JOE.CO.UKより。

 

それはありふれた午後であり、彼の父親であるイアンとの会話はほとんど他人のように始まった。それは申し分のないものだが、実際のところ、キャリアにおける決定的な話し合いの中で何が流れを変えたのか、どこでそれが起こったのか、リアン・ブリュースターはまったく思い出すことができない。

 

その後、14歳にして、チェルシーのアカデミーの有望株の中でもトップレベルに達すると、このフォワードは決定的な行動を必要とし、それを実現するに至った。

 

「その日は特別でも何か違うってことでもなかったんだ。」と、ブリュースターはリヴァプール独特のバルティック・トライアングル地区で語った。

 

「フットボールをした後で、いつものように、父さんと僕はどうだった?とか追加練習したいなって話をしたんだ。それからアカデミーで上手くやっていた選手だとか過去にそうだった選手の話をした。そこで挙がった名前は皆、チェルシーのファースト・チームではプレイしていないぞって気づいたんだ。このままクラブに残ってもシニアチームに昇格できるチャンスはなさそうだなってね。」

 

「多くの時間を使ってそのことを考えたし、何故そうなんだって自問し続けたよ。アカデミーには信じられないような若手選手が何人もいたはずなのにってね。それで問題はチャンスが与えられないことだってハッキリ分かったんだ。僕たちが100%上に行けるぞって思った連中でさえ、起用されないってことになってたんだ。」

 

「で、思ったんだ。“OK、僕は自分を十分良い選手だって思うけど、じゃあ実際のところ彼らは、僕のことをいつかファースト・チームへ上げるのに十分優秀だって信じてくれてるんだろうか?”ってね。」

 

「あの当時は、どんな選手もプッシュされそうな兆候は僕には見えなかったんだ。だから、質問そのものが答えだったのさ。」

 

「去りたい訳じゃなかったんだ。ずっとそこにいたからね。チェルシーが大好きだったし、彼らは僕の最初の頃の成長に大きな役割を果たしてくれたんだ。あそこでの時間を楽しんでいたし、人生における大勢の友人を作ることができた。心地良い選択肢でも簡単な選択肢でもないってことは分かっていたよ。だけど、僕にとってはベストだったんだ。」

 

「多くのクラブとそこのプランを見たんだけど、リヴァプールが目立って見えたんだ。彼らの育成に対するアプローチが気に入ったし、まさに適切だって感じたものでもあった。彼らが僕にとってベストな選択だったし、今でもそうさ。」

 

「この決断を下せたことがとても嬉しいよ。僕の考えはハッキリしていたんだ。まぁ多くの人は、子供はよく考えることが大事だって言っていたけど、僕はそんな風には思わなかったね。」

 

「プロ・フットボーラーになりたいとは思っていたけど、それがスムーズに行ける旅じゃないことは分かっていたさ。正しい道のりを進んでいく為に必要なことは何だってやってやるって決心したんだ。」

 

ブリュースターの取り巻き立ちは、若い頃からそういった大きな変化を起こそうとする彼の思考の明快さや勇気に驚くことはなかった。彼らが言うには、それは流れゆくこの十代の物語を形作っている目に見える彼の特徴だという。

 

彼の母、フルヤ・ハッサンは、父親が“控え目な子だがフットボールに関しては自己主張が強い”と表現するのに対し、息子のことを“とても決意が固い”と評している。F2タレント(注)の代表兼ダイレクターのレオン・アンダーソンは、自身のクライアントに相応しいタグとして“楽観的かつ献身的”を挙げた。

 

「僕はのんびり屋だし、笑うのが大好きで幼稚なところもあるよ。でも、僕が情熱を燃やしているフットボールやそういったことに関しては、とても真剣に考えているんだ。」とこの18歳は語る。

 

「父さんはボールを持っていたら一番幸せになれるってことを赤ちゃんのうちに僕に教え込んだんだ。母さんは2歳の時でさえ、僕からボールを取り上げたら悪夢みたいになったって言ってたよ。」

 

ブリュースターは、自身のフットボールに関するDNAのことが話題に上ると笑う。

 

「父さんは自分を本当に良いフットボーラーだったって言うんだ。でも、セミプロでプレイしただけだし、ゴールキーパーだったからね。だから、間違いなく父さんから受け継いだわけじゃないね!」

