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皆さまおはようございます、こんにちは、こんばんは。

The life plant まー です。

満月の今宵、5月、6月に行ったライブのその一日を振り返りながらなんて事はない戯言の日記を書いています。

両日共に、素晴らしい1日になりました。5/26 一連托生 at 大塚ミーツ
6/17 新宿3マン at 新宿アンチノック

一連托生その日はまさに、右か左か、天使か悪魔か、善か悪か、白か黒か、などなどの世の中にある何かを2つに分ける言葉が頭に浮かぶ日になりました。

今のは例え話で、本来この日の事を具体的に指し示すならば「汝らはやったのか、やらなかったのか。」この2つ。
私は一連托生というイベントの生みの親のとあるバンドから、一連托生というイベントの皮を被ったこの問い掛けをされていたと思っています。

The life plantの中でも私だけ、たまたま皆様のおかげで一連托生2DAYsは両日共に参加できたのですが、その両日共がやったかやらなかったかこの問いに尽きる日だったように思います。

何を、やったのかやらなかったのか。言い換えれば、月並みだけど前に進んだのか、後退したか。あるいは、やって来たのか、サボったのか。それが露呈する二日間。何を、については各々あるでしょう。The life plantはライブの数が少ないのでより多くの人が観れるようにという事を重きとして、やった側に立つ事が出来ました。

これを言い換えると殺るか殺られるかなのですが、物騒な物言いなのでやったかやらなかったかにしましょう。


閑話休題。

私はこの一連托生の二日間が人生の転機になると思い入念な下準備と布石を用意して来ました。それは、他人にやられるのが怖かったからです。

私個人としてはThe life plantだけでなく、この二日間演奏に参加したShinobu Motoori Group、sunnysiderも掛け替えのない存在です。(先日レコ発を終えたREPEATERも、ここに居れたらなという思いもありますね。これ全て、私が参加してるバンドです。)

『やられるのが怖かった。』本当にこの言葉に付きます。The life plantはあまりライブが出来ません。他の仲間のバンドに先を越されるのがとても怖いです。その恐怖心の中、何かで1番を取りたいとも思います。その場合は形のないものよりも、火を見るより明らかな数字に、より拘りを持ちました。

6月の話に移りましょう。

この日は3マンだったので、5月とは打って変わり自分達の表現に重きを置いたライブのセットリストを組みました。

とは言え。多くのお客さんがこの日も来てくれた事には驚きと感謝を覚えたのもまだ新しい記憶です。

自分達の表現、というのは数字とは違って不定形な要因です。そしてその価値は他者の価値観に依存し、そのくせ表現の限界は自分達で決めます。とても不毛な"問い掛け"だと自分では思っています。

ひとえに、音楽は。
アート、や創作物、あるいは作品という事について当てはめてみる事も出来ますが、私にとっての音楽とはそうではなく、もっと人間的、具体的には自分の脳みその中と他者との意思疎通だと思っているので、逆に私が聴いたり見たりする場合も同じくそこが1番気になります。その思想や思考、哲学を感じること、あるいは伝えることの出来る表現法の1つが音楽なのだと信じてます。


5月と6月。それぞれ重きを置いた事柄が違うライブでした。

私達は限られた時間の中で生活し、その中で多くを感じながら生きています。
そして、労働という生活とは切り離せない部分により社会生活に参加しているのも、また事実です。

その中で持ち寄った時間をその日に共有出来る事はとても素晴らしい事です。


が、

また、お客さんやスタッフ、"だけでなく"メンバーに対してもそれを感じるように心掛けてます。関わってる人全てが抱いてもおかしくない唯一の感情であるはずの
『この人達は今、自分の為に時間と労力を惜しみなく、使ってこの場にいる。』という感覚。

長くやっているとさも正当かの様な免罪符を持ち寄って言い訳を始めるのが人間です。


そこだけはステージに立つものとして、忘れてはならないと、改めて肝に銘じて思います。

我々The life plantは今後もその場にいる自分達含めた全ての人達へのアンサーをしっかり返せる様に、これからも前に歩み続けます。

亀並みの足並みだとしても、普遍的でいる為に。

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