『クリシュナムルティがいたとき』(17)

メアリー・ジンバリストによる回想

 

高橋ヒロヤス

 

『クリシュナムルティがいたとき』(原書『In The Presence of Krishnamurti』、メアリー・ジンバリスト著)という本の中で、特筆すべき部分を紹介する。

 

この本は、クリシュナムルティ(以下単に「K」ともいう)が70歳のときから91歳で亡くなるまで彼の同伴者として付き添ったメアリー・ジンバリストという女性が、彼女自身の日記を元にインタビューに答える形で詳細に回顧した記録であり、原文(英語)はインターネット(http://inthepresenceofk.org/)でも読める。

 

日本語も出版されているが、上巻・下巻ともに百科事典のようなボリュームがあり、全部読み通すのはかなりの時間と労力がかかる。この膨大な記録の中から、ほとんどの読者にとってはどうでもよい瑣事は避けて、Kの人となりやKの教えを知る上で興味深い部分のみを、年代順に紹介してみたいというのがこの企画の趣旨である。

 

 

1980年2月1日、メアリーと離れて一人でインドに行ったKがロンドンに戻ってくる。

メアリーのいないインドでのKの様子は、ププル・ジャヤカールの伝記や他のインド人による本にまとめられている。

 

その一人が、クリシュナムルティの甥にあたるジッドゥ・ナラヤンである。彼は一時期英国のシュタイナー学校の教師をしていた。彼が書いた本は日本語にも訳されていて(『知られざるクリシュナムルティ』玉井辰也訳、太陽出版)、その中からエピソードをひとつ紹介する。

 

ある日、午前11時頃にナラヤンともう一人がKの部屋に来るように呼ばれた。Kは朝の沐浴を終えたところで、バスローブを身にまとい、両足を伸ばしてベッドの上に座っていた。

 

Kは彼らの方を向くと、「仏陀が今ここにいらっしゃる。何か質問があれば・・・」と語りかけた。ナラヤンはKの相貌が変容し、両眼が煌々と光輝き、名状しがたい威厳と美に満ちた顔貌となるのを見た。

 

「私の教えの精髄は何だと思う? 言ってみてごらん」とKが言った。

 

ナラヤンは若干の躊躇と共に「あなたは世界だ You are the world」と答えた。

 

「他には?」

 

誰もそれ以上は答えられなかった。

 

Kはみずから「見る者は見られるもの The observer is the observed」と答えた。

 

それ以上議論が進展しないのを見て、Kは終了を告げた。

 

ナラヤンはそのときの彼の神々しい相貌を忘れることができなかったという。

 

メアリー・ジンバリストの日記に戻る。

 

2月5日にロサンゼルスでKとメアリーが再会。『キッチン日記』という本を書いたことで知られる、料理人としてアーリヤ・ヴィハーラに勤めていたマイケル・クローネンらが出迎えた。洗浄されたメルセデスを見てKは喜んだ。

 

Kはメアリーに、インドのリシバレーにいるときに意識に何かがあったと言った。

 

「それは委員会(committee)か、他の何かかもしれない」と彼は言った。

 

彼は意識が遠くなり、その場にいたププル・ジャヤカールとナンディニがそれに気づいた。

彼女たちは、Kが「いなくなった」と後にKに語ったという。

 

またKはメアリーに、毎日手紙を書いてくれないと彼女のことが意識から消えてしまう、とも言った。Kがメアリーに手紙を書くのはメアリーのことを忘れないようにするためだという。

 

Kがしばしば言う「委員会(committee)」とは何なのかについて、メアリーは彼女なりの見解があるようだが、はっきりとは述べていない。彼女はそれを「非物理的なレベルでの何らかのグループ」であるといい、「それでKの運命や物事が決まる」という。

 

2月7日、Kはリシ・バレーで始まった何かが彼にものすごいエネルギーを与え、頭脳が充填されたと言った。彼は自分がどれくらい生きるかについての考えを変えた、もっと長く生きるかもしれない、とも言った。

 

彼は関係者たちとKの財団をどうするかについて話し合い、「自分(K)がここで十分に使われていない」と言い、この件について話し合う必要があると言った。

 

Kの学校でも、校長のマーク・リーの運営が独裁的だということで教職員の不満が噴出して大変な状況にあった。

 

2月16日、クリシュナジは財団のエルナ・リリーフェルトと夫のテオを午前10時に呼んで、再び「自分がここで十分に活用されていない」という問題を投げかけた。

 

「何も理解できない先生たちと2ヶ月も話し続けるだけなのか?」と彼は言った。

 

彼には、自分をより深いところに押し込んでくれる誰かの挑戦を必要としていた。

しかしどうすればそのような人を見つけられるのかが分からなかった。

 

彼は科学者にはあまり興味がないといい、芸術家、音楽家、ジャーナリスト、宗教志向の人々はすでに自分の信念を持っているとの理由で除外した。

普通の人を見つけるのは難しい。Kの言うことを真剣に検討する知的な人々はどこにいるのだろうか?

 

「もしかしたら、いないのかもしれません。おそらくこれが本来あるべき姿なのかもしれません。私には不平不満はありませんが、もったいないことです。」

 

このままでは彼の意識がこの世界からますます遠ざかってしまう危険性がある、とKは感じていた。

インドでは多くのことが行われているが、それは外面的な反応や活動であり、学校の設立を支援したり、奉仕や寄付したりすることは、内面の探求とは別のことだ。

 

メアリーは非常に苦痛を感じた。仏陀には自分を理解する弟子が二人しかいなかったが、二人とも仏陀よりも前に亡くなってしまった、とKが語るたびに、ナイフで心をえぐられるような気持がした。

 

彼女はKにどんなことでもしてあげたいと思っているが、彼にとって最も重要な贈り物を与えることができない。メアリーはKにふさわしい人物をみつけることができない。メアリーは自分がKと一緒に探求する能力がないことを嘆いた。

 

雨が降り続いていた。パシフィック・コースト・ハイウェイは通行止めとなっており、マリブには電気が通っておらず、雨は烈しくなる一方だった。

 

Kの一行は、雨が小康状態になると、リリーフェルト家まで歩いて、それから池に行った。 茶色い水の激流が道路に流れ込んだ岩の上で轟音を立てていた。Kはそれを子供のようにじっと眺めていた。

 

つづく

 

(メルマガMUGA第158号・2024年9月15日配信・掲載記事)