 

「歩けるようになった頃には、父さんのプレイを観に行っては、父さんの友達たちを相手にして蹴散らしてたね。振り返ってみると、試合に対する愛情を持って育てられたんだと思うよ。」

 

ブリュースターは、7歳になるまでには、ウェストハムやアーセナル、チャールトン、チェルシーの注目を集めるような明らかな才能を備えるまでになっていた。

 

 

彼はバーキングサイドにあるシールド・アカデミーでプレイしている時に、後者のユース・スカウトを務めていたマーティン・テイラーの目を引いた。

 

ブリュースターを見て2分と経たないうちに、テイラーは彼のことを採用したいと強く望んだ。その120秒間で、“小さく痩せこけた少年”は、ゴールを決める前に彼をマークする相手と彼の影とピッチ上に置き去りにし、自分のポジションに戻っては、そのプロセスを繰り返した。

 

彼はただ最高に熟練したスキルを持っていただけでなく、既に“成功の為の欲求”を持っていた。

 

シールド・アカデミーでブリュースターを指導していたダン・シーモアは、トップクラブが“自然で恐れ知らずの選手”の為に動きを見せるのには、最低限の時間がかかることを分かっていた。

 

チェルシーはピッチで成功を収めていたが、ウェストハムもまたこの若手スターに猛プッシュしていた。

 

彼らはブリュースターの父親がリヴァプールのサポーターだと知ると、レッズ戦の試合観戦の為に2人をアップトン・パークに招待した。

 

ブリュースターは試合後に両チームの選手たちと一緒に写真をいくつか撮ったが、そのうちの1つの写真は際立ったものだ。ビーニー帽を被り、ハマーズのジャケットを着た8歳の子供とその子の肩に腕を回して笑顔を見せるスティーブン・ジェラードだ。

 

それから10年も経たないうちに、彼らのキャリアがカークビーに拠点を置くリヴァプールのアカデミーでピタッと合致するのは、何とも詩的なことだ。

 

ロムフォードに移り住む前にはグッドメーズとダゲナムで育ったブリュースターはチェルシーを選んだが、チャドウェル小学校では“フットボーラー”になりたい子たちをナビゲートしなければならなかった。

 

「皆、僕と同じチームになりたがってたね。僕の対戦相手になって、僕を相手にプレイしなければならないってなったら、イライラしていたものさ。時には僕のことを傷つけてやろうって人もいたよ。だから、ちょっと注意しなくちゃならなかったね。」

 

「嘘は付けないね。僕はクラスの中でも一番勉強に集中してなかったよ。」と、学校では体育と演劇を楽しんでいたブリュースターはそう付け加えた。

 

「またプレイする時のことをボンヤリ考えちゃうんだ。座っていても“あぁ休憩時間が来るなあ。昼食の時間ももうすぐだな。それとも学校が終わった後にプレイしようかな?”なんて考えてたのさ。」

 

「皆と一緒にプレイできる時はいつだってグラウンドに行っていたし、家に帰ったら、近所の人たちと一緒にストリートでプレイしていたよ。」

 

「チャドウェル・アカデミーでは、良いフットボール・チームがあったし、ボールがある時はずっとプレイしていたね-休憩時間でも、昼食の時間でも、学校が始まる前も学校が終わった後も-正直なところ、できる時はいつだってやってたよ。」

 

フットボールに夢中になり、キャリアを築くことを心掛けたこの十代は犠牲を払うことになる。

 

「友達は遊びに行きたいし、その年頃の典型的な男の子になりたがったんだけど、僕はそんなことはできない。トレーニングをしたり、リハビリをしたり、休息を取ってプレイする。そんなサイクルを続けるんだ。」

 

「文句を言ったりはしないよ。だって、これが僕がやりたいことなんだからね-僕は違う別のキャリアを築きたくはないんだ。だから、自分の野望を成し遂げる為にやらなきゃならないことをやるのさ。」

 

ブリュースターは、彼が諦めなければならないもののことをくよくよ考えたりはしないが、両親の無私のことに目を向ける。

 

「最初は父さんがマージーサイドに移って来てくれたんだ。実家に戻る前にね。その後で母さんも来てくれたよ。」

 

