言語化。
以前はほぼ聞かれなかった言葉です。
しかし今は日常でよく聞く言葉になりました。
なんでもかんでも言語化。
いつでもどこでも言語化。
誰でも彼でも言語化。
社会人として生きていくための必須ツールが言語化だ。
いま書店に行くと「言語化」という言葉をつけた書籍がとても多いことに気づきます。
そしてベストセラーの棚や、平台に積まれている本の中に言語化とつけたものが目立ちます。
かく言う私も先日購入した本は、直木賞作家 小川哲さんの書いた「言語化するための小説思考」(講談社)。
小説を書く時に作家の頭の中はどうなっているのかを解説している本で、小説家ではない私とは発想が違うのだろうなあと興味をもって購入しました。
(写真 現代ビジネスより)
また、同時に購入したもう一冊は、お客様に紹介された三宅香帆さんの「「「好き」を言語化する技術」(ディスカヴァー・トゥウェンティ・ワン)。
こちらは24年に発売されてからロングセラーとなって売れていて、女性の読者が多いのだそうです。
女性が共感するような内容がまとめられています。
言語化とはうまく言葉に表現できないところを言葉にまとめてくれる、まとめられる技法のようにとらえられています。
うまく言葉や文章にすることを言語化と呼ぶくらいの軽い感じで使われています。
最近ではAIで書くプロンプトで言葉が重要になってきたため、そこでどのように言葉で表現するかを言語化と呼ぶことも増えています。
いずれにしても、この言語化がうまくできないと、できるビジネスマンではない という感じになっています。
このような流れが強まってくる傾向は以前から指摘されていました。
それは、世の中のコミュニケーションのあり方が「低コンテクスト化しつつある」という市的です。
低コンテクスト化とは低文脈化という意味。
背景や歴史、環境や場の雰囲気など、わかる人がわかるという内容ではだめになってきているという意味です。
そのような背景がなくても、深く知らない人にもわかるような内容にしなければコミュニケーションではないという感覚が今はあるということです。
これは行き過ぎるとかなり危ない。
深い知識をもたなくてもわかるようにするとか、しっかり分析しなくても理解できるようになるということは、物事を芯から理解する、自分の頭で考えて言葉をひねりだすということを待てなくなっているということでもあるからです。
この低コンテクスト化は「タイパ」という言葉を広めた稲田豊史さんと話をした時にでてきた言葉です。
だからこそタイパを求める人が増えているのだ、できるだけムダを省きたいという発想がZ世代で広がっているのだということでした。
しかし実際には言葉で表現できないことはたくさんあります。
見て覚えてほしいこともあります。
経験して学んでほしいこともあります。
説明せずに、何度も何度も繰り返すことではじめてニュアンスがわかることもあります。
私のよく知る先生は、「これはなかなか言葉にはできないんだが・・・」と表現されます。
説明が難しいことって重要なことほど多い気がします。
上達していく過程にはこうした言語化できないけど重要なことも多々あります。
私たちは表面的な言語化に流されず、きちんと物事を理解するというプロセスを忘れてはいけないように思います。
とかくなんでも簡単に済まそうという時代だからこそ、ムダと思えるようなことにしっかりと頭と時間を使えるようになりたいものです。
今日も言語化できないことを大切にしていけるいける!!
