栗林佐知さんの新刊『仙童たち―天狗さらいとその予後について』を読みました。

古川真人氏がTwitterで絶賛されていたからです。

栗林さんもTwitterで相互フォローいただいている作家さんで、2002年に『券売機の恩返し』で第70回小説現代新人賞を、2006年には『ぴんはらり』で第22回太宰治賞を受賞された実力者です。

 

その後、『仙童たち』に掲載されている4つの短編を光文社の『本が好き!』で2007~2009年に発表。約10年以上もあたたためてこられたこれらの短編に「残された音声」と題された現在時の学術的な記録ともいうべきパートを書き下ろされて1冊の本として発行されました。

 

まず読んで思ったのは、「優しい」ということ。作者の目線がそれぞれの主人公たちに優しく注がれているのを感じて心があたたかくなります。「天狗」というファンタジーな生き物と出会った同じ中学に通う1年生の男子2名と女子2名の生活に根差したそれぞれの苦悩が炙り出されていく様子にはらはらしました。一つひとつのキャラクターたちの身近で起きる小さな事件も、天狗と出会ったことで生じる変化もイキイキとしていて楽しいです。

 

4つの短編はそれだけでもおもしろいのですが、この本のすごいところは、交互に挿入された「残された音声」のパートがあること。最後にずらっと並べられた参考文献を見ればわかるのですが、今までの歴史にうずもれそうな記録を丹念に発掘してひとりの学芸員に発表させるという手法をとることで、「天狗は実在した」とだんだん本気で思うように仕組まれていて、まんまとその罠に落ち込んでしまいました。今は天狗に遭いたい、と思い、この作品の舞台である東京と神奈川のあたりにある大山に行って、天狗道祖神にお参りしたいくらいです。

 

子どもたちが生きる時代はたぶん、わたしが過ごした子どものころに近いはず。そのころの子どもたちが背負った悩みの本質は今も色あせることなく現代の子どもたちに繋がっているのだと感じます。さらには、主人公の子どもたちに対する親をはじめとする大人たちの姿をもくっきりと立ちあげていきます。

 

以下ラスト近くの部分を引用します。

天狗とは何か。それは神様のようにわたくしたちを守り、導いてくれる者なのか、それともわたくしたちをいがみ合わせたり、騒動を起こして喜ぶ邪霊なのか。

しかしこれは愚問でしょう。日本の神々は、西洋の神とは違います。絶対的に正しい唯一の神と、絶対的に悪い悪魔がいるのではありません。大自然がそうであるように、日本の神々は、恐ろしい力で人間を害することもあれば、わたくしたちをやさしく癒し、育んでくれもする――

常日頃わたしが考えていることでもあり、古事記の世界観を学ぶにつれて落ち着いてきたところでもあります。

 

読み終わって、おもしろい作品というだけでなく、作者の願いのようなものを感じてとてもあたたかい気持ちになりました。そして10年もの時を経て1冊の本としてこの世に送り出した栗林佐知さんの姿勢を見て、ひとりの拙い書き手ではありますが、背筋が伸びる思いでした。

 

栗林さんがTwitterで、「図書館にリクエストしてほしい」と書かれていました。どうか、ぜひこの本を読んでみてほしいとわたしも願います。