その日も暑かったように思う。
いつものように僕はお母さんを待っていた。
5階建ての団地の2階に僕の家がある。
幼稚園の年長当時、僕は『鍵っ子』だった。
正確に言うなら『鍵を持たされていない鍵っ子』だった。

幼稚園から帰ると いつもならお母さんは家に帰っている。
けれども最近工場が忙しいのか、ドアはこちらに開くことはなかった。
びくともしなかった。
そんな時僕は二つ下の弟とドアの前の階段に腰掛けて
お母さんが帰ってくるのを待っていた。

そう、その日もそうやってお母さんを待っていた。
ずっとずっと待っていた。でもなかなか階段を上がってくる音は聞こえない。
近所のおばさんさえも上がってこない。
どれだけ待ったんだろう。
そのうち、僕はおなかが痛くなってきた。
我慢すると、痛みはなくなる。でもまた痛くなる。それの繰り返し
僕は泣きそうだった。
(痛い、痛い、痛い。
 どうしよう、うんちがでそう。お母さん早く帰ってきて!)
次の痛みが来た瞬間、僕はもらしてしまった。
もらしたと同時に、わんわん泣いてしまった。

お母さんに会いたくて、工場へと行こうと思った。
歩く道すがらも、ぽとっぽとっとうんちが落ちる。
両親が働いている工場までは 子供の足で結構な距離だったと思う。
大人でさえ15分はかかるだろう道のり。
その道のりを 弟の手を引きながら わんわん泣きながら歩いていった。

途中でお母さんに会えることができた。お父さんもいた。
お母さんは僕を見て、駆け寄ってきて
「遅くなってごめんね」と言った。
お父さんは僕を見て凄い形相になり、激しく怒った。
「近所の家に行け」とか、
「団地の管理人さんに言え」とか言った。
そして最後にこう言った。

「お前はうんこをもらしたから 今日から名前は『うんこ』だ!!」

その日を境に 僕はお父さんに『うんこ』と呼ばれた。
休みの日のお出かけの電車の中でも
「おい、うんこ!こっち席空いてるぞ」
買い物中でも
「おい、うんこ!それ持ってこい」
何かにつけて、お父さんは僕のことを『うんこ』呼ばわりした。
そのうち弟までも僕の事をことを『うんこ』と言いだした。
公園で遊んでいると、弟とその友達がからかってきた。

すごく嫌だった。
許せなかった。





あれから40年近く経った今でも

俺は
あの出来事の
あの親父を許せない

絶対許さない

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むーーー。

許せないんじゃなくて

許さないって決めてるのよねー

あーーー

もちろん私の問題じゃなくて、本人の問題なんだけどねー。