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一昨日の続きから・・・

角度を変えて、この橋を見てみたのが、この写真
判る人には、判りますよね。
左手には、コンシェルジュリーがあります。
14世紀にフィリップ王が牢獄を目的に造られたものです。

パリのど真ん中にわざわざ牢獄を造る理由があるのだろうか?

フランス革命が勃発すると、『革命裁判所の牢獄』とされ約2600人もの
革命家や貴族たちが、ギロチンで処刑されるまでの間、ここで過ごすことになりました

もちろん、革命で囚われたマリーアントワネットも、ここで一時を過ごし
この両替橋を通って、処刑台のあるコンコルド広場に向かったそうです

その後、現在の橋の姿になったのは、1859年のこと

この写真の、橋脚を良く見てください
月桂樹の中に『N』の文字が見えませんか?
実はこの『N』は皇帝ナポレオンの象徴として、付けられたそうです

それにしても、普段何気なく歩いているこの橋も、深い歴史があり
この橋の上で争ったりした人たちの、血が橋の中に染み込んでいるのでしょうかね?
明かりもない、人もない時間があるとしたら、不気味な橋かもしれませんね。