「母さんは美容師なんだけど、自分のビジネスの一部を売ったんだ。よく2つの都市を行き来して顧客のところへ行っていたけど、大変そうだったね。母さんは2016年のクリスマスの直前までここに住んでいたんだ。今はもう戻ったけどね。」

 

「父さんもここにいた頃はしばらく仕事を辞めていたんだ。今はトレードチームで監督をする為に戻っているよ。」

 

「2人が僕の為にしてくれたことすべてにとても感謝しているし、僕が下した決断をサポートしてくれたことにとても感謝している。2人はいつも僕にアドバイスしてくれるし、改善する為に僕を後押ししてくれる。僕が物事に感謝することを2人は助けてくれるんだ。多分、僕は感謝すべきことを自分では分かっていないだろうからね。」

 

家族のことを話す時に、ブリュースターには言及しなければならないと感じるもう1人の人物がいる。“リーおじさん”と代理人のアンダーソンのことを彼はそう呼ぶ。

 

「実際のところ僕の人生すべてを分かっているつもりだよ。生物学的には彼は親戚じゃないけど、間違いなく彼は僕にとっては血みたいなものさ。」

 

「代理人が必要だなってなった時は、彼は決して選択肢の1人じゃなかったんだけどね-彼はその1人になったんだ。」

 

「彼はいつも僕のことを1人の人間として扱ってくれるんだ-ただのフットボーラーとしてだけじゃなくね。彼は気さくで、いつも僕にそんな感じで話してくれるし、彼が僕の発展の為に最善を尽くすことに集中してくれているんだ。僕のことに気を配ってくれているし、代理人以上の存在だね。」

 

 

ブリュースターはそういった優しさすべてに対して既に報いている。妹のフライヤとジェイレスは昨年、U17ワールドカップの為にインドへ飛んだ。飛行機が遅れた為、コルカタのソルトレイク・スタジアムで行われる決勝を目指したイングランド代表の準決勝ブラジル代表戦を、彼女たちは空港で観ることになった。

 

そこで2人は、9番がこの南米のチームを倒す為にハットトリックを達成したのを目撃した。アメリカ代表を相手に同じ偉業を達成してからわずか4日後のことだ。

 

彼女たちはその後、ブリュースターが同じスタジアムで行われた決勝戦で反撃の狼煙を挙げるのを目の当たりにした。イングランド代表は2-0から巻き返して、スペイン代表を5-2で下し、チャンピオンの栄冠に輝いたのだ。

 

このアタッカーが66684人の観客を前に決めた反撃の口火を切るゴールは、ゴールデンブーツの栄誉に繋がるトーナメント8つ目のゴールだった。

 

試合後、彼はワールドカップ・トロフィーを手にする母親と妹たち一緒に写真を撮った。母親は彼の個人賞のトロフィーを手にし、ジェイレスはイングランドの国旗を身にまとい、満面の笑みを浮かべて兄に肩を寄せていた。

 

ブリュースターの父親はアメリカで休暇を取っていたが全試合を観戦し、表彰式の前後にメールを送った。一方、レオンはスタジアムからFaceTimeのコールを受け取って、離れたところからメッセージを送っただけだった。

 

「あの瞬間と成し遂げた偉業は、僕の為なのと同じくらい彼らの為のものでもあったんだ。僕が手にした成功はどんなものでも彼らのものでもあるんだ。彼らは、僕にこれは自分がやり遂げたものだって気に絶対させないようにしながら、僕にモチベーションを与えてくれたのさ。彼らは僕を地に足を付けさせてくれるんだけど、ハングリーにもさせてくれるんだ。」

 

その栄光の前には克服すべき試練のあった。ラウンド16ではイングランド代表は日本代表と対戦して撃ち合いの末にゴールレス・ドローに終わっていた。

 

その5ヵ月前には、ブリュースターは自身の代表キャリアにおける最初となる真の苦しみに耐えていた-それはU17欧州選手権決勝のスペイン代表戦から来るものだった。

 

「日本戦ではペナルティを蹴りたいって思った。ミスをする怖さはなかったね。僕は失敗を恐れたりしないんだ。トライしない方がずっと悪いからね。EUROのスペイン戦では、撃ち合って試合の最後の最後で失点してしまって、とても失望したよ。」

 

