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★1ペソ=約10円(当時)
2005/2/22
初空港お泊り
シカゴからメキシコシティに向かう飛行機の中は
今までと客層ががらっと一変し、帰省するメキシコ人だらけ。
アジア人、ていうか外国人は多分私だけだった。
私の隣もメキシコ人で、さっそくつたないスペイン語と英語まじりで会話した。
さあ。4時間後、メキシコシティ空港に着いた。
時間は夜11時半過ぎ。
こんな時間に自ら街に出るなんて
ネギしょってだし汁と食後のうどんまで
しょってるカモそのものである。
ていうか金はいいけど命が危ない。
なので朝まで空港内にいることにする。
できれば入国手続き前に泊まりたかったのだが、
何かあるといけないので(荷物もあるし)一応、到着ロビーまで出た。
見るとそこらに人はポチポチ寝てるのだが、
1階の到着ロビーで寝るのは人の出入りが多いし怖いので2階へ行く。
何かの店の前に陣取り、横になったところ、3階に「JAL」の文字を発見!
おお、あれってラウンジじゃないのか?
私は一応JAL会員でマイルもいくばくかあるので、もしかしたら使えるかも。
それがダメでも同じ日本人同士、なんとかしてくれるかも、と大期待し、止まったエスカレーターをエッチラオッチラ、荷物を引きずりながらたどり着く。
…無念。閉まっていた。
隣にノースウェストのラウンジもあって
その前で2人寝てたので私もJALの前で寝る事にした。
柵に荷物とチェーンをかけ、LAの宿のマネジャーから
餞別に頂いたダウンジャケットを腰に巻き(腰に貴重品あるから)
バスタオルを床にしいて、就寝準備。
寝返りをうったときだ。
向かいに「ヒルトンホテル」の入り口が見えた。
超高級ホテルヒルトンを眺めながら、ある意味野宿をするのは
なかなか自虐的でいい気分だったわ。
初日本人宿
朝になり、掃除のおっちゃんに起こされ追い払われ、
しょうがないので2階へ降りた。
時間はまだ6時。
疲れたのですぐ宿に行きたいけど、こんな朝早くから電話しても迷惑だろうな~と日本人的配慮で、8時まで時間をつぶすことに。
しかし今時、空港内のいたるところでガンガンたばこが吸えるのがすごいよ、ここ。
↑
やっぱりタコスでしょう!ボリュームたっぷりで、
食べてると向こう側からボロボロおちる。もう、2個くらいでおなかいっぱいになる。
さて、世界各地には「日本人宿」というものが存在する。
その土地にほれ込んで住んでいる日本人とか、現地の人と結婚した人が経営する宿で、泊り客はほとんど日本人。
キッチンは日本食だらけ。
まんがや情報ノートなども豊富。
中には何ヶ月も何年もそこに泊まり続ける人もいる。
(旅用語で「沈没」というらしい。)
せっかく世界を回っているのに何を好き好んでそんなところへ…と思う方も多いだろう。
私もそう思っていた一人なのだが、やはり中米という場所にビビリも入っていたので、最初くらいは安心したくて日本人宿をとることにした。
メキシコシティの有名な日本人宿は「ペンションアミーゴ」と「サンフェルナンド館」。
私は、アミーゴの方が安いし、LAで泊まったホテルのマネジャーがよく知ってるということで預かり物もあったので、アミーゴを選択させて頂いた。
ネットの情報より全然キレイ。いい感じ。
部屋もドミしかなかったけど、ベッドが1段ベッドだったので良かった~。
しかし、女の子たちの美人度が高いよ、ここ。
ちゃんとお化粧してるし。
とにかく、おとといはグレハンのバスの中で一泊、昨日は空港で一泊だったので体中が痛いし眠い!
到着後、「ふとんだよ~!」って感じで枕を抱きしめ、爆睡した。
あ!そうそう。
シャワーを浴びたとき、タオルで顔を拭いたら血がついた。
は、はなぢ?
小学生以来だよ~、鼻血。
やっぱり高地(富士山並み)の気圧のせいか。
ふと見ると、持ってたチビラーメンがすごいことになっていた。
↑
ネットカフェに3時間いたら60ペソだった。
宿代が50ペソなので「わあ、宿代より高いよ!」って言ったら
受け付けのお兄ちゃんが爆笑してた。
さて、同じ日に着いた、旅10ヶ月目のみゆちゃんという子と仲良くなった。
みゆちゃんはマッサージ師で、きのうはみゆちゃんの知り合いの人の練習台としてマッサージをたっぷりしてもらった。
「首の骨、ずれてますよ。」って言われたんですけど。
さて、あしたはいよいよ人生初遺跡ティオティワカンだ~!!
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キューバ帰りのみゆちゃんが見せてくれたゲバラ通貨
激ウマ!サンドイッチ。アボガド、ハム、チーズ、ベーコンなどがた~っぷり!これで12ペソ。2人で半分こでちょうどいい。