「地毛証明書」を持つ
だけで、

コンプレックスにつながります。

それと同時に、学校に
対する反感を持つようになります。

しかし、
主体性の無い国民性の
日本人の生徒が、

不満や反感があっても、
黙って、学校の方針に
従ってしまうのです。

日本人の高校生で、
「地毛証明書」を廃止
しよう、と運動を起こす、
積極性のある高校生は、いないのです。

「地毛証明書」は、
主体性を無くす
「管理教育」の象徴です。

日本の教育は、主体性を無くす教育です。




●Yahoo!ニュース
●「地毛証明書」問題で暴かれたニッポンの本性

東洋経済オンライン
 [5/19 09:00]

6割の都立高で提出が求められるという「地毛証明書」。

東京オリンピックを前にグローバル化をうたう日本ですが、笑止千万。

排他性を露呈することになってしまいました
(写真:kou / PIXTA)

先日、朝日新聞が全日制都立高校の約6割で、

入学時に「地毛証明書」を提出させていることを報じ、話題を呼びました。

髪の毛を染めたりパーマをかけているのか、

生まれつきなのかを見分けるため、「疑わしい」生徒に

証明書を提出させ、一部では証拠として

幼児期の写真を併せて提出させる例もあるとのこと。

昭和の時代は終わり、
現在の元号も近い将来
新しいものになろうとしています。

そんな時代に

「地毛証明書」とは……。

学校によっては
「頭髪についての申請書」
と言うこともあるそうですが、

名前はどうであれ、

なんとも

時代錯誤だと

言わざるをえません。

目的は「勘違いによる指導」を防ぐため、とのこと。

ただ、この規則そのものが

大きな

勘違いに

基づくものではないのか、
と私は思います。


■「黒髪・直毛」以外はヘンと言っているのと同じ

まず、自分の体の一部である頭髪について

「申請する」という

考え方自体が

容姿差別にあたります。

生まれつき髪の色が明るかったり、天然パーマの場合に

申請が必要ということは、

言外に「黒髪で直毛であること」を

普通だと決め付け、

当事者に

「なぜ大多数の人間と
容姿が同じではないのか」

という容姿に関するエクスキューズ(言い訳)を求めているのと同じこと。

個人の生まれたままの姿を

明らかに否定しているともいえます。

実際、学校によっては、

黒髪の生徒が茶色に染めるのはダメだけれど、

生まれつき髪が茶色の生徒が髪を黒色に染めることに対しては、

暗黙の了解で認め、むしろ歓迎している学校もあるとのことです。

(茶色の髪を黒色に染めること自体、コンプレックスを生むのです。

日本の教育は、コンプレックスを生む教育をしています。byロクハン)


さらに、グローバルな視点で見ると、

幼少時の写真を“証拠”として提出させることは

非常にナンセンスです。

筆者は日本人の母とドイツ人の父を持つハーフなのでよくわかりますが、

西洋人の子ども(ハーフも含む)に関していえば、

年齢とともに髪の色や質が変わっていく人は多くいます。

筆者が育ったドイツでも、
小学校低学年のときは金髪だったが、

5年生になる頃には髪が薄茶色になっていた、

幼稚園では天然パーマだったが、

小学校高学年の頃には真っすぐに近い髪質になっていた、

こんな同級生がいました。

逆もまたしかりで、

子どもの頃は直毛でも、

思春期の頃には自然にウエーブ

(日本では癖毛=治すべきものという解釈が目立ちます。

しかし、そもそも髪質に「良い」も「悪い」もありません。

そのため今回あえて「癖毛」ではなく「ウエーブ」と書かせていただきます)

