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1レアル=約45円
ブラジル
サンパウロ
宿は「武田ペンション」てとこ(個室4ドル)にしようと思っていたのだが、いくら探してもナイ!
巨大都市サンパウロを昼とはいえ、バックパックをしょって数時間ウロウロするなんて危険このうえないわ。
サンパウロは、あまりに犯罪が多いので
最近法律が変わって、夜の信号は
赤は「止まれ」じゃなくて「スピード落とせ」
になったそうだ。
止まると即襲われるから!!!
ひえー!ラベルが違う!←昭和ギャグ。
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何回も前を通る私を見て、みかねたのか店の中から人が出てきて、一緒に探してくれた!
が、その住所の番地そのものがないし、電話も通じない。
私が持ってるのが、「歩き方・南米01~02年版」だったので、もうつぶれてしまったのだろう。
もうひとつの候補のホテルもなくなっていた…_| ̄|○
なんで、ちょっと避けようと思っていたのだが、サンパウロの有名日本人宿「ペンション荒木」に不本意ながらチェックイン。
なぜ避けようと思っていたのかというと、荒木は暗くて汚くて、いつも数ヶ月単位の長期滞在者がいて(おもに年配の男性たち)、(安いので)女を買いに行ったり、毎日マージャンしたり、宿からほとんど出ないでダラダラしてて、腐敗臭がすると聞いていたからだ。(←偏見ひどい)
でもいざ行ってみると、たしかに男性が多いが、それほど腐敗臭を感じなかった。
でも本棚にはエロ本があるし、ジャンプとマガジンばっかで、まるで男の独身寮に紛れ込んだような感じはある。
宿のおばちゃんがすごい明るいいい人だったので安心したよ。
おいしいブラジル料理のお店にも連れて行ってくれたし。
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一般的なブラジル料理(うまい!)。1枚目の写真のように、中央のお皿は空で出てくるので、その皿に周りの白飯や煮豆や肉料理のせて粉チーズみたいなの振り掛けて食べる。美味し!!!!4.5レアル。
日本の真裏にある日本
さて、ブラジルにきたら絶対に行ってみたかったところ
それが
「リベルダージ」の日系人街。
日本人移民が中心になっている
いわばチャイナタウンならぬジャパンタウンだ。
世界で、ちゃんと日本人街として機能してるのって
LAのリトル東京とここだけなんだって。
通りの入り口には、赤い鳥居がドドーン!と構え
通りにはずっとちょうちんが並ぶ。
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街は「○○商店」「△△屋」てな漢字だらけで
普通に日本の駅前商店街ってかんじ。
商店には、みそ・ラーメン・つくだに・ひじき・大根・そうめん・しょうゆ類なんでもある!
お菓子だって和菓子だって何でもある!
しょうゆは意外に他の街でも手に入るので、私はずっと「ごはんですよ」のようなものが食べたかったので、のり佃煮を購入!
あと、アルゼンチンでの肉三昧に供えて「焼肉のたれ」(笑)。
愛する「ごま味らーめん」がなかったのが非常に残念!
そして、ずっと欲しかった軽石もあった!
ほんと旅に出て歩きすぎなのか足の裏がおっさんみたいだよ…これでちょっとお手入れしなくては。
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普通に日本の商店街。
しかし、ほんと探しても探しても「温泉の素」がないんだよね~!
パラグアイの「ホテル内山田」にはバスタブがあるそうなので、入れて入りたかったのに~。
なんか成分が輸入的にまずいのか?
本や雑誌も3ヶ月遅れで手に入る。
「女性自身」を買おうかどうか激しく迷ってしまった。
しかし、店頭に「あなたの"2004"年後半を占う!」ってananを置いとくのはどうかと思う。(現在2005年夏)
でもここがチャイナタウンと違うのは、チャイナタウンが完全に中国人のために作られているのに比べ、ここは現地のブラジル人たちも店を構えたり、フツーに遊んだりして、地元に溶け込んでる気がする。
この街のことをもっと詳しく知りたくて、宿のすぐ近くにある「ブラジル日本移民資料館」へ。
1997年の天皇・皇后様の南米訪問時の歓迎式典はものすごいフィーバー(死語)だったそうだ。
ブラジルへの移民が始まったのがおよそ100年前。
100年前といったら明治のだいたい終わりごろ。
一般国民の海外旅行なんて考えられなかった時代に、こんな地球の真裏に夢を求めてやってきた、たくましい日本人たちがいたのだ。
2世3世になろうとも、今の日本が失いかけてる日本らしさをずっと守っている、ここリベルダージ。
また、この日は移民資料館の隣のホールでチャリティコンサートやってた。
「終戦60周年に聴く日本の心の歌」ってテーマ。
事前に、聴きたい曲を募集したみたい。
「長崎の鐘」「麦と兵隊」「誰か故郷を思わざる」「川の流れのように」「荒城の月」「岸壁の母」「リンゴの唄」…。
いろんな地元の歌手が年代別に歌い上げる。
自分が老人になったとき、こんな集まりが出来るだろうか。
そして、どんな曲が聴きたいというのだろうか。
今の曲なんて、数か月経ったら古いって感じで、どんどん使い捨てられてる。
この人たちは、その時代を思い出すいつまでも歌い継がれる曲があっていいなあ、と思った。
客はほとんど白髪頭の方ばかり。2世3世くらいだろうか。こちらで生まれて育っても、アイデンティティーはやはり日本なんだね。
泣いてる方もいたし。
ほんとにここリベルダージは「もうひとつの日本」だ。
いや、ほんとの日本より日本らしいのではないか?
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みんなが、「あんなとこ行っても何もないよ!」「つまんないだけだよ。」って不評のパラグアイ。
そこにも日本人コロニーがあって、普通に日本の街があるそうで、そこでは学校の授業はすべて日本語でやっているそうだ。
やっぱり行ってみよう。なんかこの旅
世界を回って世界を知るというより
改めて日本を知る
って感じだ。
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