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物書きの大脳辺縁系~ライター・白土勉のブログ

【大脳辺縁系】脳の中で、感情や記憶、本能行動を司る中枢となる部分。
 サラリーマンから転身した脚本家、白土勉の感情(日々思うことや気になるニュース)や記憶(今までの仕事や経験談)、本能行動(執筆に関するあれこれ)などを書こうと思います。

このところ、不況の煽りで映像業界は低調な状態が続いています。一昨年くらい

から中小の良質な制作会社が次々と倒産していまして、あの「パッチギ」や「フラ

ガール」(どちらも邦画史に残る素晴らしい作品と思うのですが)を手がけたシネ

カノンまでもが民事再生手続きを申請するに至り、業界内に衝撃が走ると共に、

底のない映像不況に暗鬱とした気持ちになったものです。


そんな暗い空気は日々の仕事の中でも肌で感じており、プロデューサーや監督

と顔を合わせる度に「どこそこの仕事がトンだ」とか、「あの会社は危ないらしい」

などという噂話が飛び交っています。


でも、映画やテレビは続々と作られているじゃないかって?


その通りです。需要がない訳ではないので、連綿と制作を続けてるところはあり

ます。映画会社や在京のテレビ局など、いわゆる大手です。これらの大手は、

自前の配給網や電波を持っていますし、そこに作品を流す必要がありますので、

作り続けなければなりません。けれど、当然のことながらこの不況下では予算

も減りますし、本数も減ります。


そうなるとどうなるか?


今まで付き合いのあった人としか仕事をしなくなり、新規の人に仕事を発注する

機会は激減するのです。実際、某フリーのプロデューサーが以前と比べて入り

込めるルートが減ったとボヤいていました。


以前から大手と付き合いのあった人は、あまり不況の影響を受けずに済みます

が、中小制作会社と仕事をしていた人々は、仕事が激減して食えなくなっている

のが現実です。私の周りでも、脚本家から監督まで、その流れを受けて仕事が

なく、苦しんでる方々が沢山います。中には、筆を折った(ライターを廃業した)

人もいる程です。幸い、私は人に恵まれているので、そこまでの状況にはなって

はおりませんが。


この状況は、果たして観客や視聴者にとって、良いことなのでしょうか?


かつて、映画が洋高邦低の状態でハリウッド映画一色になりかけた時、メディア

はこぞって日本映画の凋落を嘆き、ウェルメイドなハリウッド映画に席巻されてる

ことをを批判しました。そこには、観客が選ぶ余地のない状態、どれもこれも同じ

ような映画ばかりになったら、この国の映像文化はお終いであり、観客にとっても

不幸なことだという論調があったと記憶しています。


ですが、現在、それと似たようなこと(中小制作会社が次々倒産に追い込まれて、

大手映画会社やテレビ局の制作するものばかりになっている)が映像業界で起き

てるにも関らず、その煽りを受けた当事者以外、騒ぎ立てる人がいません。


勿論、大手の映画会社やテレビ局が作品を作ることがいけないと言ってる訳では、

毛頭ありません。私が言いたいのは、様々なルートを通じて成立する色々な作品

があって、初めて観客に選択の自由が生まれるのであり、そうなるべきではないか

と言いたいのです。


観客にとって、様々な選択肢があることは、とても重要なことだと思います。何故

なら映画にしてもテレビドラマにしても、主人公の人生の一部を追体験するという

側面がある訳であり、それを見る人も十人十色の人生を送っている訳ですから、

同じもので同じように笑い、同じように怒り、同じように感動しろという方が、無理な

ことなのです。


……と、ここからが本題なのですが(前フリ長っ!)、以下のようなニュースを見つ

けました。これは、以前に報じられたニュースの続報です。


アマゾン・スタジオ製作の映画企画が順調に進行中
 米アマゾンが1年前に立ち上げた映画製作会社アマゾン・スタジオ(Amazon Studios)が、順..........≪続きを読む≫


