<白い壁:第二章・・・3>




「私、アイスコーヒー」


メニューも見ずに、亮子は言った。


カフェインは良くないはずなんだけど、

説明を受けてないのかな?・・・そうまゆこは思ったが、

たまの楽しみにしているのなら、それに水をさしたくはない。


「私はオレンジジュースで」


まゆこは、注文を取りにきたウェイトレスにそう言ってメニューを閉じた。



「ここは・・・禁煙よね。仕方ないわ。」


煙草もよくないのに・・・まゆこは、だんだんと亮子が心配になってきた。



「まゆこさんは煙草吸わないの?」


「えぇ。吸ったことは一度もないの。ぜんそくもあるし。」


「そうなんだ。家では吸わないんだけど、外に出ると吸いたくなるのよね」



亮子はそう言って、バッグから出しかけた煙草ケースを元に戻した。



注文していた飲み物が届き、2人はストローを差すと同時に一口飲んだ。

カラカラに乾いていたのどが潤っていく。



まゆこは思い切って言ってみた。


「私が言うのもなんだけど、カフェインは控えた方がいいんじゃないかな・・・」


語尾が少し小さくなってしまった。



「あ、そういえば、先生にそう言われてたような気がするわ」


悪びれもせずにあっけらかんと亮子は言った。


「でも頼んじゃったし。今日は特別ってことでね」



亮子はまゆこを観察するような目をしないようにしながら、

話の穂を探していた。


いざ誘ってみたものの、元々は知らない者同士。

自己紹介から始めた方がいいのか?

私が聞き出していけばいいのか、逡巡していた。



前者にしようと亮子は決めて、こう切り出した。


「よく考えたら、お互い、名前くらいしか知らないのよね。

 自己紹介でもしない?」


まゆこもハッとして、そういえば・・・という感じの表情をした。


「えぇ。そうね。その方がいいかも」



「じゃぁ、言い出しっぺの私から。

 改めて・・・名前は緑川亮子。35歳。もうすぐ6になるわ。

 大谷商事に勤めていたんだけど、この病気になって休職中。

 これでも次長までいったのよ。

 結婚はしてないわ。彼氏も今のところナシ。

 気合いで買ったマンションで、一人療養中の身よ。」


コーヒーを口に運ぶ。


「最近、薬が効いているせいか、なんでもかんでも

 面倒くさくなっちゃって。

 今日もこんな手抜きのようなそうでないような格好してるの。

 おかしいわね。」


亮子はくすくす笑って、ストローをくるくると回した。

まゆこはどういう顔をしていいのかわからず、少し微笑んでみた。


「私、亮子さんはいつもちゃんとお化粧してて、

 きちんとした服を着ていてすごいなぁって思っていたの。

 私なんて、いつも化粧もほとんどしないし、らくな服装ばかりだったから」


「でも今日は、とても素敵じゃない!

 元々がいいのよね。

 髪をまとめているのも似合ってるわよ!」


御世辞じゃなくて、これは本心から出た言葉だ。



「とにかく、私はそんな感じ。

 今まで走り続けてきたせいか、上手く休めないのが悩みね、

 加減がわからないんだもの。」


あのゴミだらけの部屋を思い出しながら、

そこまで言う必要はないと亮子は考えた。


「それじゃ、まゆこさんの番」


オレンジジュースを一口飲んで、まゆこは話始めた。


「私は木内まゆこ。一応、専業主婦で・・・

 でもちゃんと家事ができてるわけじゃないけど。

 同い年の夫がいて、子供はいないわ。

 毎日、ほんとに平凡というか、同じことの繰り返しっていう感じ。」


「私のイメージ通りだわ。

 子どもがいない専業主婦だろうなとは思ってたのよ。

 子どもがいるような雰囲気がなかったし、

 まだ若そうだから、これからだろうけど。」


亮子が口を挟んできた。


「そんな、若くはないわ。亮子さんと同い年よ。

 今年36歳になる歳。

 私、童顔のせいか、年下に間違われることが多くて・・・」


悪いことをしてるわけでもないのに、まゆこは目を伏せた。


「えーっ!同い年なの?!

 てっきりだいぶ年下とばかり思ってた。

 同い年なのにこんなにも違うものなのねぇ」


半ば感心するように、亮子は頷いた。



「旦那さん、優しい人でしょ?

 まゆこさんに甘いって感じ。あってる?」


亮子はいたずらっぽく笑うとそう言ってきた。


「甘いかどうかは、でも優しい人よ。

 私のことも、病気のことも理解してくれているし。」


まゆこは自分では惚気とは気づかず、そう答えた。


「いいなぁ。そういう旦那さんがいたら、私ももう少しマシな生活を

 してるのになぁ。

 今まで、ちゃんと自分ひとりでしてきたことが、

 なかなかできなくなってきてるのがちょっと不安になるわ。」


亮子の声のトーンが少し落ちた。


「お休みする前は仕事と生活と両立してたんでしょ?

 私には無理だわ。亮子さん、すごい人ね!

 今だって、なんだかんだ言っても、自分でやっているんだもの。」


まゆこはあわてて、フォローのようなことを言った。

そうしないといけないような気がしたのだ。


「まぁね。実は、病気のこと、親にも言ってないのよ。」


アイスコーヒーを一息に飲むと、亮子は言った。


「あら、それじゃ、ほんとに一人で?」


まゆこは驚いて、思わず聞いてしまった。


「そうよ。完全に一人。友達にも言ってないし。

 知っているのは職場の一部の人だけ。

 だから、こうして病気のことを話せる相手ができて嬉しいのよ。」


亮子はにっこりと笑顔を見せた。


「亮子さん、すごいわね。

 私なんて、それに比べたら、人に甘えてばかりだわ・・・」


まゆこは少し自分を恥じた。


「いいのよ、まゆこさんにはそういう環境があったってことなんだから。

 たまたま私にはなかっただけで。

 一人でいるのにも慣れたし、誰にも何も言われずに自由にできるから

 意外と悪くないわよ」


真実の生活を隠すように、まるで、一人でいることを充実してると

思っているような口ぶりで亮子は言った。


まゆこに弱みを見せたくないとなんとなく思ったからだ。



(つづく)