「僕とジョエル(ラティオーディエール)がシュートミスしたこともあって本当に苦戦したね。自分たちが傷ついていたことは分かってたから、ワールドカップ決勝でスペインを倒せたのはとても満足したよ。」

 

ブリュースターはクロアチアで開催されたEUROで3ゴールを挙げた。2016年には同じ国でホスト国を相手にハットトリックを決め、その後にはドイツ代表を相手に2ゴールを決めていた。

 

クロアチア・カップで輝かしいパフォーマンスを見せた後、10月にマージーサイドに戻ってきた時にはこの若手スターには異なる種類の輝きが必要となった。

 

「アカデミーでは、交代でシェルターに行ってホームレスの人たちと時間を過ごすんだけど、僕が戻って来た時に僕の番だったんだ。」

 

「トイレを掃除したり、休憩スペースをキレイにするお手伝いをしたり、絵を描いたり、僕がお手伝いできることは何でもしたんだ。皆の話を聞いたり、フットボールについて会話したりして、時間を過ごすだけなんだけどね。」

 

「僕にとってそれは雑用だとかイラついてやるような何かじゃないよ。その経験を楽しんでいるし、皆に愛情だとか関心を示すことは大切なんだ-世界にはもうあまりに多くの憎悪だとかネガティブなことがあるからね。」

 

リヴァプールの若手選手たちが定期的にそこに訪問することはPRの機会などではない。クラブのトラックスーツを着用することはなく、周囲にカメラもなく、それらに関する声明がEメールで送られることもない。

 

「アカデミーのスタッフは、僕たちが良いフットボーラーであることを望んでいるだけじゃなくて、良い人間であってもらいたいとも望んでいるんだ。彼らは僕たちに大切な価値観を教えてくれたし、僕はこういうアプローチは好きだよ。そこに多くの時間を費やす訳でもないと思うしね。」

 

「僕だって君や他の誰かのようにただの人間さ。僕たちは様々な仕事に就いているし、様々な状況や何かにあったりするけど、それが僕をもっと良くする訳じゃない。上手くやれているからって物事を自慢する必要はないと思うんだ。敬意を払って、親切であり、プロフェッショナルであること。そうしたら他の人たちが代わりに自慢してくれるさ。」

 

ブリュースターがそう話す時、彼が2000年に生まれたという事実を見失うのは簡単だろう。

 

彼は雄弁であるだけでなく、正真正銘の本物だ。彼は若くして大人だが、既に人を惹きつけるものを持っており、内気とはかけ離れている。

 

 

昨年12月、人種差別への取り組みを語ったThe Guardianによる自身初めてのインタビューで証明したように、ブリュースターは変化を強く求める為に自身の声を用いることを恐れていない。

 

「そこには心を開こうとしたがらない、思考がとても後ろ向きな間違った馬鹿野郎が何人かいるんだ。」と、自身が人種差別を受けたり、チームメイトに起きたのを目撃した7つの事例を挙げたブリュースターはそう語る。

 

「あんなことがまた起こらないことを願っているけど、おそらく起こるんだろうし、あんなことを試合から叩き出す為に僕たちはもっと強くなる必要があるんだ。」

 

母親がトルコ系キプロス人で父親はバルバドス出身のマークスマンは、多文化な家庭で育ったこともあって、学校やフットボールにおける人種の入り混じる環境をいつも楽しんでいる。

 

「ああいうのを見ると、人種差別的なことを言って僕たちのことを悪く感じている人たちって、人種の入り混じるチームじゃないんだ。」とブリュースターは指摘する。

 

「スパルタク・モスクワやスペインU17代表だとか。セビージャもだね。人種差別的な人たちって、気分の悪い人たちだよ。」

 

「悲しいことだけど、しっかりとした教育がされてなくて、依然として受け入れられないような考え方に固執しているんだ。」

 

自身に対して呼びかけられた時-ブリュースターのアカウントに“お前はニガー、お前はネグロ”と送られた時-には、自制心を働かせようとしている。それは彼のキャリアの初期段階で最もチャレンジと言える要素だったのだろうか?