このように、観客自身の意見も反映されつつ、ハリウッドのメジャーの既存シス

テムとは異なる所で生まれる作品が増えるのは、とてもいいことだと思います。

何故なら、既存システムでは切り捨てられていた作品(問題作であったり、小粒

ではあるが良作だったり)が映画化される可能性が増えるでしょうし、そうなれば

より観客の選択肢の幅が広がるからです。


このようなシステムが日本にも生まれれば、中小制作会社が倒産して、小説や

漫画の映画化ばかりである日本の映像業界も大きく変わっていくかも知れません。


私が昨年連載をした「GEN-SAKU!」という電子書籍雑誌では、同様の、観客に

よる意見反映システム(バトルコロシアム)を取り入れており、非常に面白い試み

だと思った覚えがあります。書いている本人は、読者の方の率直な意見を頂ける

反面、いつ休載になるか分からないので、ヒヤヒヤものですが。


何はともあれ、現在の映像業界をより一層面白くする為に、どこかの大手企業

の方々(特に柔犬さんとかComfortable Skyさんなど)が是非、同じような試みを

してくれると嬉しいなと心から思う今日この頃なのでした。




難しいかな。



……とりあえず、まずは英語を勉強し直そっ。


「パッチギ」

監督 井筒和幸

出演 塩谷 瞬

    沢尻エリカ



「フラガール」

監督 李相日

出演 松雪泰子

    豊川悦司

    蒼井 優





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三が日が終わりましたね。今日から仕事だという方も多いかと思います。


私の仕事は、オンとオフの境が判然としません。「やる!」と決めたら仕事中

ですし、「もう嫌だ! やらん!」となれば、休みに突入です。


羨ましいとお思いの方もいらっしゃると思いますが、そう良いことばかりでも

ないんです。


オフが続けば、それは失業と同じですから。失業も、自分の意思で自由自在

なんです。少しでもサボり癖がついてしまうと、いつまででも休めてしまいます。


勿論、締切があるので、それに追われてる間は良いです。けど、一つの仕事

が終わり、次のプロットや企画書を出していないと、途端に『プチ失業状態』。


だから、それが怖くて、つい休みの日も仕事をしてしまいます。ワーカホリック

な程に、生き急いでいるかのように、書き続けるのです。


ついでに、「休み明けまでにやっといて」という締切も多いので、休みの日に

仕事せざるを得ないことも多いんです。


ここ数年はそんな状態で年を越しており、精神衛生上は良いのですが、休日

に仕事ばかりしてると、さすがに世間の方々と同様に休みを堪能したくなります。


そこで今年は、丁度、ある作品のスケジュールが若干延びたので、年末年始

に他の仕事を入れず、ゆっくりとすることにしました。


……することにした筈なのですが、やはり仕事をしております。先日からこの

ブログにも書いてるように、次の仕込みのプロットを前倒しで書いているのです。


幸い、プロデューサーの方に口頭でプレゼンしたら受けが良かったので、モチ

ベーションは上々なのですが、作品に向き合ってみると、思いの外、難産だと

分かりました。なかなか良いアイデアが出ずに、苦しんでいたのです。


そこで、ようやく本題の『アイデア発想法』です(前フリが長い!)。今回のように

アイデアに詰まった時、私がやる方法を二つご紹介します。



まず、世間で言われる『ブレイン・ストーミング』です。と言っても、会議等をする

訳ではなく、自分一人でやります。どうするかと言いますと、思いついたこと全て

を書き出すのです。どんなつまらないことも、下らな過ぎて恥ずかしいことも、

全て細大漏らさずに書き出します。


何故か?


人間の脳には、左脳と右脳があるという話をご存知の方も多いと思います。左

脳は論理的思考や言語を司り、右脳は創造性やイメージを司るというものです。


左脳は論理で考えますから、当然色々なことを瞬時に判断し、取捨選択します。

これが意識せずに行われる為、子供の頃は突拍子もないことを言い出したり、

説明されないと理解できないような発言をしたりする訳ですが、大人になると、

そういう発言はしなくなります(ごく稀にですが、そうでない方もいらっしゃいます)。


これが、創作の上では邪魔になるのです。


何故でしょう?


脳内では、無数のアイデアが次々と浮かんでいるのに、『理性』や『常識』、『周り

の目』というフィルタ(=左脳の働き)により、殆どのアイデアが葬られてしまって

いるように思うのです。それも、「無意識に」です。


へそくりを仕舞った箪笥や机が、知らない間に家族によって捨てられてしまったか

のように、貴重な、素晴らしいアイデアが、左脳により、勝手に捨てられてしまって

いるとしたら、あなたはどうしますか? 箪笥や机ならゴミ捨て場(或いは処理場)

