サムサッカー(05・米) | no movie no life

no movie no life

・・・映画を見て思ったことをツラツラと。ネタバレです。

かなり昔に書いたのも。

タイトル「親指吸う人」。コピーに、「フツーに心配な僕のミライ」。
これだけで、見に行こうと決めてました。
(一瞬、サッカー映画かと思ったんだけど汗)


ジャスティン(ルー・プッチ)は、17歳になっても「親指しゃぶり癖」が抜けきれない。高校の討論クラブでもイマイチぱっとせず、好意を抱いている女の子にも半分ふられ、大学進学の時期も迫りつつあるが、行きたいNY大学には程遠い成績。漠然としたミライに不安を抱く彼に、家族や教師は・・・


ジャスティンの環境。両親はきちんとそろってる(離婚してない)し、家は立派だし、それなりに裕福な、恵まれた「環境」にいますよね。


でもでも。
自分のミライに心配になるのはフツーなことなんですよね。(芥川龍之介だって自殺してるし。)

この年代だからってことに限らず、いつだってみんな抱いてる。
マイク(ジャスティンの父)やオードリー(母)。息子にファーストネームで呼ばせる彼らも、「父」「母」もフツーの、1個の人間なんだという気持ちの表れのような気もした。
人気俳優マットのファンであるオードリー(ティルダ・スウィントン)は真面目に?シリアルのプレゼントで当たる「1日デート」に応募しようとドレスを買いに出かける。それこそ、イイ年して・・・と言われそうではないか。


ジャスティンの教師たちは、彼の行動はADHD(注意欠陥・多動性障害)と言う病気のせいではないかといって、抗うつ剤の服用を勧める。ためらう両親に、ジャスティンは飛びつく。「そうか、これは病気のせいだったんだ」。そこから彼は変身する。頭はクリアーになり、もともと持っていた才能を開花させ、討論クラブで優勝を果たすようにもなる。自信に満ち溢れるジャスティン。しかし、同時に薬の依存も激しくなり、彼はとうとう自滅する。


本当に病気なのだとしたら、薬を飲むのは悪いことではないだろう。
しかし、彼の場合はそうではなかったと思う。サムサッキングをやめられない自分への解決法として安易に「薬」を選んだのだ。そして、効果が出た。これが本来の自分だと。しかし、討論大会に勝てなかったジャスティンは、彼は昔の彼に戻る。勝ち進んでいったのも、薬のせいかもしれない。技術は上達したかもしれないが、実は何も変わっていないのではないか?そこからジャスティンは薬の服用をやめる。


家族であるマイクやオードリー、そしてジョエル(兄がどうしようもないためにオトナにならねばならなかった弟)。みな、自分の不安を抱えつつも、ジャスティンを愛し、心配していたことを彼は理解する。(そういえばあの家、各部屋に大きな鏡があるんですよね・・・何か意味があるのかなあ)


ところどころで登場する歯列矯正の歯医者(キアヌ・リーブス)が良い。最初は、サムサッキングを治そうとしてジャスティンに催眠術をかけたり、ちょっとうさんくさい感じもしたのだが、人間誰しも変わっていくんだよね。
ジャスティンが彼に最後に会いに行ったとき、彼は言う。「サムサッキングは、決して悪いことではない、ただの癖だ・・・。大事なのは、答えのない人生を行きぬく力なんだよ」。


ジャスティンは、サムサッキング(=自分)を肯定し、自分で自分の未来をこじ開け、意気揚々とNYに旅立つ。


これからいくつも挫折や不安は訪れる。サムサッキングしながら、悩み、考え、飛び越えていけばよいのだ。