 

「間違いないね。正直に言うと、殴り倒してやりたいって思ったりもするよ。」と彼は認めている。

 

「そんなことを仲間に話すのもウンザリだし、自分の感情を試したり保つ為には多くの訓練が必要なんだ。」

 

「変に反応したりすると、自分を出場停止になるような状況に置いてしまうし、自分に悪い形で反映されちゃうんだ。」

 

「残念なことだけど、それに対処する方法を学ばなければならないんだ-そんなことは本当にすべきじゃないし、そんな風に扱われることは絶対に受け入れられないね-彼らの行動を乗り越えようとすることが大切なんだ。他の誰よりも彼らのことに声を上げないとね。」

 

その写真を撮る為にブリュースターの肩に手を回してから9年後、ジェラードは昨シーズン、彼の監督として2度彼らを支えることになった。

 

このフォワードは人種差別の標的となった-最初は9月にプレントン・パークで行われたUEFAユースリーグのセビージャ戦、そして3ヵ月後に行われた同じコンペティションのスパルタク・モスクワ戦だ。

 

「スティービーは個人的に僕にとって素晴らしい監督だったよ。彼はいつも僕が大丈夫か?って確認してくれたし、僕が会話したいと思ったり、胸の内を明かす必要があった時にはいつも応じてくれたんだ。」

 

「あれが起こったどの試合でも、僕は本当に良いプレイをしていたし、それが相手が僕を何とかしようとする為の方法だったんだって彼は言ってくれた。相手は能力の面で僕に対抗することができなかったからね。相手はその手を使って僕を試合から追い出そうとしたんだし、馬鹿野郎に対抗する最善の方法は、僕がどれほど相手より良いプレイができるのかを示すだけだって言ってくれたよ。」

 

フットボールという意味で、ジェラードはブリュースターの期待とプレイの読みを微調整した。

 

「彼は僕に“お前にはミッドフィルダーとして、期待しているんだ。”って言ってくれたんだ。もっと良いランニングの種類を理解することができるはずだってね。」

 

「彼がセッション中にボールを僕にパスしてくれたのは、とても助けになったよ。それによってどこでフィニッシュするかを支持してくれたんだからね。そして、同じようにその動きでボールを受け取る場所を指示できることを認識させるんだ。いつもそれを考えろってね。」

 

「彼が今はレンジャーズに行ってしまったことはアカデミーにとっては損失だね。でも、彼にとっては素晴らしいことだと思う。彼がデカいことをやることは分かってるからね。あの写真を彼に見せたり、そのことを話したりは絶対にしなかったんだ。分かるでしょ?きっと大笑いされちゃうよ。」

 

 

ブリュースターはもう1人のリヴァプールのレジェンドにも助けられた。スティーブ・マクマナマンは、素早くディフェンダーを任す方法とゴール前で相手にとって致命的なスペースを作り出す方法について、カークビーで特別なトレーニングを行った。

 

「去年のプレシーズンの負傷から復帰した時に一緒にフィニッシュ・ワークをたくさんやったんだ。彼はそのセッションでとても良くてね。僕のタイミングやポジショニング、テクニックに僕たちは取り組んだんだ。」

 

特別な賞賛はマイケル・ビールに対してもある。リヴァプールへ去る前にチェルシー・アカデミーでもリアンと一緒に仕事をした人物だ。

 

「彼はボールを撃つ方法を推してくれたし、ロンドンでは僕の為に多くの時間を労力を費やしてくれたんだ。」と、現在ジェラードの下でレンジャーズのファースト・チーム・コーチを務める男についてブリュースターは語った。

 

「彼は父さんと連絡を取り続けていたんだ。それから彼は去ったけど、僕がリヴァプールに加入した時に彼と再会できたのは為になったね。彼は年長者のグループと仕事をしていたけど、それでもまだ彼は僕のことをチェックしてくれていたよ。」

 

ブリュースターがこの夏に自身の将来を考えた時、こういったことすべてが方程式に組み込まれた。他のクラブからのオファーは2桁に達していた。

 

ボルシア・メンヒェングラートバッハは協定違反を犯し、レッズはこのブンデスリーガのチームのアプローチを異例なこととして、プレシーズンの親善試合をキャンセルしたが、彼にはその他にも熟考すべき多くの選択肢があった。

 

そのほとんどはドイツからのものだったが、ユベントスもまた彼のことをチェックしていたという。

 

