まー the "blog" plant

Everyone is mania in general


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小さい頃、僕の中の頭の中は常に変な音が鳴りっぱなしだった。

ジィーーーーーという耳障りな音のこともあれば、フワーーーーーという心地よい音のこともあった。、

それを意識し始めたのは教室の中で眠たくなった時にいつも頭の中で鳴る音に意識を向けた時だった。

その音に意識を向けると自然と心地よい気分に包まれて、教室の中でたった1人になれたような気持ちに浸れた。

けれど子供の頃の授業中なんて静かにしてるやつの方が珍しく、意識の外側ではモヤのかかったザワザワとした雑音が止めどなく同時に聴こえていた。

それが僕は本当に嫌だったしイライラしたのを覚えてる。

頭の中で鳴る音が自分の気持ちや周りの景色で変わる事に気付いたのは、小学校を卒業するかしないかの頃だったように思う。

初めはどの音程なのかもわからない口には出せない音だったのが、中学生くらいに鳴る頃には何かの曲の様に聴こえてきてた。

その頃の僕は楽器といえば昔からやってた和太鼓や、小学校の頃何処かの大人達が演奏しにきたバイオリンという楽器、あとはマリンバとかチェロとか幼稚園の音楽の授業で聴いてた物しか知らなかった。

中学生の中頃にスポーツに嫌気がさしてふてくされてた頃、僕はドラムを始めたのだけれど、飽き性の僕が今までよく続けてたなと思う。

この頃に頭の中でなっていた音は間違いなく、アンビエントというジャンルに集約されてる音楽だったと今なら気付ける。

その音が、バンドを始めた事によってどんどん頭の中で鳴らなくなって言ったのを覚えてる。

高校生になる頃には、頭の中で流れてるのは世の中に出回っている曲になっていてとてもつまらなかった。頭の中であの小さな頃に聞いた音が鳴らないのにイライラして、CMや、街角で流れてる曲に無理やり耳を傾けてみた。けれど何処にもその音はなかった。

高校生のある時、ブライアン・イーノの曲をたまたま音楽の授業で先生に聴かせてもらったのだけど、その時は本当にビックリしたよ。

小さな頃に頭で鳴っていた音にとっても近い音楽が目の前のスピーカーから流れてる事にすごく興奮したし、この人も僕と同じ音を小さい頃に聴いて育ったんだと思った。あの時音楽の授業で、この曲はなんて曲か尋ねたのだけど、記憶力の悪い僕はブライアン・イーノという名前を覚えるので限界で曲名は家に帰る頃には既に頭の中から消し飛んでいた。

イーノを知って、アンビエントというジャンルを知った。そして他にも頭の中で鳴っていた音を探したらノイズにたどり着いた。

壊れたヘッドホンをMDプレイヤーに挿した時に聴こえた音でそれに気付いたんだ。

この時既に、なんで僕はドラムを始めてしまったんだと酷く後悔したよ。ドラムを辞めて早く別の音が出せる楽器にすれば良かったとその時は本当に後悔したのを覚えてる。ギターやピアノに強く憧れを持つようにもなったよ。

小さい頃、両親にピアノをやりたいといったんだ。そしたら音楽は女がやるもんだと、何故か祖父が横槍を入れてきてやらせて貰えなかったのを思い出したぞ。今考えても納得いかないよ。

でもドラムの時は反対されなかったな。何が違うのかな。それにお金がなかったから、スティックだけでスタジオに入れるドラムにはとっても満足していたのも本当。

そしてちょうど、僕はその頃音楽の他にに心理学や哲学にハマっていて、感情や言葉の成り立ちについて独学した。

それから数年経って僕はThe life plantというバンドを結成して音楽をずっと続けていく決意をした。

今は僕は1人でもギターを片手に小さな頃に頭の中でなってた音を探しては録音してって事をやってるんだけど、何分昔過ぎてなかなかその音が見つからないね。でも楽しいよ。

1人でやりたい事とバンドでやりたい事は別でね、バンドもすごく楽しい。

僕達The life plantの音楽には歌がない。人の声がない。そもそもは歌える奴が居ないから仕方ないと言うところから始まるんだけど、でもインストゥルメンタルでやろうと決めたのは僕なりに考えがあった。僕はドラムだったけど、音に対してとても拘りがあったから、曲作りでは音にめちゃくちゃ口を出したのを覚えてる。

