できることはできる人がする

テーマ:
おじいちゃん

世の中には不条理なことがあります。
不条理は、別役実の世界だけでたくさんです。
おじいちゃんの弟は一族の不幸を全部一人で引き受けています。
良いことも悪いこともみんなに均等にきたらいいのに。
手を差し伸べたくても、何も出来ないことに天を仰ぎます。
時には何もしないことが助けになります。
「忘れていないよ」と、「何かあったら言ってね」と、切れない細さでメッセージを送り続けることが大事だと思います。
そして、藁にもすがる思いで何かを求められたら、その時はちゃんと受け止めてあげられるようにすることが大事だと思います。
頼まれたことを出来ないかもしれない。
それでも、何かできることはあるはずです。
時々、「いい人だと思われたくない」と言う人がいます。
助けを求めてる人は、掴めるものはなんでもつかみたい。
もし助けられるなら、周りの目なんか気にしないでほしいものです。
通りすがりの人でも助けてもらえたら嬉しいです。
助けた人に見返りを求めたり、お礼されたらと考えるからややこしくなるのではないですかね。
もし、誰かに助けてもらって感謝するなら、自分が助けてもらいたい時に、その場にいる人に遠慮なく助けを求めたらいいと思います。
そう言う世の中にまたなると良いと思います。
私が子どもの頃の下町はそんな感じでしたけどね。

出来ることをできる人がする世の中でありますようにと願う孫より

先生と呼ばないで

テーマ:

父上様

 

まったくもってありがたくないことに我が家の人々は相変わらず「先生の家の○○さん」と呼ばれています。

その先生が「父上」(しばらく更新していなかったので補足するとここの父上は実父ではなく、祖父のあだ名)であった時はよかったのです。

しかし、いつの間にかその先生が私になっているというではありませんか!

母は嫁に来て以来「先生の家のお嫁さん」でしたが、最近は「先生のお母さん」と呼ばれることがあるそうです。

そんな家のある所には全然帰りたくなくちゃうよ!おじいちゃん!

そりゃ亡くなって40年以上たっても「先生の家」と生徒たちから尊敬されていた父上の教え子もだんだんと雲の上の住人になる時代です。

人々と共に風化していくと思っていたんですけどねえ。

私は何のお免状もなく、教員資格もなく、ただ幼いころからお稽古ごとのおっしょさんについてウロウロしていただけです。

長く弟子をやっていると、先生補佐で生徒さんに教えることもあり、だんだんと「先生お忙しいならお弟子さんでも」と言われ、どこに出かけて行って教える羽目になることがあります。

何しろ私の取り柄と言えば「やめない」ことだけで、あとはなんにもありません。ただ「長くやっているだけ」なのです。

だから「先生」と呼ばれることは非常に抵抗があります。

世の中には何の先生だか?なのに「先生」と呼ばれたい人もいるのが不思議です。

 

父上のお気に入りの教え子が亡くなりました。

そりゃそうですよね。80の声を聞けば、亡くなってもおかしくありません。

ラックのおじさん、犬のラックだって亡くなってからもうふた昔以上です。

母の思い出「今日はラックの家で呑んできた」と、ご機嫌で帰宅する父上のほろ酔いで満足した顔。

ラックのおじさんは物静かでしたが、奥さんであるラックのおばさんは「先生の家のお孫さん」と私たち姉弟のことがわかってからは、とても良くしてくださいました。

不思議なことに、私がエジプトから帰ると必ず通りで会うのです。

駅前で信号待ちをしていると、行き交う車越しにおばさんは私を見つけて、両手を上げて私を呼ぶのです。

「いつ帰ってきたの!」

すれ違ってもわからなくてもおかしくないのに、同じ町内のおばさんという存在は、普通なら大人になった近所の子どもの顔など覚えていないでしょうに。

「先生の家」の人を大事にしてくれる教え子のお嫁さんたちは、ラックのおばさん以外にもいます。

ああ、なんと偉大な祖父を持ったことでしょう!
だからやっぱり、イヤなんです。「先生」と呼ばれるのは。

私はいつまでも「先生の家のお孫さん」でありたいのです。

 