“素晴らしく熟練した子で、本物のストライカーであり、素晴らしい仕事倫理を持つ良いフィニッシャー”-ユルゲン・クロップの評価を借りるとこうなる-この監督が彼のことをどれほど高く評価しているかが伺えるが、それと同様に彼のプレイスタイルはドイツのアプローチと完全に融合していると言える。

 

16歳の時、ブリュースターはアカデミーのセッション中にレッズの監督を大きく唸らせた。彼は即座にファースト・チームのトレーニングに参加するようメルウッドに招かれ、アクリントン・スタンリーとの非公開の親善試合ではハットトリックを決めてみせた。

 

昨年4月には、ブリュースターはプレミア・リーグのクリスタル・パレス戦で出場機会こそなかったもののベンチ入りも果たした-彼が試合のスカッド入りをクロップから告げられた時にはクラブスーツをまだ所有していなかったという-だが、そのセレクションは主に怪我人の危機によるものだった。

 

「彼は今17歳で既にU23チームでプレイしているし、彼にとっては素晴らしいステップだと言える。急がせる気はないし、彼はとても良い道程を進んでいる。正直に言って、本当にとても良い子だよ。」とクロップは指摘している。

 

監督はまた、ブリュースターが“スカッドの中で多くの敬意を払われていて、“こいつは誰だ?”なんて思う者は誰1人いない。”ことも明かした。彼らは彼のことを分かっている。それはトレーニング・セッションにおいて相対してプレイするには厄介な相手だからだ。

このイングランドユース代表はその後、シーズン最後を締めくくるオーストラリアでの親善試合へも赴いたものの、脚の負傷だけが夏の更なる出場を妨げている。

 

クロップは、ゴール前でのブリュースターの輝きを認めているだけでなく、彼のキャラクターの強さに対して大きな敬意を払っている。

 

「彼が見事な勇気を持っていることには本当に満足している。彼がやったことを行う為には勇気が必要だったんだ。それが大事なことだからね。」と51歳はリアンの人種差別に関するインタビューについて語った。

 

5月に行われたフットボール記者協会の年次式典に、クロップはブリュースターと共に出席し、読み上げたスピーチではこの感情を繰り返し述べていた。

 

 

「監督に何度も言われたのは、僕のことを信じているし、僕のプレイや姿勢を評価しているってことさ。」と、彼はリヴァプールと5年間の契約にサインするという彼の決断の詳細を語り始めた。

 

「彼はお前にはチャンスがあるって言ってくれた。他の選択肢も考えたよ。でも今は、ファースト・チーム周辺でポジションを掴むだけの力が自分には十分あると思うんだ。」

 

「僕が必要としているのは、フィットネスをもう一度取り戻して、監督が正しいことを証明し、僕自身が正しいことを証明し、できる限りのベストを尽くして貢献して、皆に誇りに思ってもらえる。その為のチャンスが与えられることだけさ。」

 

現在、1月にリヴァプールU23チームでプレイした際に負った深刻な足首と膝の負傷からの回復に努めているブリュースターは、次に何をすべきかを考えながらも、自分自身を欺いたりはしなかった。

 

「自分がナンバー1のストライカーじゃないことは分かっているよ。僕だってバカじゃないからね。僕たちにはボビー(ロベルト・フィルミーノ)がいるんだ。ワールドクラスだし、攻撃をリードする為のインテリジェンスも持っている人さ。」

 

「僕はいつも彼から学んでいるんだ。どうしていつも彼がチームシートで先発の1人に入っているのかをね。」

 

「彼がどう動いてディフェンダーを引き付けるのか、どうプレスに行くのか、そういうことすべてに注意を払って観ているんだ。でも、自分自身の強みを失うつもりはないよ。常に改善することに集中すべきだって僕は信じているけど、僕はだともいつも思っている-他の選手をコピーするだけなんかできないさ。」

 

「前線の3つのどこでも僕はプレイできるし、他の2つにはモー(サラー)とサディオ(マネ)がいるんだ。破壊力満点だね。3人は皆、世界でも最高の選手たちに囲まれた試合でも本当にトップレベルなんだ。」

 

