時間薬とよく言うが、時間薬というよりは、嫌でも今の生活に慣れていくしかない
ただそれだけ
何度自分を惨めに思ったやろ
数えきれない…
自分をごまかさなきゃいけないときもある
嫌でも「子どもは1人」って言わなきゃいけない時がある
本当はそんな言い方したくない
口が裂けても言いたくない
だから言った後はすごく嫌な気持ちになる
仕方のないことだとしても、亡くなった子どもたちに対して、ごめんねって思う
次男も三男もずっと、私の子どもは3人
次男も三男もずっと、私の子どもは3人
それは一生変わらない
それなのに、現実と向き合うことがしんどくて、亡くなった子どもたちのことを考えないようにしている自分もいる
自分でも薄情だなって思う
表面上だけのことだからと割り切ろうとしてる自分にも嫌気がさす
矛盾だらけの日々
自分でも薄情だなって思う
表面上だけのことだからと割り切ろうとしてる自分にも嫌気がさす
矛盾だらけの日々
でも、そうやって生きていくしかない
ずっとずっと向き合っていたら、私はきっと普通には生活できないから…
ずっとずっと向き合っていたら、私はきっと普通には生活できないから…
子どもを亡くした後の親の人生は本当に試練
その中でもどうやって生きていくか?
その中でもどうやって生きていくか?
どう生きたか?が重要なのかな
私はどんな風に年を重ねていくんやろ?
長生きできるのなら、どんなおばあちゃんになるんやろ?
仕事柄もあり、最近よくそう考えるけど、やっぱりこれ以上年月が過ぎるのは嫌
次男、三男と過ごした日々がどんどん遠い過去になっていく
次男と三男は赤ちゃんのままなのに、私はどんどん年を重ねていく
遠い記憶なんかにしたくない
また冬がやってくる
2人の命日の季節