さて、今日はなにを するべきか、
やらなければならない事が、いっぱいあると、
感じているのだが、具体的に何をすればよいのか?
まず、思い当たったことからメモすることから、
はじめようか・・・
淀川について、書こうとして、しらべてみたら、・・・・
歴史の中で、幾度も姿形を変えていった淀川。
理由の半分は、自然の猛威の歴史。
そしてもう半分は、人と淀川との闘いの歴史です。
淀川資料館参照
淀川年表をながめてみると、なんと洪水の歴史の度重なること・・・
新淀川(しんよどがわ)
大阪市の北部を流れる淀川下流の放水路。
都島(みやこじま)区毛馬(けま)で旧本流から分かれ、ほぼ直線状に大阪湾に注ぐ。
1885年(明治18)の大洪水後、治水のため開削された
全長約10キロメートル、幅員約800メートルの新川で、
98年長柄(ながら)運河掘削から着工、1910年(明治43)完成。
毛馬の洗堰(あらいぜき)で旧本流に必要な水だけを流し、
市街地を洪水から守る役目を果たす。現在は河川行政上、
新淀川流路を単に淀川、旧本流を旧淀川とよぶ。
[執筆者:前田 昇、日本大百科全書(小学館)]
歴史の中で、幾度も姿形を変えていった淀川。
理由の半分は、自然の猛威の歴史。
そしてもう半分は、人と淀川との闘いの歴史です。
淀川資料館参照
淀川年表をながめてみると、なんと洪水の歴史の度重なること・・・
新淀川(しんよどがわ)
大阪市の北部を流れる淀川下流の放水路。
都島(みやこじま)区毛馬(けま)で旧本流から分かれ、ほぼ直線状に大阪湾に注ぐ。
1885年(明治18)の大洪水後、治水のため開削された
全長約10キロメートル、幅員約800メートルの新川で、
98年長柄(ながら)運河掘削から着工、1910年(明治43)完成。
毛馬の洗堰(あらいぜき)で旧本流に必要な水だけを流し、
市街地を洪水から守る役目を果たす。現在は河川行政上、
新淀川流路を単に淀川、旧本流を旧淀川とよぶ。
[執筆者:前田 昇、日本大百科全書(小学館)]
大阪に住んでいたころ、それは小学校に入ってから、約25年間。
その町の南側には淀川が流れていた、
そして、友達と あるいは一人で淀川の
堤防まで行ったことが、数え切れないほどある。
淀川と言っても、新淀川のことだが、
立派な堤防ができていて、
『この河がむかし、
何度も何度も氾濫を繰り返した』なんて
まったく、知らなかったし、
想像もできなかった、
きょう、調べてみて
本当に初めて、
それほど、
暴れ河だったことに気付いた・・・
聖徳太子の亡くなった翌年
A.D.623 文献上最古の淀川洪水
「大水のため五穀みのらず」
(日本書紀より)とあります・・・。