先生の孫より

若年介護者

テーマ:

おじちゃん、もうすぐ命日が来ます。


暑い暑い、夏でした。

あの夏の暑さを忘れることはないでしょう。


18歳になって、就職して、おじちゃんにお願いに行きました。

「おじちゃんのお手伝いをさせてください」

おじちゃんにも反対させるつもりはなく、硬い決心でした。

「簡単に言わないでくれ。途中でやめられた時、つらいのはおじちゃんなんだ。

だから結構だよ、君」

きっぱりと断られました。

でも、「はい、そうですか」と引き下がるわけにはいきません。

私は自分の人生の中に、おじちゃんの眉間のしわをとって、生きててよかった。孤独じゃなかったんだと思ってから死を迎えてもらうと言うのを、組み込んでいたのですから。

周りの人に、仏の足利さんと呼ばれて、大勢の人に囲まれているのに、

おじちゃんは「おじちゃんは孤独なんだ」ということがありました。

小さいころ、それが判りませんでした。でもとても心に引っかかっていました。

観察はお手の物です。

チビでもよく見ていれば、それが何のことかだんだんわかってきました。

おじちゃんが本当に助けを求めていたことに対して、

誰も手を差し伸べないどころか、気がついてさえいない人も大勢いました。

こんなに人のために尽くしているのに、

その人が絶望のどん底にいて、眉間に深いしわを寄せて、顔では笑っている。

細かい計算はできないけれど、どう考えても、重病を抱えた大叔父さんの寿命は長くない。

もし長生きして、計画が狂っても、それはうれしい誤算になる。


実際のところ、うれしい誤算で、おじちゃんはちょっとばかり長生きして、

私は自分の青春を本当におじちゃんたちに捧げてしまったと、

どっと疲れて、倒れてしまいました。

でもその時は、私の精気を吸ったかのように、年寄りチームは全員イキイキしていました。

もう誰も死なないで、蟒蛇みたいに生き続けて、

私が孤独に死んでいくに違いない…


しかし、そんなことはなくて、

おじちゃんは「孤独だ」と言わなくなり、眉間のしわも薄くなりました。

あの、夏。


おじちゃんは、毎夏私たちを、海の家に招待してくれていました。

8月14日から16日。


意識がなくなって数日、おじちゃんの眉間に再び深くしわが刻まれました。

計算していたんですねえ。

あと何日で14日が来る。

この日に死んだら、民んが忘れないに違いない。

違いますか?


私は毎日病院まで片道最低2時間半、暑い中通っていました。

14日の夕方、引力に引っ張られるみたいに、

私の手から血の気がなくなるくらい、ぎゅっとつかんで離さない手を、

ようよう振りほどいて「明日も来るから、今日は帰るね」と言って、病室を出ました。

明日が来ないことを、私は知らなくて、おじちゃんは知っていたんでしょう。

14日だということをもっと意識していればよかったのにと、どれだけ思ったか知れません。


手を振りほどいた瞬間の、血がわ~と指先まで戻ってくるしびれた感じをよく覚えています。

後から思うのです。

今でも思うのです。

「君よ、君の手が離れたら、風船みたいにおじちゃんは行ってしまうんだよ」

「ああ、聞こえないか。君」

そう言っていたのではありませんか?


