Daily Mailより。

 

フィールド・オブ・ドリームズから始めよう。月曜日のランチタイム、我々はカイロとアレクサンドリアを繋ぐ主要ルートから離れた小さな農村ナジレイにいる。

 

ジャスミン畑の中を通る埃舞う道を進んでいくと、ジャスミンの香りが残る中で9人の少年たちがフットボールをしている。

 

ピッチは、焼け焦げた感じで、建ち並ぶフラットの間で押し潰されたようになっている-それらの建物は荒廃しているものもあれば、建築途中に見えるものもある-それらは地元のモスクやコミュニティ・センターとなっている。

 

ここは地元の子供たちが楽しみ、自由になる場所だ。ナジレイは経済的には恵まれていないかもしれないが、人々はフレンドリーで幸せで、今日見た彼らはもっと満足したいなどとは決して思っていなかった。

 

こういった謙虚な始まりから、フットボール界の最も新たなスターが現れた。こここそがモハメド・サラーの故郷なのだ。

 

こういった静かな通りを歩いていると、そのようなスリリングな旅に乗り出すことができるとは考えられないだろう。しかし、4兄弟の長男であるサラーは、彼のアイドルであるロナウド、ジネディーヌ・ジダン、フランチェスコ・トッティを模倣できると信じて、彼の家族が住むアパートから徒歩2分のこの同じピッチでプレイした。

 

今ではこの世代の子供たちは彼を模倣できると信じている。

 

サラーはナジレイに多くのものを与えた。今では彼の名前を冠しているコミュニティ・センターの為にジム設備を購入し、彼がかつて学んだモハメド・アイヤッド・アル・タンタウィ学校の為に全天候型フットボール・ピッチの建設費用を支払った。

 

カップルの結婚費用を提供し、チャリティ事業に貢献する為に頻繁に資金を提供した。何よりも彼は希望を与えた。

 

 

 

「彼は、ラマダンの時はいつも地元の子供たちにプレゼントを贈る為にナジレイに帰ってくるんだ。今でもね。」と幼馴染であり友人のモハメド・バシヨウニは語った。

 

「彼はここに来ると卓球やプールで遊ぶんだ。帰ってくると、すべてのサインに応じるし、すべての写真撮影に応じるんだ。何にも変わらないね。」

 

 

“ここ”にバシヨウニが経営するカフェがある。だが、“カフェ”という言葉は正しいイメージを与えないだろう。

 

フットボール・コートの横にある壁が欠けた大きなガレージには、ヨーロッパの試合を見せる大きなテレビがある。

 

だが、それがまた魅力的であり、サラーのお気に入りの場所の1つだ。

 

「彼はいつも大物になるだろうなって感じだった。何故かって?左足さ!いつも左足だった!とても素早かったし、とてもクレバーだったね。」

 

「僕たちは皆、一緒にプレイしていたよ。彼の弟のナスルは、僕たちと一緒にプレイしたんだけど、僕たちはモハメドからボールを奪うことはできなかったね。彼がトップに行くだろうなってことは僕たちには分かっていたよ。」

 

サラーが直面した問題は彼が如何にしてそこへ辿り着くかということだった。ナジレイから最も近い大都市はタンタだが、そこまでのデコボコの道を下っていくのは難しいものだった。では彼はどのように自身の目標を達成したのだろうか?

 

その答えは、飲料メーカーが学校の為に企画したペプシ・リーグという形で訪れた。アラブ・コントラクターズFC(アル=ムカーウィルーン)は、エジプト全土にスカウトと子会社のクラブを持っているが、14歳の時にタンタでプレイする彼を見出した。彼はカイロでアラブ・コントラクターズのトレーニングに招待された。

 

 

ある日、サラーの父親はサラーを往復5時間200マイルの距離を連れていき、またある日はバス5台を用意しなければならなかった。

 

長い日々と疲れる旅路は、彼を阻むことはできず、すぐに彼は引っ越すよう誘われた。ザマーレクやアル・アハリはエジプト最大のクラブではあるが、アラブ・コントラクターズはこの若者を信じた。

