「スリービルボード」心情表現の演技を堪能。
ショーレースで注目されてるし、何となく心を引っ掻く映画だから、あらすじを全く知らずに観賞。
Three Billboards Outside Ebbing, Missouri
なぜ3枚なのだろう。
1枚目は、事件の事実。
2枚目は、事件のプロセス。
3枚目は、事件の責任?
3枚目のクレッションマークが、この映画から観客に問いかけられたナイフ。
被害者の母親のミルドレッドは、単に可哀相な女性なのか。事件の間接的な責任は?さらにその後の傷害と放火の責任は?
ウィロビー署長はクソヤロウだと思ってると、実直で誠実な署長だし、奥さんに対しては凄くピュアで、想い出としての最後のエッチとかの終活は、かなり魅力的。
ディクソンは、サム・ロックウェルが演じるからいつもの安定の小物の差別主義者って感じなのに、後半のウィロビーの遺書を読んでからの変貌の演技が生々しくて、「そこまで変わらんやろ」って突っ込みを遥かに超えた演技に魅了される。
火傷で入院する病室でレッドに謝罪するシーンや、レッドが「泣くな。傷が痛む(そんな感じのセリフ)」や、オレンジジュースのストローがディクソンの方に向くように、レッドが何度も触るシーンもウィロビーの遺書に書かれていた本当の警官になっていくディクソンの心の変化なのだろう。
多分、頭でっかちに考えて観てると、ラストが中途半端に感じると思うけど、これは心情を感じる映画。
そして、三枚目の看板のクレッションマークが、責任の在りかを観客に突きつけている。
だからこそ、ラストの余韻が心に突き刺さる。
なぜ3枚なのだろう。
1枚目は、事件の事実。
2枚目は、事件のプロセス。
3枚目は、事件の責任?
3枚目のクレッションマークが、この映画から観客に問いかけられたナイフ。
被害者の母親のミルドレッドは、単に可哀相な女性なのか。事件の間接的な責任は?さらにその後の傷害と放火の責任は?
ウィロビー署長はクソヤロウだと思ってると、実直で誠実な署長だし、奥さんに対しては凄くピュアで、想い出としての最後のエッチとかの終活は、かなり魅力的。
ディクソンは、サム・ロックウェルが演じるからいつもの安定の小物の差別主義者って感じなのに、後半のウィロビーの遺書を読んでからの変貌の演技が生々しくて、「そこまで変わらんやろ」って突っ込みを遥かに超えた演技に魅了される。
火傷で入院する病室でレッドに謝罪するシーンや、レッドが「泣くな。傷が痛む(そんな感じのセリフ)」や、オレンジジュースのストローがディクソンの方に向くように、レッドが何度も触るシーンもウィロビーの遺書に書かれていた本当の警官になっていくディクソンの心の変化なのだろう。
多分、頭でっかちに考えて観てると、ラストが中途半端に感じると思うけど、これは心情を感じる映画。
そして、三枚目の看板のクレッションマークが、責任の在りかを観客に突きつけている。
だからこそ、ラストの余韻が心に突き刺さる。