のかかった髪になっていることもあります。

そして、

大事なことを忘れていました。

ドイツを含むヨーロッパでは、

3歳ぐらいまで頭髪が薄く、いわゆる「ハゲ」状態の子も少なくありません。

もちろん成長とともに髪が生えてきますが、

その後さらなる成長とともに男性は髪が再び後退していったりもします。

あ、これは、万国共通でしたね。

何が言いたいのかというと、

「幼少期の毛の状態を映した写真」ほど

アテにならないものはないということです。

「外国人の血が入っていることが明らかな場合は、

学校側もそれを考慮するはず」

と考える人もいるかもしれませんが、

今の世の中、

外国人と日本人の「境界線」は

非常にあいまいになっていることをご存じでしょうか。

たとえば、顔立ちや肌の色は

「日本人風」の人でも、

髪の質は黒人である祖父に似ていたり、

目鼻立ちは「日本人風」でありながら、

髪の色は白人である祖母に似て明るめであったりすることは

珍しくありません。

「外国人」や「ハーフ」というと、

日本人はパッと見て外国人だとわかるような風貌の人を想像しがちです。

でも実際には

「どう見ても日本人に見えるけれど、外国にルーツを持つ人」

は少なくありません。

そういった境界のあいまいな市民も含めて

受け入れてこその「グローバルな世の中」なのではないのでしょうか。


■「髪を染める」=「悪」って本当? !

加えて、生徒が本当に髪を染めていたとしても、

21世紀における世界の先進国では「髪を染める」=「悪」という考え方は馴染みのないものです。

たとえば、筆者の母国であるドイツの学校では生徒の「頭髪」に関するルールは皆無です。

ドイツにおいて、生活態度に関する指導は家庭の管轄。

学校は主に「勉強」を教えるところであり、

取り締まったところで何も改善しないというのがドイツ流の考え方です。

もちろん、いわゆる不良の通う学校のほうが、

派手な髪型の生徒が多いのは事実。

筆者が通学していた一昔前なら、

刈り上げたパンクな髪型や、緑色に染めた髪などの生徒がいました。

筆者自身は、比較的まじめな生徒の多い学校に通っていたため、

クラスにいる生徒たちの多くが平均して地味な髪型でしたが、

思春期真っただ中のある日、髪の毛を緑色に染めて学校へやってきた同級生がいました。

でも先生のほうが一枚うわてでした。

教室に入ってくるなり先生は

「うわー、緑色の髪! すてきね。先生も緑色に染めようかしら?」

と言ったのです。

髪を緑色に染めることで、先生やら世間というものに

反抗してやろう!

という意気込みがあったのだとしたら、

その生徒にとっては

何とも拍子抜けする結果だったに違いありません。

しばらくすると彼の髪は元の自然な色に戻っていました。

ドイツには、さまざまなルーツの人が住んでいます。

したがって、その髪の色も、赤毛、金髪、茶色、黒など色とりどり。

見た目に関して「何が普通で何が変」という

発想自体が

ありません。

そもそも、人間の見た目にケチをつけ始めたら、

80年以上前に12年間続いた「かの時代」に戻ってしまうという懸念が

ドイツ人にはつねにあります。

ですから当然、ピアスや化粧、ネイルなども全部自由なのですが、

そもそもドイツではオシャレに力を入れている女性が

日本よりも少ないため、

バッチリ化粧やネイルをしている女学生を見掛けることは

ドイツではまれです。

そういう意味ではピアスがいちばん浸透しているかもしれません。

子どもの頃からピアスをしている人も多いのです。

洋服に関しては、思春期の子がビリビリに破けたジーンズをファッショナブルに着こなしながら通学していたりしますが、

もちろん先生は何も言いません。


■頭髪という「個人的問題」を説明する必要はない

まあ、よその国はよその国です。

外国のまねをすればよいという話でもないのかもしれません。

ただ、外国とは比べずにこの問題を考えてみても、

やはり

地毛証明書は、

百害あって一利なし

だと言わざるをえません。

頭髪。

それは極めて個人的なことです。

頭髪がないことが病気の治療によるものなのか、

それとも生まれつきの体質によるものなのか、

または食生活の結果頭髪がないのかを、

周囲に説明し理解してもらう

必要は

まったくありません。

髪の色だって同じです。

過去にパーマをかけすぎたせいで傷んで「茶髪」なのか、

それとも今現在髪を染めているからなのか、

はたまた先祖のルーツが外国にあることが原因なのか。

あるいは、生粋の日本人でも、

生まれながら茶色、という人は少なくありません。

こうした極めて個人的なことを、

周囲に説明して理解してもらう必要は

まったくないのです。

それにしても、幼少期の写真とは、

アルバムを広げながら
「あの頃は楽しかったな」
「こんなことがあったな」

と懐かしみながら個人的に楽しむものだと筆者は思っておりました。

それが「証拠」として
使われることもあるとは……。

考えれば考えるほど

不気味なこと

なのであります。