3 公安の無秩序

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日本国内では更に問題のある行動をしている機関があり、それは公安である。日本で公安と言う場合は警察の公安部門を一般的に指している。

公安調査庁も公安委員会も公安の名前が付いているが、異なった組織である。公安調査庁は警察の公安部門と同様に治安を維持するための組織であり、その組織は破壊活動防止法を実行化するために存在している。その1条に示されている通り、暴力的破壊活動を行う団体に対して監視を行う組織である。一方で、警察の公安部門は警察法の1条の規定の一部に依っており、「公共の安全と秩序を維持するため」に存在している。

通常、治安の維持は公共の福祉の概念であり、個人の自由と対立する概念である。本来的に自由を束縛するのが警察の公安部門の仕事になるため、その権力は慎重に行使される必要があり、またその濫用は忌避されるべきである。しかし、実際には裁量的に警察権が行使されている。

公安調査庁も警察の公安部門も諜報機関そのものであるが、WIKIによると、2005年段階で1500人が公安調査庁で働いている。一方で、同じくWIKIによると、警視庁の公安部だけで2000人が在籍している。これは警視庁の5%ほどであり、警察全体が30万人なので、警察の公安部門には1万5千人の職員がいることになるかもしれない。その規模は公安調査庁の10倍であり、それ故に一般的に公安と言うと警察の公安部門を指すことになる。

この公安は海外の諜報機関と同様の活動を行っている。基本的には一般的な情報収集活動がメインになるものの、殺人も謀略も行っている。殺人と言っても、明らかな殺人はすぐに露見するので、基本的に分からないように殺人を行う。だから表立って問題にはならないが、実質的には暗殺をしている。それは海外の諜報機関も同じであり、日本の公安だけが特別に危険な組織ではない。

ただし、ここで大きな問題が起こる。日本の諜報機関である公安は警察の一組織であるために、警察は公安が行った組織犯罪に対しては取り締まらない。個別の警察官が犯罪を行うとそれは逮捕の対象となるが、警察全体が組織犯罪を行った場合は犯罪として扱われない。

例えば、公安が東京で組織犯罪をすると、その犯罪に対する本質的な指揮権は警視総監にある。もちろん、一般的に権限移譲されているため、全ての捜査・逮捕に関して警視総監が管理することはない。しかし、その権限は警視総監に帰属している。警察の組織上、警視総監の上には警察庁長官がおり、警察庁長官が指揮命令系統を掌握することもできる。東京の公安部の頂点には形式上は警視総監が存在し、また警察全体のラインは全て警察庁長官に繋がっている。つまり、公安の組織犯罪もそれを取り締まる捜査も最終的には同じ指揮命令系統に帰属する。そのため、警察の組織犯罪がある程度の階層以上の指揮命令系統で起これば、警察内で起きた組織犯罪は取り締まられない。これは大きな問題である。

 また、日本には免責の制度はない。警察がどのような行為を行ったとしても、それが正当行為であれば罪に問われないが、行政が通常状況で日本人を殺すことは認められていない。緊急時に殺害することはあるかもしれないが、それもやはり正当行為の範囲かどうかが厳しく調べられる。殺人のような重罪でなかったとしても、正当行為を逸脱する犯罪は全て刑罰の対象となる。

しかし、現実的には警察の組織犯罪が行われた場合、個別の犯罪を行った警察官は免責を受けている。それはその警察官が犯罪をするように命令されたからでもあるが、そのような警察の内部ルールによる免責を作り出すと、日本の法秩序が崩壊する。最終的には警察の組織犯罪はどれだけの犯罪であっても法に制約されない行為になる。

 これが問題のなるのは、日本の警察が政治による直接統治が効かない構造になっているからである。司法に対してどのように政治的コントロールを行うかは国によって異なる。日本の場合であれば、検察組織は最終的に政治コントロールの下にある。検察官は独立であるものの、どれくらいの頻度で起こるかは別にして、法務大臣は指揮権を持っている。

 それに対して、政治は警察に対する指揮権を持っておらず、最終的には各都道府県の警察トップと警察庁長官が指揮権を持っている。その構造は政治的腐敗を防ぐ意味ではより機能する。政治が警察に介入すると、犯罪であるべきものが犯罪でなくなってしまう。それは多くの国でも見られ、日本でもまだ存在するだろうが、警察と政治が分離していることによって政治による裁量的な法介入が減少し、法の秩序はより安定化される。

しかし、この仕組みには盲点があり、警察が組織犯罪を起こした際にはそれを取り締まる方法がない。仕組み上は検察組織にも捜査権があり、その中で警察の犯罪を取り締まれるが、それはほぼ起こらない。警察に対して検察が捜査を行うと、検察と警察の関係が悪化し、検察のそれ以外の日々の活動に支障が生じるため、検察は独自の捜査で警察を調査することはほぼない。検察が日本の警察の組織犯罪を調べたケースは過去に1件しかないと思う。それは公安が絡んだ神奈川県警に対する捜査で、その際でも検察は組織犯罪を立証することに失敗している。最終的に犯罪を実行した警察官を起訴しただけで終わっている。

この仕組みが問題なのは、警察が法の上に存在することになるからである。警察庁長官は内閣が任免できるので、その意味では一定のコントロールが効く可能性はあるが、基本的に長官は警察庁次官が昇進する仕組みであり、その次官はその前の長官が決める仕組みになっている。形式上のコントロールは可能であるが、実質上はかなりコントロールが制約されている。

結果として、政治の腐敗は取り締まれるが、警察の腐敗は取り締まれない。政治家の腐敗は問題であり、それを警察が取り締まる必要があるが、同時に政治家は選挙によって選ばれており、国民がその選択をできる仕組みになっている。それに対して、国民は警察官僚を選択する権利を持っておらず、彼らが優れた人格者であるという前提だけに依存している。

つまり、警察は腐敗しないから警察の組織犯罪は存在せず、そのような取り締まりは不要という論理になる。それ以外に説明する方法はない。しかし、実際には警察は腐敗している。それも警察は頭から腐敗している。同じような権力を持っている政治家はいろいろ監視されているにも拘わらず、それでも不正行為をする場合がある。同じように警察にも不正は起きるが、警察の仕組み上は不正が起きても犯罪にならない仕組みになっている。それ故に、彼らは民主主義の範囲外の存在になっている。

現在の警察のあり方は見直される必要がある。政治の腐敗を取り締まれる状態を維持したまま、民主主義的コントロールが警察に対しても効く仕組みに見直される必要がある。そこまでやらないと、今の長官を頸にしただけでは効果がなく、いずれかの段階で警察のトップはまた腐敗する。