安倍首相の文章は、村山談話に比べると、長すぎるため、みんなは、きちんと読まないだろう。

とインターネットニュースに書いてあります。

天皇陛下の言葉で今までと違うのは、

「戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ」

「先の大戦に対する深い反省とともに」

の文章が入ったことだそうです。



●<終戦の日>天皇陛下おことば全文…全国戦没者追悼式

08月15日 12:08

(毎日新聞)

全国戦没者追悼式でお言葉を述べる天皇、皇后両陛下=東京都千代田区で 2015年8月15日午後0時3分、喜屋武真之介撮影

(毎日新聞)

 「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、

さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

 終戦以来既に70年、戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、

平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、

我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。

戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません。

 ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、

今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、

全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、

心からなる追悼の意を表し、

世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。


●「ブロゴス」
■ 政治
【全文】「私たち日本人は世代を超えて過去の歴史に真正面から向き合わなければならない」安倍首相が戦後70年談話を発表

BLOGOS編集部

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安倍晋三首相は14日18時から首相官邸で記者会見し、戦後70年談話を発表した。

首相談話全文

8月は私たち日本人にしばし立ち止まることを求めます。

今は遠い過去なのだとしても、過ぎ去った歴史に思いを致すことを求めます。

政治は歴史から未来への知恵を学ばなければなりません。

戦後70年という大きな節目にあたって、先の大戦への道のり、戦後の歩み、20世紀という時代を振り返り、

その教訓の中から未来に向けて、世界の中で日本が、どういう道を進むべきか、深く思索し、構想すべきである。

私はそう考えました。

同時に、政治は歴史に謙虚でなければなりません。

政治的・外交的な意図によって歴史が歪められるようなことは決してあってはならない。

このことも私の強い信念であります。

ですから、談話の作成にあたっては「21世紀構想懇談会」を開いて、有識者の皆様に率直かつ徹底的なご議論をいただきました。

それぞれの視座や考え方は当然ながら異なります。

しかし、そうした有識者の皆様が熱のこもった議論を積み重ねた結果、一定の認識を共有できた。

私はこの提言を歴史の声として受け止めたいと思います。

そして、その提言の上に立って、歴史から教訓を汲み取り、今後の目指すべき道を展望したいと思います。

100年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が広がっていました。

圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、 19世紀アジアにも押し寄せました。

その危機感が日本にとって近代化の原動力となったことは間違いありません。

アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。

日露戦争は、植民地支配の下にあった多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。

この戦争は、1000万人もの戦死者を出す悲惨な戦争でありました。

人々は平和を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。

戦争自体を違法化する新たな国際社会の潮流が生まれました。

当初は、日本も足並みを揃えました。

しかし世界恐慌が発生し、欧米諸国が植民地経済を巻き込んだ経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。

その中で日本は孤立感を深め、外交的・経済的な行き詰まりを力の行使によって解決しようと試みました。

国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。

こうして日本は世界の大勢を見失っていきました。

満州事変、そして国際連盟からの脱退、日本は次第に国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした新しい国際秩序への挑戦者となっていった。

進むべき進路を誤り、戦争への道を進んでいきました。

そして70年前、日本は敗戦しました。

戦後70年にあたり、国内外に倒れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに永劫の哀悼の誠を捧げます。

先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました。

祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら戦陣に散った方々。

終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ亡くなられた方々。

広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が数知れず失われました。

中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。

戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも忘れてはなりません。

何の罪もない人々に計り知れない損害と苦痛を我が国を与えた事実。

歴史とは実に取り返しのつかない苛烈なものです。

一人一人にそれぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。

この当然の事実を噛みしめるとき、今なお言葉を失い、ただただ断腸の念を禁じえません。

これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和があり、これが戦後日本の原点であります。

二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

事変、侵略、戦争。

いかなる武力の威嚇や行使も国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。

植民地支配から永遠に決別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

先の大戦への深い悔悟の念と共に、わが国はそう誓いました。

自由で民主的な国を作り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。

70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは静かな誇りを抱きながら、この不動の方針をこれからも貫いてまいります。

わが国は先の大戦における行いについて、繰り返し痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。

その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンをはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、

戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

こうした歴代内閣の立場は、今後も揺るぎないものであります。

ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも決して癒えることはないでしょう。

ですから、私たちは心にとどめなければなりません。

戦後600万人を超える引き揚げ者が太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。

中国に置き去りにされた 3000人近い日本人の子どもたちが無事成長し、再び祖国の土を踏むことが出来た事実を。

米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや日本軍によって耐えがたい苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、

それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほど努力が必要であったか。

そのことに私たちは思いを致さなければなりません。

寛容の心によって、日本は戦後、国際社会に復帰することができました。

戦後70年のこの機にあたり、わが国は和解のために力を尽くしてくださった、

すべての国々に、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

謙虚な気持ちで過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任がある日本では、戦後生まれの世代が今や人口の8割を超えています。

あの戦争には何ら関わりのない私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。

しかし、それでもなお私たち日本人は世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。

謙虚な気持ちで過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で命をつなぐことが出来た。

そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと未来をつないでいくことが出来る。

それは先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から恩讐を越えて、善意と支援の手が差し伸べられたおかげであります。

そのことを私たちは未来へと語り継いでいかなければならない。

歴史の教訓を深く胸に刻み、よりよい未来を切り拓いていく。

アジアそして世界の平和と繁栄に力を尽くす。

その大きな責任があります。

私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去をこの胸に刻み続けます。

だからこそ、わが国はいかなる紛争も法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的、外交的に解決すべきである、この原則を

これからを固く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。

唯一の戦争被爆国として核兵器の不拡散と究極の廃絶をめざし、国際社会でその責任を果たしてまいります。

私たちは20世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去をこの胸に刻み続けます。

だからこそ、わが国はそうした女性たちの声に寄り添い、常に寄り添う国でありたい。

21世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。

私たちは経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去をこの胸に刻み続けます。

だからこそ、わが国はいかなる国の恣意にも左右されない、自由で公正で開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界のさらなる繁栄を牽引してまいります。

繁栄こそ平和の礎です。

暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に医療と教育、自立の機会を提供するため、一層力を尽くしてまいります。

私たちは国際秩序への挑戦者となってしまった過去をこの胸に刻み続けます。

だからこそ我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値をゆるぎないもとして堅持し、

その価値を共有する国々と力を携え、積極的平和主義の旗を高く掲げ、これまで以上に貢献してまいります。

戦後80年、90年、さらには100年に向けて、そのような日本を国民の皆さんと共に作り上げていく。

その決意であります。

以上が、私たちが歴史から学ぶべき未来への知恵だろうと考えております。

冒頭私は「21世紀構想懇談会」の提言を「歴史の声として受け止めたい」と申し上げました。

同時に、私たちは歴史に対して謙虚でなければなりません。

謙虚な姿勢とは果たして、聞き洩らした声が他にもあるのではないか。

常に歴史を見つめ続ける態度であると考えます。

私はこれからも謙虚に歴史の声に耳を傾けながら、未来への知恵を学んでいく。

そうした姿勢を持ち続けていきたいと考えています。