 

彼らはオスマン・アーメド・オスマン・スタジアムのメインスタンドに宿舎を建てた。それはトップレベルでプレイすることを願う者たちのモチベーションとなった。我々はその施設を見学しているが、サラーが過ごしたシンプルな部屋510番からはピッチを見渡すことができる。

 

彼らはサラーに“ハーディ”(“穏やか”という意味で頻繁に用いられるアラビア語)を思い出させた。仕事をして、それからスープ、焼き鳥、グリーンサラダというお気に入りの食事を食べた後、夕方に瞑想する。

 

マージーサイドでは、妻のマギと娘のマッカと一緒に過ごすことが彼にとってのパーフェクトな1日だということを、リヴァプールの選手たちはよく知っている。

 

「モハメドはすべてを犠牲にしていたよ。」と、アル=ムカーウィルーンでサラーを最初にコーチした元エジプト代表のハムディ・ノーは語る。

 

 

「彼が来た時は、あまりに左足ばかり使っていてね。それで彼に言ったんだ。“お前は右足も使わなきゃダメだ。”とね。彼の答えは“OK、サー!”だ。いつも同じ答えだよ。いつも礼儀正しいんだ。」

 

「翌朝、彼はそこにいた。練習に次ぐ練習だ。アマチュアからプロフェッショナルへ変わる方法、そしてトップレベルに達する為の方法を彼に伝えたよ。」

 

「練習すればするほど、有名人になっていき、より多くの収入を得られるようになる。だが、ここにいない時でも続けていかなければならないんだ。」

 

「彼が家に帰る時に彼の父親に電話をしたんだ。彼にはタイムテーブルを守るように言った。テレビを観る為に遅くまで起きていてはいけない。遅くまでベッドから出てこないのもいけない。彼はそういうことをしなかったよ。」

 

「彼は生活の中ですべきことをした。彼は祈り、早く眠りについた。私は彼を作り上げた人間ではないが、彼が私の言うことに耳を傾けてくれたことは分かっているよ。」

 

だが、エジプトからヨーロッパへの旅では、クラブのもう1人の重要な人物に頼ることになる。

 

イブラヒーム・メフレブは、エジプトの首相になる前、アル=ムカーウィルーンの会長を務めていた。

 

サラーが2011年にザマーレクへの移籍を断ったことが報じられているが、知られていないのは、ザマーレクとアル・アハリが1年後に再度オファーを出していたということだ。メフレブはビジネスを行うことを考慮しなかった。

 

「メフレブは、サラーがヨーロッパのクラブに所属することになると感じていたようだ。」と、アル=ムカーウィルーンのアカデミー・ダイレクターであり、元エジプト代表アシスタント・コーチのアッラ・ナビルは語る。

 

「サラーは成功するはずだと彼は確信していたんだ。」

 

「サラーはエジプトを離れることを心配していたんだが、メフレブはサラーがそうしたがっていたことを分かっていた。今や彼はメガスターだね。」

 

彼がスイスのバーゼルに到着した後、2013年に彼はリヴァプールのスカウト陣の注目を集めることとなった。彼らは重要な試合すべてで彼をチェックした。特にヨーロッパ・リーグでのトッテナム戦やチェルシー戦がそうだった。

 

それらのミッションは、トレーニング・キャンプでの彼をチェックするというものだった。

 

それから、彼はチェルシーと契約を結んだが、その後もリヴァプールはフィオレンティーナとローマでのサラーも追い続けて、チーフ・スカウトのバリー・ハンター、デイブ・ファローズや、リクルートメント部門の責任者でスポーツ・ダイレクターのマイケル・エドワーズは、チャンスが生まれた際にはリヴァプールは行動すべきだと断言した。

 