僕らの音楽にはある時期から歌詞が存在する様になった。そして今は無くなった。

歌詞ではなく概念の様なものを書き記した物へと変わっていき、そして最終的にはその概念も無くなってしまった。メンバー以外には明かした事のない声にならない歌詞。今無きそれを書き記したノートを眺めながらこの文章を書いてる。


ある哲学者は、言葉の進化をこう述べているよ。

「言葉の進化は何を隠そう意思を伝えるのには不向きな方向へと進化し続けている。言葉で人とのコミュニケーションが成立して、互いに意思が伝わるのなら争いは起きない。しかし言葉の進化を唯一是とするならば、それは意思ではなく感情を伝える術としてであり、その言葉を発展させたのは詩であり歌である。」

僕はこの考え方がとても好きだ。

そして僕がThe life plantに歌詞を持ち込み概念を持ち込みそしてそれすらも存在させなくなった理由がまさにこの言葉の哲学。

僕達の音楽は言葉を追いかけている人達にはかなり伝わりづらいと思う。歌がないと音楽を聴けないという人が少なからずいる事を知ってるけど、そういう意味ではなくて。周りにもたくさん居る。素晴らしい文章を書く人達。それにそうでなくても言葉を気にして生きてる人もたくさん居るね。そう言う人が多い様に思う。かく言う僕も何かを伝えなきゃならない時は言葉の正誤をとても気にするけど、そういうレベルじゃなくて言葉に魅せられて言葉を追う人には、きっと伝わりづらい。話していても考え方がまるで違うしもはやそうして過ごして来た時間は感性すらも変えてしまった様に思うよ。けど僕はそれは否定しない。きっと僕よりも多くの事を言葉に表せるんだと思うと尊敬する。そして言葉の周りに漂う空気感を読み取ることができる人達なんだと思う。きっとそういう人たちは僕が好きな歌を聴いたらもっと色々な事を読み取ることが出来るのだろうなと、好きな曲の事を話していてもいつも思う。けど言葉は僕にとって理解するのがとっても難しい。


それに僕と同じように自分の感情をうまく言葉に出来ない人達には、僕達の曲は何かを残せると確信している。

例えば、こうやって文章を書いているのはあくまで意思であり考え方であり理論を伝える為であって、この文章は感情ではない。

そして歌や詩が感情を伝えられるとしたら、その歌や詩が伝えられなかった感情は後は音に託すしかないと思ってる。

僕達The life plantの音楽は、言葉に依存している人達には伝わりづらいだろう。何故なら歌がないのに歌モノをやろうとしているから。言葉を追いかける人達には意味がわからないだろう。僕も時々意味がわからなくなる時がある。

けれど、そんな時僕は一度言葉を捨て去るんだ。そうやって、うまく言葉にできない人達や、言葉以外の何かを感じながらたくさんの時間を過ごしてる人には必ず伝わると信じてる。

何故なら僕達The life plantがやりたい事はただ1つ。

「言葉にならなかった、自分自身の感情を揺さぶる事」

僕は自分の意思や考えてる事を伝える手段としては、言葉はとても素敵だと思うけれど、自分の感情を伝えるのには、言葉は心底役立たずだと本気で思ってる。

うまく伝わった試しがないし、うまく伝えてもらった試しがない。


もし何処かに僕と同じように感情を伝えるのに苦労してる人がいたら、何処かでその悩みを話し合いたい気分だよ。出来事を共有するのには言葉は有能だ。

でもその時の感情はきっと、やっぱり伝えられなかったねって言いながらお別れ出来そうだね。

残された記憶と人 / The life plant



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