あんなにもあんなにも、この世にいるために一生懸命握っていた手を、

むりやりほどかれてしまった。


お盆で火葬場があいてなくて、お坊さんもいなくて。

だから私たちはずっと一緒にいて、長いお葬式をすることができました。

びっくりするくらい、体が柔らかくて、笑顔になって、

眉間のしわが伸びて、お別れの時が来ました。


18歳から30歳になるまでの貴重な時間を、おじちゃんと一緒にいて私は幸せでした。

そうしなかったら…

でも、きっと大きな後悔を抱えて生きていくことになったと思います。


若年介護者の多くは、自分の本心を誰にも言えず、大きな孤独を孤独と知らず抱えていることがあります。

人生経験も浅いために、理解されないことも多いです。

今ようやく、「若年介護者」に目が向けらるようになってきました。

人は一人では生きられないということを、誰しもが意識的に考えて行動する世の中になってほしいと思います。


青春をチョイスしなかったをちょっと後悔している孫より

おじいちゃんの物売り

テーマ:
おじいちゃん、扇風機が恋しいです。

古い換気扇をもらってきては、天井からつるす扇風機をよく作っていましたね。
たくさんあったのに、いつの間にかみんなありません。
昔の換気扇、今エジプトのフラットについていますが、電気が断線していて、風で回るだけで何の意味もありません。
台所に大きな窓があるので、必要ないので直す気もありません。
砂が入ってくるのでふさごうかしら?
寝室には、エアコンはあるけれど、扇風機はありません。
熱帯夜の日は、さすがの私もちょっと空気を撹拌したくなります。
おじいちゃんの換気扇扇風機があったら、ちょっとひっかけて使えるのに!
お風呂場にあったのが、一番役に立ちましたね。
懐かしいなぁ。

換気扇を見るとおじいちゃんを思い出す孫より

駆け込みお情け

テーマ:
拝啓、父上様。

あなたの息子は、死ぬまで変わらない小僧っ子のようです。
お父さんは私に何もしたくないし、自分のこともかまわれたくない。
まったくというわけではありませんが、往々にしてそうです。
私が看病も介護も全くしない人がいたとすれば、それはお父さんでした。
まあ、本人が望まないんだから仕方ありません。

さて、私がエジプトへ行って1年帰らないと言った、その出発日目前。
斜めに歩くお父さんがいました。
聞けば、パンツもはけないというではありませんか!
どう見ても脳梗塞か何かを起こしています。
私の言うことは絶対認めません。
もう会うこともないかもしれないから、一回だけお願いを聞いて。一緒に病院へ行きましょうと言っても聞く耳を持ちません。

ずっと見張っていたのに、はっと気が付いたら車で出かけてしまいました。
もうどうしようもありません。
と、すぐに戻ってきて、「おい、医者へ行くぞ」と言うではありませんか!
車で出てすぐ、ガードレールにぶつかったとの事。
ガードレールでよかったものの、これが人や動物だったら!
ガードレールにぶつからなかったら、医者に行く決心もつかなかったのです。

さて、そうなれば私は私はなれていますから早いです。
近所の主治医は脳外科医ですが、入院設備がありません。
入院するのに別の病院と言われた段階でまた家に帰ってしまうかもしれません。
医者の良し悪しはともかく、家族にとって都合のいい(通うのに)総合病院へ連行。
病院嫌いの上に、この上まだ「大丈夫」と思っているお父さんは全然先生に説明ができません。
結局私が全部説明しました。

もちろん即入院。

私のことはあんまり興味がないお父さんです。
退院してきた翌日の朝、私がスーツケースを持って立っていて「え?もう行くの」
はい、「生きていたら又会いましょうねえ」
ピーコと一緒に駅まで送ってくれました。
そのピーコは、私が出かけた後寝込んで、そちらに行ってしまうとは、この時は思いもよりませんでした。
だって、「父ちゃん帰ってきた!」と、大喜びで、お父さんの顔しか見ていませんでした。

ピーコがお父さんの病気をもって行ってくれたんでしょうねえ。
そして、私がいつも言っている、「小さな後悔はしても、大きな後悔はしない」これを、神様が叶えてくれたかなと思いました。
私のいない間にお父さんが倒れたら、きっと後悔するでしょう。
だから駆け込みで…

おかげで、私は一年留守にすると言うのに、忘年会や新年会と言う素敵な口実の元、いろんな人に会っておくつもりだったのに、ほとんどの人に会えませんでした。
まったく、まったく、まったくもうです。

あれから一年半。
私は心置きなく、異国の空の下。


感謝して、影膳据える孫より

小さな後悔大きな後悔

テーマ:

おばあちゃん


おばあちゃんがそちらに行ってしまってから、私はパタリと手紙を書かなくなってしまいました。

何しろ、あの世にいるみなさんにお伝え大したいのは、たいていおばあちゃんの事でしたから。

たまに思い出して考えてみます。

果たして私とお母さんとおばあちゃんは仲が悪かったのかどうか。


江戸っ子です。

おばあちゃんは由緒正しい江戸っ子です。

動坂小町の娘で、女学校時代は学園祭に芸者を呼んで新聞に載っちゃう、

ちゃきちゃきです。

その孫なんだから、当然私も江戸っ子です。


絶対いいことなんかいいやしません。

おいしくたって、素晴らしくったって、きれいだって、

自分の大好きな人には、反対のことしか言いません。

それを言っても大丈夫な関係が、本当の家族で友達なんだとおばあちゃんは言っていましたよね。

悪態つける相手がいなくなって困ります。

楽しかたねえ。

仕事が終わると急いで帰って「ただいま~」と言うと、

「耳を貸しな…このバカ!」と、近づけた耳に怒鳴られ、

「帰ってきてやったのにバカとは何だ!」と怒鳴り返すと、

その怒鳴り返したところに、おばさんが入ってきて…

「おばあちゃんに向かってバカとは!」とまた怒鳴られる。

漫画みたいな生活でした。


おばあちゃんの命日はもうすぐですね。

今エジプトは断食月です。

断食月になると、杏の絵の描いたのし梅みたいなものが売られます。
私はかなり前からその存在を知っていたのに、

どうやって食べるかを誰にも聞きませんでした。

今年初めて自分で買ってみました。

小さくちぎって、お水に入れて溶かすだけで杏ジュースができます。


おばあちゃんは疎開先でよく食べた信州の杏が大好きでした。

杏は固くて、晩年は中々食べさせてあげることができませんでした。

私はどうして、こののし梅みたいな杏の食べ方を誰にも聞かなかったのでしょう。

もし、聞いて知っていれば、

おばあちゃんにたくさん杏ジュースを飲ませてあげられたのに。

断食月になると私はこのことを思い出して、小さな後悔を毎年することでしょう。


大きな後悔はしないけど、小さな後悔はいいね。

思い出がいつも色鮮やかです。


杏ジュースを飲んで供養する孫より


ついてきちゃだめ!

テーマ:
おじいちゃん、お晩です。

長らく筆を置いていました。
いやなに、ちょっとばかり浮世をはかなんでおりました。
さて、おばあちゃんですが、しばらく「ダメダメ!」と言わずに、笑顔で対応をしておりましたが、
それでも私は「小生意気な小娘」でした。
この人好き、この人嫌いがあるのはいいことです。頭を使いますので。
しかし、「小生意気な小娘」で、ヤダナ~とは思うけれど、それだけ。
それ以上の感情にはならないので、かえって認知が進んでしまいました。
そこで、最近また、私は「ダメダメ」係を担当。
イラッとしたり、怒ったり、いろんな感情がまた表れてきました。
前よりも進んでいると感じるのは、「ダメ!」と何かを取り上げた後、5分も経たないうちに私が「わ~かわいい!」と、笑顔でTVに写った赤ちゃんなどを指差すと「ま~!なんて可愛いんでしょう」と、コロコロ笑い声を上げることです。
以前であれば、私の言うものなどには見向きもしないし、ブツブツ恐ろしげな私の悪口をつぶやいていたのに、もう満面の笑みで、私とかみ合わないながらも、話をしようとします。

今日は、私が出勤するタイミングで、お母さんがおばちゃんとおばあちゃんを散歩に連れ出しました。
すると、私についてくるではないですか。
お母さんはおばちゃんの車椅子を押しているので、捕まえに来られません。
私は駅に向かいたい…
「おばあちゃんは、お母さんと一緒にお散歩行くのよ!私と一緒にいって、お仕事するの?」と、何度も追い返しますが、ついてきます。
「なんだか判らないからね。あるけって言うから、歩くんですよ」と、全然人の言うことを聞いていません。
私くらいの年だと、本当は己の子が、「行っちゃヤダ~!」と言って、来るのでしょうが、私の場合は「私を小生意気な小娘」と思っているおばあちゃんと言うのが、妙な図式です。
それにしても、アルツハイマーの人の歩く速度の早いのには、本当に閉口させられます。
お願いだから、ふたたび徘徊が始まりませんように!それを祈るばかりです。
「ついてきちゃダメ!」が花ですよね?
「どっかいっちゃダメ!」と、言っても仕方のないことで怒鳴る日がきませんように。

