人間の感情の方向性はポジティブとネガティブが基本であるが、より動物的な感情もある。その方向性は攻撃性と恐怖感である。この2つはポジティブとネガティブよりも古い感情だろう。感情の方向性を考えると、ポジティブと攻撃性、ネガティブと恐怖感の二つに分けられるが、攻撃性と恐怖感は小脳や原始脳が制御している世界にある。ポジティブとネガティブをどこで感じているかは分からないが、大脳皮質だと思う。つまり、これらの感情は物理的に生み出されている場所が異なる。

 

ただし、ポジティブとネガティブはエンドルフィンだけでなく、ドーパミンやセロトニンもその感情の生成に大きく関わっており、視床下部もその感情に大きな影響を与える場所になり、おそらくもっと幅広いエリアがその感情に影響を与えている可能性が高い。結局、どの場所でこの感情が正確に作られているかはまだ分からない。

 

ポジティブとネガティブが脳のどの部分に影響を及ぼしているか分からないのは、その感情を制御できないからでもある。ただし、それらの感情だけなら、気持ちを更に強く持てば、思想にも行動にも影響を与えない可能性がある。つまり、ポジティブになっても信じないことはでき、ネガティブになっても無視することはできる。

 

それに対して、攻撃性と恐怖感は気持ちを強く持っても制御が難しい。結局、気持ちを強く持つというのは前頭葉の作業であって、感情と思考を分離する作業を指している。通常時においては攻撃性も恐怖感も前頭葉や大脳皮質によって制御されていて、それが爆発的な感情となり危険な行動として現れるのは限られている。

 

逆に言うと、前頭葉の機能を低下させても、爆発的な感情を生み出せる。あるいは、爆発的な感情までで通常は制御できるものが、実際の行動に結びつく可能性がある。

 

つまり、攻撃的な感情を強化されると切れやすくなるが、その内的な感情が外的に表出されるためには前頭葉や大脳皮質を乗り越える必要があり、その感情が行動を伴うためには前頭葉の制御を排除する必要がある。攻撃性を強化するためには、攻撃的な感情を強めるだけでなく、前頭葉の働きを弱める必要がある。

 

それは恐怖感にも当てはまる。恐怖感も小脳でコントロールされている部分と前頭葉や大脳皮質でコントロールされている部分がある。恐怖感は感情であって、それが制御されなくなった時に何らかの行動として現れるのであって、電波でその行動を導くためには、恐怖感を制御されない状態にする必要がある。

 

この攻撃性と恐怖感は、本来的には戦う感情と逃げる感情の可能性が高い。原始的には何かに反応して戦うか逃げる必要があり、その感情は攻撃性と恐怖感と同じものである。攻撃性から攻撃に転化するためには、脳の違う部分が必要になるが、攻撃性が上昇するとどこかの段階で前頭葉の制限が取れ、筋肉はより効果的に動く状態になり、感情によって行動の準備がなされる。

 

逆に恐怖感が高まると逃げるという行動に結び付くが、それが行き過ぎると、フリーズするという選択肢も生まれる。

 

これらの感覚はポジティブとネガティブとは違うものである。人間以外の動物にもポジティブとネガティブはあると思うが、脳の機能が限定されるに従って、どこかの段階でポジティブとネガティブという感情はなくなるはずである。それはより複雑な脳機能の産物である。それに対して、攻撃性と恐怖感はかなり基礎的な感情として多くの動物の脳に組み込まれている。

 

この攻撃的な感情を強化すると、他人を攻撃したくなる。電波によってこの攻撃性は高められ、その操作はかなり危険である。攻撃的になると、ほとんど意味もなく無差別に攻撃したくなる。前頭葉や大脳皮質の制御が強めであれば、攻撃の感情はある程度まで制御できるが、それでも耐えられなく攻撃したくなるときがある。

 

その感情は対象を持っていないので、基本的には無差別に攻撃したくなるが、何らかの状況の結果として攻撃対象が決定されると、その感情と行動を抑えるのが極端に難しくなる。つまり、電波によって攻撃性を高められている状態で、周りの人間が起こしたイライラするような事象が引き金となり、その人に対して攻撃に至る。

 

これを逃れるためには、その場を離れる以外に方法はない。攻撃性は前頭葉を乗り越えようとするため、あまりにもその感覚が強くなると理性は制御できなくなる。それは誰にでも起こり得る。

 

一方で、本来的に感情の制御が得意でない人たちは、この操作をされると行動が抑制できず実際にすぐに攻撃に至る。攻撃をすると感情がリリースされるので、その時点で攻撃性は停止するが、その攻撃性がリリースされるまで攻撃が続く。これが繰り返されると、感情がリリースするまでにより多くの攻撃が必要になる。つまり、エスカレーションが起こる。

 

サイコパス的な精神病質の人たちは確かにこのパスを辿っている。そもそも攻撃性を強く感じる性質の人たちがおり、その中に前頭葉でうまく行動が制御できない人たちがおり、更にその中に攻撃性を自らの生存上必要だと認識している人たちがいる。そして、実際の攻撃自体は脳内で必要な行動として認識される。

 

これは病質的な脳の問題であるが、この行動が電波のコントロールによっても再現できる。それは攻撃的な感情の強化であり、前頭葉の機能を低下させ、その行動がポジティブなものだと思わせれば良い。それがエスカレーションして行くと、その行動を制御することは難しくなり、最終的には殺人にまで至る。ただし、それはサイコパスを作り出すのとは異なる。サイコパス的な脳の状態を再現するのではなく、あくあまでもサイコパス的な状況を再現できるだけである。

 

この殺人に至る際には、対象者が無差別の場合と特定の場合がある。無差別と言うのは完全に小脳にある攻撃性が勝っている状態であり、前頭葉の抑制は全く機能していない。それ故に、ここまで至る人は限られている。

 

ただし、攻撃の対象が社会となる場合がある。それは実際には無差別ではなく、はっきりした対象であるが、それが社会であるために、結果として無差別な攻撃に至る。つまり、それは合理性によっても担保されており、その場合は社会的に意義を見出せる攻撃対象に対して、無差別な殺人を行う。

 

対象が無差別ではなく、特定の場合はそれが攻撃対象として認識される必要がある。それは自然発生的に攻撃対象として認識されることもあれば、マニピュレーションの結果として対象が操作されることもある。

 

多くの場合、その対象設定は誤解に基づいている。電波によるネガティブな感情操作と情報操作を行えば、ある特定の対象に対して敵意を抱かせられる。それは時間の掛かる作業であるが、必ずしも複雑な電波操作が必要な作業でもない。情報操作の部分に関しては電波を使わなくても、物理的にマニピュレーションもできる。結果としてマニピュレーションの作業は複雑かもしれないが、複雑な周波数操作は必要でなく、単純な装置の組み合わせだけで人を殺人に駆り立てられる。