「僕はまだ若いし、毎週のように先発でやれたりしないことは分かってるさ。そんなのできたら無茶苦茶だよ。僕は監督の本当に良い選択肢だってことを示す為の出場時間が欲しいだけだし、それをリヴァプールの選手として自分の成長の力にしたいだけさ。」

 

「怪我や出場停止、疲労や色んな問題があった時には、クラブが僕を信頼してくれてるって感じられるようなことをしたいし、チームにできる限りのサポートをしたいんだ。」

 

ブリュースターは、毎日メルウッドで行っている厳しいリハビリ・セッションの1つをこなした後に、このインタビューにやって来た。2度の手術により既に6ヵ月間の療養を取っている。最初の手術は右足首で、それから膝の半月板損傷を治療するものだった。

 

「怪我をした時は、足首を折ったと思ったよ。着地した時にいくつか亀裂音が聞こえたからね。」と、12月の復帰を目指すブリュースターは説明した。

 

「今までに感じたことのないような最悪の痛みだったよ。あれを説明するのは難しいだろうね。僕が酸素吸引をしている写真を見たけど、とても恐ろしく深刻なものに見えたね。でも、マスクを付けている時は、あの時点では緩和された状態だから、重大な感じは実際に映っているほどはしないんだ。」

 

「でも、マスクを外すと、痛みが現実のものになって、長期間欠場することになるんだ。もう壊滅的だね。幼い頃からずっとボールと一緒だったから、フィジカル的なことよりもずっと傷ついたね。」

 

「自分自身を試合に捧げてきたから、毎日がプレイできない辛い日さ。」

 

「リハビリでは、よりシャープにより力強く復帰することを目指しているし、それでモチベーションは最大限に引き上げられるね。この種の挫折は自分を形成するのに役立ってくれるのさ。」

 

 

ブリュースターは、クラブのフィジオたちと同様に、複数の靱帯損傷により、2018-19シーズン中の復帰は可能性が低いと見られているアレックス・オックスレイド=チェンバレンからも素晴らしいサポートを受けている。

 

「オックスのリカバリのスケジュールと僕のスケジュールは、よく同じ時間帯だったりしてね。おかげで仲良くなったし、お互いに力を引き出し合ってるんだ。彼が悪い日の時は、彼の気持ちを持ち上げようと僕が最善を尽くすんだ。」

 

「僕がリハビリを終えて、トレーニングの準備ができても、彼と彼の状態をチェックするんだ-大事な仲間だからね!」

 

「彼はとても素晴らしい男だし、彼の早い回復と想像できる限り最高の復帰を願っているよ-彼は本当に成功するに値するヤツなんだ。」

 

「フィジオの皆もとても助けてくれてるよ。彼らが難しい時期だってことは分かっているけど、僕たちがポジティブな見通しを維持できるように助けてくれるんだ。彼らはトップレベルの仲間さ。自分が1人ぼっちだなんて感じることはないよ。これは大事なことさ。」

 

ブリュースターの回復プロセスに興味を持っているのは、リヴァプールのスタッフとイングランドユース代表だけではない。FWAアウォーズの場では、ガレス・サウスゲイトと長い会話を交わしている。

 

「彼は僕の様子やリカバリ期間はどんな具合なのか、精神的に感じていることを聞いてきたよ。」とブリュースターはイギリス代表監督との会話を明かした。

 

「彼は僕がより良い状態で復帰すると確信してるし、僕のプレイがまた観られるのを待ってるって言ってくれたよ。僕と一緒にやるのはそう先のことじゃないかもしれないともね。」

 

「彼が僕のことを気にかけてくれてるのは嬉しいし、励みになるね。彼が若いスカッドを選んだり、ワールドカップで上手くやったことは評価されてるし、僕も本当に満足しているよ。」

 

ブリュースターは、カンクンで母親と妹との短い休暇を取ってリフレッシュした後、さらに活力をもって自身のリハビリに励み、途切れたままの仕事を続けたいと考えている。

 

「僕の物語は厳密にはまだ始まってもいないんだ。今まさにカウントダウンしているところだね。準備ができた時には、何かしらを、あらゆるチャンスを掴み取る。それを待っているところさ。」

 

そのことに疑いの余地はない-純金は色あせはしないのだ。

 

注)F2タレントはブリュースターの代理人業務を行う会社。調べた限りでは今年の3月に設立されたばかりの模様。

 

 

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