拾ケ堰のことを調べていて驚いたのは、全長15キロメートルの工事期間がわずか3か月間だったということだ。
コンクリートも近代的水準器や望遠鏡もない時代に、クワやモッコだけによる手掘り作業としては、驚異的である。
・・・それほど、必要に迫られていたということだと思う。
そういえば、同じ江戸時代に作られた玉川上水も、全長43キロメートルの水路をわずか8か月で堀りあげている。
拾ケ堰は農業用水路、
玉川上水は飲料水、
どちらも人々にとって、「水を引いてこれるかどうか」は死活問題だったのである。
水は人間にとって、生きていくためになくてはならないものであるとともに、
社会生活を営んでいくための貴重な資源でもある。
水とともにあってこそ、私たちの肉体も社会も正常に機能するのだ。
江戸時代、拾ケ堰の開発に携わった6万7千人の人の中で、
特筆すべきは柏原村の庄屋・等々力孫一郎という人物である。
彼は26年間にわたって土地を詳細に調べ上げ、
反対派の暴漢に襲われながらも、松本藩への交渉を成立させて工事の実現につなげている。
当時の人としてはほとんど半生と言ってもいいくらいの年月を捧げた調査の後の、3か月間の工事。
当時、水を引いてくることは、「地域社会を救う」ことであった。
・・・彼は、これのために生まれてきたのだ。
どうしてそこまでやるのか?と聞いても、当時の彼は、答えられないかもしれない。
ただ、突き動かされるように進むのみであったと思う。
「何とかして水を引きたい」という心の流れは、
暴れ川の濁流にあっても、一ミリも揺れ動くことはない。
どんな出来事も、止めることはできない。
生まれる前に決めてきたこととは、そのようなものだ。