ダメダメ担当の孫より

名前を呼ばれる時

テーマ:
おじいちゃん、今年は大雪です。
ゲリラ雪なんだそうです。初めてききました。

相変わらず、おばあちゃんと私は険悪です。私が何を言っても言うことを聞いてくれません。
「鍋が熱いから触らないで」
「ゴミ箱に手を入れないで」
「室内履の踵を踏まないで」
どれもケガをしてほしくないからかける言葉ですが「うるさいねぇ。ハイハイわかりましたよ。もう何にもしませんよ!」とプンスカした後、3分と経たないうちにまた同じことを繰り返します。

何度も繰り返すうちに、こちらも声をかけるタイミングが早くなってしまう事があります。
おばあちゃんが立ち上がった瞬間「あっ!」と言ってしまうのは年中です。
最近、そんな風に先走った瞬間に私の名前を呼ぶ事があります。
それこそ仰天します。日常的には、自分の事以外、誰の事も判らないのに、何故このタイミングでのみ思い出すのでしょう。
もっとも、1分後に聞いても「誰でしょね?」と、目が泳いでいます。

防衛本能でしょうか?

できることなら、楽しい時に名前を呼んでもらいたい孫より

おじいちゃん、♪なんでもクルクルしちゃって、どうしてかな~♪
と、毎日うたっていたのが懐かしい今日この頃です。


とにかくなんでもクルクルしちゃうのです。
新聞、包装紙、タオル、洋服、スーパーの袋、ありとあらゆるものをクルクルしていました。
新聞などは、一枚ずつはがして、全部をクルクルするので迷惑この上ありませんでした。
ごみ箱から、泥野菜を包んでいた新聞紙やお肉屋さんの紙なども拾い上げてするので、散らかるわ不衛生だわ…
こちとら、目の前がクルクルしちゃったものです。


クルクル全盛期、ちょうど新たなショートステイ先を探していました。
施設によっていろいろと特色食がありますがその中に「おしぼりタオルを作ってもらいます」と言うものがありました。
「これだ!」
超迷惑がありがたがられるかも!
早速問い合わせすると「みなさん嫌がるんですよ。単調でつまらないから」とのこと。
フフフ、クルクルマシンがおります。馬車馬のごとく働きますよ~と売り込み成功?
とても人気のある施設で、ほとんど予約が取れないけれど、本人もルンルンでクルクルしていたようです。


なんでもクルクルして、輪ゴムで止めていたおばあちゃん。
そう、クルクル+輪ゴムこれが凶悪でした。
お手紙なんかは皺くちゃになってしまいましたから。


最近、クルクルしないんです。
ぜんぶ、ぽ~んと放り投げてしまいます。
「たたむ」ができないなら、クルクルでもいいです。
「きれいにまとめよう」という感覚が薄れてきています。



家中がロールケーキで一杯の写真を撮っておくんだったと思っている孫より

おじちゃん、寒いですね。熱燗が恋しい季節でしょうか?


空の上では、賑やかなお正月だったでしょうね。

酒はうまいし、姉ちゃんは…♪

姉さんが行きましたものねえ。

お酒を飲むのをいい顔しなかったおばあちゃんですが、今は「いっぱいやっか!」と、率先しているのではないかと思います。

なにしろ、「私は杯を断った事がない」と豪語していましたからね。


おばちゃんは千葉から東京に来る間、

車で居眠りするようになったそうです。

長い道中になったのですね。


ご飯と呼びにいったら、お手洗いに行ってまた部屋に戻ってしまった事がありました。

こんな事もついぞありませんでしたので、「ちょっとボケちゃったんじゃないの!」と言ったら、

「そうみたい!ボケちゃった!」と即答でかえってきました。

「おばちゃん、ボケている人はこういう場合「失礼ね!ボケてなんかいません」って、答えるのよ。だからまだ大丈夫ね」と返事したら、嬉しそうでした。


おばちゃんには、いつまでも自分の思った通りやりたい事をしてもらいたいと思っています。


そして、おばちゃんの背が縮まないようにとひそかに思っている孫より