皆さま、あけましておめでとうございます。なかなか書けていませんが、今年もよろしくお願いいたします。

 

今年最初の映画は、アレハンドロ・ホドルフスキー監督・脚本の『エンドレス・ポエトリー』です。

昨日、会社出勤初日に行ってきました。最終日だったので。

 

以下映画.comから引用。

 

「エル・トポ」「ホーリー・マウンテン」などでカルト的人気を誇るアレハンドロ・ホドロフスキー監督による自伝的作品「リアリティのダンス」の続編。故郷トコピージャから首都サンティアゴへ移住したホドロフスキー一家。さまざまな悩みや葛藤を抱えたアレハンドロ青年は、後に世界的な詩人となるエンリケ・リンやニカノール・パラら、若きアーティストとの出会いにより、自分が囚われていた現実から解放される。前作に引き続き、ホドロフスキー監督の長男ブロンティス・ホドロフスキーがホドロフスキー監督の父親役を、青年となったホドロフスキー監督役を、末の息子であるアダン・ホドロフスキーが演じる。撮影は、本作がホドロフスキー作品初参加となるクリストファー・ドイル。

まず思ったのは、「詩」はアートだけれど、小説はアートではないのだ、ということ。アレハンドロが入るおかしな世界にいる、若いアーティストのなかには、小説家はいない。大阪文学学校でもいつも感じているのだけど、詩人たちは、どうやら自分たちを崇高な存在だと思っているようなそぶりを見せる。大阪文学学校はそもそも詩人によって設立されたし、代々の校長も詩人であることから、そう思っていたけれど、どうやらそれは、狭い世界にかぎったことではないということが、昨日の映画ではっきりとわかった。

 

詩も踊りも歌も、一瞬のうちに現れ、そして消える。小説と大きく違うのはその点だと思う。

 

詩人になるためには、自分が囚われていた世界から自分自身が解き放たれてこそ。アーティストたちは、詩人であるなら即興で詩を詠め、と必ずいう。アレハンドロ青年は、そのときそのときに、詩を詠み、喝采を浴びる。字幕で流れていく詩を吟味する暇はない。もしかしたら、字幕でなく生の声で聴けたなら、その良さがわかるのかな…。それも日本訳ではなく、原語で。訳がまずければ、こちらにはきっと伝わらない。

 

もともと、わたしは詩が苦手だ。詩のクラスで学んで、よかったのは他の人の「詩を感じる」ことができるようになったこと。読み解こうとするかぎり、詩の世界にはいけない。この映画がまさに、そういう世界だった。上の画像に書かれているように「マジック・リアリズム」が駆使され、現実の小さな檻から解き放たれていく精神が描かれている。とても楽しい。エロ・グロのオンパレードなのに、そこにはアートが持つ、純粋な輝きがある。穢れや汚れを感じないのだ。映像と音に身をゆだねてただ感じていればいい…そんな映画。

 

老いてなお輝きを放つアレハンドロ監督自らがときどき出てくる。そして青年アレハンドロの後ろに立ち、愛し気に肩に手を置く。

この青年と青年の父がともに、アレハンドロ監督自身の息子だとは知らなかった。なんとなく似ているはずだ。アレハンドロ監督は、自身の息子たちと同じように、若き日の自分自身を愛しんでいるのだと感じた。悩み苦しんだ自分自身が羽ばたくきっかけとなった出来事を遺したくなったのか? そのことがこれから羽ばたくはずの若きアーティストへのエールになると感じた。

 

また、この映画を観て、「マジック・リアリズム」についてもあらためて思いを馳せた。マジック・リアリズムといえば、南米文学に多くみられる。有名なのは、コロンビアのガルシア=マルケス。そして、わたしの大好きな作家、バルガス・リョサ。たぶんあまり好きではないが、村上春樹もそうかもしれない。現実のなかにぶち込まれる「ありえないこと」。ファンタジーとはちがって、あくまでも小説世界はリアルな現実にある。

 

そういう「ありえないこと」に遭遇したとき、あまり文学作品を読んだことのなかったわたしは、いちいち「なんで?」「これなに?」と立ち止まって考えてきた。だけど、いつからか、ただそれを楽しんだらいいのだ、「ありえないこと」をあるように書いてあるのだから、と思うようになった。それをありえることとして、作家が苦心して描いてることを、いちいち「なんで?」と考える必要などない。ひとつには、リズムを感じることが大事で、文体が持つリズムを体に受けて、小説の世界に想像の翼を広げて、入りこめばいい。そんなことが、だんだんわかってきた。だからこの映画もそうして楽しむことができた。

 

リアリティだけを求める人には、けっして味わうことのできない、世界にふたたび入れるようになったのは、読書体験のおかげ。そう。子どものときに、かえることができた。現実社会で生きていくためのお勉強で蝕まれてしまった子どものときに確かにあったはずの、お話しの世界に身をゆだねて楽しむ感覚が復活してきた気がする。

 

小説でも頭で考えすぎるきらいがあって、愚かでたいしたことない頭脳で考えることなんてたかが知れていることは、身をもっていやというほど味わってきた。今年は、もっともっと、精神を解き放ち、そこから何かを生みだしたい。

 

破綻することを恐れるな。

自分自身で壁をつくるな。

 

そんなことを感じさせてくれた映画だった。

 

今年もたくさん本を読み、映画を観て、小さな旅をします。よろしくお願いいたします。