても、ネガティブな感情が存在している必要があり、それが自殺の判断に至る重要な指標となるが、それ以上に歪んだ理性が存在しているだろう。そして、これが一般的な自殺である。

 

電波工作を使っても自殺に追い込むのは複雑な作業である。基本的には、合理的に自殺が最良の選択だと対象者に思わせる必要がある。そのためには感情操作だけでは難しく、一定の思考のマニピュレーションが必要になる。それは電波で思考を送るという形を取る場合もあれば、より容易に実際に対象者と関係を築き、その中で物理的にマニピュレーションする場合もある。

 

外的にその自殺が仕組まれていれば、歪んだ合理的意思形成の中にマニピュレーションの痕跡が残っている可能性が高い。純粋に電波だけで自殺までのマニピュレーションをするのは難しく、何か自殺を導くような小さな核を用意する必要があり、それが脳内で大きく歪められて自殺がより良い選択だと思わされる。電波を利用した工作の場合、これらの過程のどこかに工作の痕跡が残っている可能性がある。

 

一方で、ネガティブな感情を極端にまで重くし、その上で攻撃的な感情を高めると自殺に追い込めるかもしれない。それでも、やはり自殺に追い込まれるような理由が必要かもしれない。それは死ぬような理由でなくても構わないが、何らかの理由があり、その解決に自殺が最良だと思わせるような追い込み方をする必要がある。それはより衝動的な自殺に見えるものの、構造的には同じであり、マニピュレーションが必要になり、痕跡が残る可能性がある。

 

このネガティブな感情を極端にまで重くし、その上で攻撃的な感情を高めると自殺にはならず他者に対する攻撃になる可能性もある。その対象がはっきりした個人になる場合もあれば、社会になる場合もある。対象が社会となった場合は無差別な殺人となる。つまり、感情操作だけでは自殺を生み出せるとは限らない。

 

感情という側面だけを取ると、その結果としての自殺と無差別殺人には大きな差はない。ただ、社会に現れる結果には大きな差がある。その差の大部分は個人の価値観の差に依存している。電波による操作で人を自殺に追い込めるかもしれないが、それは殺人という結果になるかもしれない。電波を出す側にとっては、いずれにせよ、対象者が社会的に抹消されるので、大きな差はないと考えているのかもしれない。