に取りに行けばいいでしょうが、一旦失ったアイデアは、そうはいきません。


そんな状態を食い止めなければならないのです。


これらの“葬られたアイデア”の中に、実は面白いアイデアが潜んでいるのであり、

それを救い上げる為に、上記のような方法をとるのです。


『一人ブレスト』を行うには、まず絶対に人目に触れないような空間と時間を用意

します。書斎でもいいですし、会社で仕事中なら、空いている会議室でもいいかも

知れません。


そこに一枚の紙と鉛筆、或いはノートパソコンを持ち込みます。そこで自分が書く

ことは絶対に誰にも見られないのだと、心に強く言い聞かせるといいでしょう。


そして、アイデアを次々に出していくのですが、その際、何のアイデアを出したい

のかを明確にしましょう。漠然と、良いアイデア、良いアイデア……と呪文の如く

唱えても、良いアイデアが浮かんだ試しはありません(少なくとも、私の場合は)。


例を挙げれば、ただ単に「恋愛映画のアイデアを考える」でなく、「この間テレビ

で見たニュースを元にした恋愛映画のアイデアを考える」、更に言えば「この間

見たニュースにあった、こんなキャラクターの女性が主人公の恋愛映画のアイ

デアを考える」という具合に、どんなアイデアを考えたいのかを明確にする必要

があるのです。


これは、アクション映画で「主人公が危機を切り抜ける」という展開を考える場合

でも有効で、ただ「危機を切り抜ける」でなく、それがどんな危機であり、どんな

場所で誰によって、どんな危機に陥ったのか、その場所はどんな配置となって

いるのかなどを考えます。


これは、後で幾らでも変えても構いませんので、一先ず決めることが重要です。

そうすることで、色々なことを考え易くなるのです。


そうした上で、上記の『一人ブレスト』で、アイデアを思いつく限り書き出していき

ます。最初は戸惑うかも知れませんが、次第に慣れてきて、徐々に沢山書ける

ようになっていくでしょう。唯一つのルールは『思いついたことは全て書くこと=

自分のアイデアを絶対に否定しないこと』だけです。左脳に邪魔させず、右脳を

全開にして、アイデアをだだ流しにするのです。


どこまで書けばいいかというと、もうこれ以上新しいアイデアが出なくなるまで、

です。似たようなアイデアばかりになったら、そこら辺が潮時でしょう。


アイデアが出尽くしたら、そこで初めて左脳の出番です。「これは面白くない」

とか、「これは予算的に無理」、「これは、今やっても観客は見てくれない」等、

一つ一つ判断し取捨選択するのです。思いの外、良いアイデアがある筈です。


私は、この方法でずっとやってきていますし、塾や専門学校でも教えています。



二番目の方法として、それでも思いつかない時は、風呂に入ります。


何故か?


経験則で、私は風呂上がりにボーッとしている時、良いアイデアを思いついた

ことが多いと分かっているからです。


これは恐らく、人によって異なると思うのですが、良いアイデアを思いつき易い

環境があるのは間違いないと思います。それを見つけ出すには、色々と試して

みるしかないですが、概して言えば、リラックスできる環境に身を置くことがいい

のではないでしょうか。


この場合でも、疑問点を明確化しておくことは、とても大事です。気持ちの良い

環境の中で、明確にした疑問点や懸案事項を考える癖をつけることで、今まで

思いつきもしなかったような良いアイデアを生み出せると思います。



他にも色々なやり方がありますが、私がよくやる方法を二つご紹介してみました。


今日は一日中、これらのやり方でアイデアを練っていたという訳なのです。


……ハッ! 部屋に篭りっきりで、おもむろに出てきたかと思うと、風呂に入り、

出てきてボーッとする……これって、端から見ると、ただ遊んでいるようにしか

見えないんじゃ……どーりで最近、私を見る家内の目が険しい訳だ……( ̄_ ̄;



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まだ三が日中だけど、一念発起してパソコンの前に座り、プロットのファイル

を開きました。

いつまでも現実から逃げていても仕方ないですからね。


この数日中に考えついた幾つかのアイデアを書き留めている時、ふとこんな

ニュースが目に飛び込んできました。


実現可能? 夢物語? 月にメガソーラー構想で世界の総電力が発電可能に【話題】
電力問題を解決するためにいろいろなプロジェクトや構想が生まれている。その中のひとつが大手ゼネコンの清..........≪続きを読む≫



あまりに話が壮大すぎて、頭の中で「?」が無限増殖。だって、月面にメガ

ソーラーを敷設して太陽発電、ですよ? いまだ日本人が月面着陸さえして

ないのに、月面に巨大なベルトを建設すること自体が途方もないことであり、

非常に困難に思えるんです。


けど、ちょっと待てよ、と立ち止まって考えてみます。


今でこそ携帯はパソコン並みの機能を備えたスマホが中心ですが、初めて

実用化されてから三十年余、本格的に普及を始めてからは二十年ほどしか

経っていません。

普及が始まったばかりの1990年代に「携帯はパソコンと同じようになるよ」

と言ったとして、誰が真に受けたでしょうか?