それは、スタンフォード・ブリッジでの苦難を味わった後に、サラーがプレミア・リーグでの“ビジネスは終わっていない”と感じたことが判明したと言えるし、それがユルゲン・クロップ-彼は長らくサラーのファンだった-に託された時、2016年末の段階でリヴァプールが彼に飛びつくべきだ、というのは満場一致の結論だった。

 

彼が6月にやって来て以来に起こったことは、すべてにおいて期待を超えていたが、それは26試合で20ゴールを上回るものがある。

 

 

サラーはKOPが待ち望んでいたヒーローとなり、エジプトでの彼の人気は測り切れないものとなった。10月のコンゴ代表との一戦の最後にペナルティを決めて、エジプト代表を1990年以来のワールドカップ出場に導いた時、彼は母国の希望を担い、選手とファンの間を繋ぐ存在となったのだ。

 

「サラーは我々をロシアへと連れていくことになった7ゴールすべてに絡んだ-自身で5ゴールを決め、2アシストしたんだ。」と、エジプト代表のアシスタント・マネージャーを務めるムハマド・ファエズは説明した。

 

 

「ペナルティ?あれは私の人生でも最も忘れられない瞬間の1つとなったよ。だが、我々皆が彼のことを信頼していた。コンゴ代表と対戦する前日に彼に電話をしたんだ。」

 

「彼には“我々がペナルティキックを得られたなら、1つはお前が蹴るんだ。”と伝えた。それで彼が最初にやったのは練習だったんだ。3つか4つはペナルティがあったと思うんだが、実際に彼が決めた時、それは物凄い感じだった。あの時の感情は信じられないくらいのものだったよ。」

 

サラーはザマーレクの元会長のマムドゥ・アッバスにその時の報酬として別荘を提供されたが、この選手はその代わりにナジレイに寄付をするようお願いをした。そして、そこには伝えられていないもう1つの話がある。

 

サラーがアレクサンドリアでプレイしていた頃、彼の家族は強盗にあったことがある。数日後に泥棒は逮捕され、サラーの父親は告訴しようとしていた。

 

だが、彼の息子は何が起こったのかを聞いた時、告訴するのを止めるように頼んだ。そして、その次に起こったことは、彼のキャラクターすべてに対して最大限の洞察を与えることになる。サラーはその泥棒の人生を始動させる為に幾ばくかのお金を与え、彼が仕事を見つけるのを支援したのだ。

 

サラーは誰もが自身をより良くする機会を持つことを望んでおり、それこそがこのエジプト人が国を結びつける理由だろう。

 

「彼は並外れた仕事をしているよ。」とファエズは語る。

 

「彼の輝きの秘密?それは彼の謙虚さだよ。」

 

「彼はスーパースターだが、シンプルな人間として生きている。彼は自分の国に奉仕する為に自分の能力を使っている。彼が国歌を歌う時、それが彼にとって何を意味するものなのかを見ることができるだろう。」

 

「彼はあらゆる時、あらゆる瞬間、あらゆるスプリント、あらゆるタックル、あらゆるシュートで戦っている。彼は戦うんだ。それこそがサラー。それこそが彼がすべてのエジプト人にとって英雄である理由なんだよ。」

 

この記事は昨年12月に出ていたものですが、サラーの人となりが伺える興味深いものだったのでご紹介したいと思います。

 

読んでいただければ分かると思いますが、エジプトでの彼の行いはまさに神様。
ちょっと信じられないくらいの良い人エピソードばかりで、彼に対するイメージが大分変わってしまいました。

 

貧しい環境で生まれ育ち、そこからのし上がってやろうという野心の塊のように思っていましたが、もちろん、野心的な人物には違いないでしょうが、その源は個人的な欲求というよりは、自分が育ってきた地元や母国に恩返ししたいという思いの方が強いように感じました。

その野心故に、おそらくリヴァプールには長くはいないような気もしますが、それも致し方がないのかな、などと思ってみたり...リヴァプールがその野心に応えられるだけの存在であれば何の心配もいらないのですが、必ずしもそうは言えないのが現状ですからね。

 

 

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