時に、現実は我々の想像を遥かに超えるものです。そして、その第一歩は、

誰かの小さな思いつきから始まっているのです。その小さな思いつきは「夢」

と言い換えてもいいでしょう。


こう考えていた時、頭の中をある本の内容がよぎりました。スポーツライター

の金子達仁氏の「熱病フットボール」という本です。


同著は、金子氏が世界を股にかけてサッカー取材をする様を、卓越した文章

力で面白く、エキサイティングに描写し、読む者をぐいぐいと惹きつけます。

その中で、スペインで行われるサッカーの一大決戦(クラシコ)の取材に際し、

金子氏と同行をする予定だったカメラマンが、クラブの広報の手違いで取材者

リストに名前がなかった為に、スタジアムへの入場を断られてしまいます。


他に、フランス人とポルトガル人のジャーナリストも同様に、スタジアムの外に

取り残されてしまい、三人は広報の担当者に泣きつきますが、リストに名前が

ないという一点張りで埒が開きません。けど、三人で必死に食らいついた結果、

ある面白い方法により一人を選び、選ばれた者だけ中に入れることになります。


その方法は同著をご覧頂くとして、映画などの場合は、往々にして主人公か、

或いは主人公に近しい者(この場合、日本人カメラマン)が劇的な逆転劇により

選ばれるでしょう。けど、現実は無情なものでして、日本人カメラマンはあっさり

敗れてしまいます。


普通ならここで仕方ないと諦めるのでしょうが、ここからが凄いんです。選ばれ

なかったもう一人は落胆しながらも引き上げますが、その日本人カメラマンは、

スタジアムの外から中に向かい、半泣きのまま大声で「セニョール」と呼びかけ

続けます。


大一番の試合が始まった後しばらくして、その異様&悲痛な叫び声はクラブの

広報のお偉いさんの耳に止まります。その結果、彼は試合の途中からではある

ものの、何とかスタジアムの中に入れたのです。


長々と書いてきましたが、何故、この本が頭をよぎったかというと、このくだりを

読んで、何事も諦めて可能性を断つのは、常に自分だと感じたからでしょう。


出来ない理由を考えるのは、たやすいですし、その方が楽でしょう。どんなこと

でも、やるということは労力が要りますし、やらなくていいのですから楽なのです。


けれど、そうして何の気なしに可能性を閉ざすことで、実は途轍もない損をしてる

かも知れないことに、我々はどれだけ気がついているでしょうか?


携帯⇒スマホの進化も、「そうなるべきだ」と信じた誰かが、諦めず追求し続けた

結果でしょうし、ソーラーベルトも清水建設の人々が、自らの夢を信じて、本気で

追求していけば、近い将来、実現するのかも知れません。


どんなに困難に思えることも、それを信じる自分さえ居れば、実現するのです。


我が身に転ずれば、この難産プロットを信じて仕上げれば、何かが変わるかも

知れないのです。


……そもそも、このニュースを見ていること自体、現実逃避じゃね?( ̄_ ̄;


さ、モチベーションも上がったことだし、仕事仕事♪


「熱病フットボール」

出版社:文藝春秋
発売日:2002年3月

W杯予選を中心に、スペイン、アイルランド、イラン、ウルグアイなどを歴訪し、それぞれの国の文化とサッカーの魅力を探る観戦記。W杯への最後の切符を賭けた戦いを豊富な写真とともにリポート。(「MARC」データベースより/金子達仁氏オフィシャルウェブサイト より転載)



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あけましておめでとうございます。

本年も、なにとぞ宜しくお願い申し上げます。


……などという挨拶は、例年は怒涛の締切ラッシュに追われ、なかなか

書いたり言ったり出来ないままに年が明け暮れるのが常なのですが、

今年は神様がバケーションをくださったようでして、年末年始をいつになく

穏やかに過ごすことが出来ています。

もっとも、昨日のブログに書いたように、難産プロットを抱えてはおりますが。


そんな訳で、今日は家内と共に近所のお寺に初詣に行って参りました。都下

にある、蕎麦が有名なお寺です。


下の写真は参道に連なる店に群がる人々。


シナリオライターの大脳辺縁系-初詣


元旦ということで、境内は活気に満ちておりました。つい一週間ほど前まで

キリストの降誕を祝っていたのが嘘のように和の雰囲気です。


日本人は変わり身が早いですね。柔軟性があるというか、順応性に長けて

いるというか。ある意味、素晴らしいことだと思います。

かく言う私も、数日前まではクリスマスのチキンの残りにむしゃぶりついて

いましたので、負けず劣らず変わり身が早いです。


話は変わりますが、お寺や神社の厳かな佇まいというのは、いつでも人々

の心を穏やかにし、全ての煩悩を忘れさせるものですね。

煩悩の塊である私は、何だか自分が自分でなくなったような感覚を覚えて

しまうので、参道に戻って『じゃころっけ』(有名らしい)をパクついた時に、

ようやく自分を取り戻したかのように感じました。やっぱり、俗世は居心地

が良い(←どんだけ煩悩まみれなんだ、自分)。


そして、俗世に戻った勢いで近くのドンキに立ち寄って、一升瓶の日本酒

を二本買いました。「やっぱ、正月は酒でしょ」「だよねー」などと元旦早々、

煩悩全開な夫婦です。


『一年の計は元旦に有り』と申しますが、何の計画も立てず、高い目標を

ぶち上げるでもなく、ただただ御節や雑煮を食べ、テレビを見てうへうへと

笑う内に、早くもこんな時間。


昨年から、自分の『事業計画』を立て、それに沿って行動をしているので、

昨年末(=昨日)までは「よし!元旦には意欲的な事業計画を立て、昨年

以上に攻めの姿勢でいくぞ!」と思っていたのですが、蓋を開けてみれば

御節に雑煮にうへうへです。

煩悩の塊は、どこまで行っても煩悩100%。混じりけなし。ある意味、一貫

してて、清々しいくらいです。御節に雑煮にうへうへでいいのでしょう。


けれど、自分の中にはピュアな煩悩の塊になりきれない自分も居ます。



……本当にいいのだろうか?


かまわんかまわん! 今夜は酒盛りじゃー!


……けど、難産プロットを早く仕上げなければならないよな……


煩悩の波間にたゆたってみぃ。気持ちいいぞー。




こんな気持ちの間を、揺れ動きながら、うへうへしている訳です。


さて、こんな私は一体、どちらの気持ちに傾くでしょーか?











……煩悩万歳。



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今日は正月の準備の買出しで近所のスーパーへ行って参りました。


「人口密度高っ!」と思わず叫んでしまいそうな程にごった返す中を、

行き交う人にぶつかってはよろけ、進もうとしては跳ね返されながら、

おせちを買い集めること数十分。

その間も、ずっと頭から離れないことがありました。


と言うか、ここ数週間、頭からずっと離れない懸案の種なので、

年末の人混みくらいで忘れられる筈もないのです。


何かと言うと、新たに書いているプロットが一向に進まないことです。


プロットとは、小説のあらすじ(文庫は裏表紙、単行本は袖の部分に

掲載されている物語を現す文章)とは似て非なるものでして、言わば

『シナリオの青写真』となるもの。

あらすじは、全体をざっくりと伝える物語ですが、プロットは、それを

元にして企画の成否を判断したり、ストーリーの開発を行ったりする

ので、シナリオの構成通りに書きます。

つまり、オープニングシーンは冒頭に、エンディングシーンはラストに

描かれ、全体の流れもシナリオ通り(現段階で執筆者が想定している

通り)に書かれるべきものです。


今煮詰まっている企画は、あるカセ(転じて制約)を物語にかけており、

それが特徴にもなっているのですが、その制約に絡め取られてしまい、

思うように筆が進まないのです。


て言うか、全体の構成も完成していない状態で四苦八苦している有様。


上記のように、シナリオの青写真なので、構成がある程度見えてない

と書けないのです(勿論、そうではないライターの方も、中には居ます。

あくまでも私の場合ですので、念の為)。


まるで自分の仕掛けた罠に自ら嵌ってしまったような状態で、情けない

こと、この上ない。

ってか、本当にプロットが完成するのか?この作品。

もうすぐ、年が明けてしまうというのに……。


そうだ! 明日、初詣に行って神様にお願いして来よう。そーだそーだ、

それがいい。


これ、現実逃避ですね、やっぱり……願掛けで上手く書けたことなど、

一回もないもんな。


事ある毎に、年末の大掃除という口実で現実逃避してたから、家の中

は不自然な位にピカピカだし……そもそも買出しも現実逃避だし……

だから、構成は完成してないし……(泣)


という訳で、やっぱり自力で何とかするしかないので、引き続き面白い

アイデアを求めて、パソコンの前で悶絶苦闘することにします。


生みの苦しみは、この仕事を何年続けてもしんどいものですね。

けど、それが意外に癖になってきたりもします。

そう。この仕事は、一度やったらやめられない、常習性の強い危険な

仕事なんです。


あ、「行く年来る年」が始まる。



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