健康は細胞から!
細胞からの若返り ヘルスコーチ 山中眞理子
家に戻ってからもしばらくは、ほとんどの時間をベッドで過ごしていました。
それでも、できるだけ体を動かすために、食事・トイレ・洗面のときには補助器具を使って歩くよう心がけていました。特に洗面は大変で、背骨を曲げないように股関節から前屈する姿勢を徹底し、顔はタオルで拭くだけ。ほんの小さな動作にも細心の注意が必要でした。
日常生活の動作が難しく、最初は友人の助けを受け、その後は要介護2となり、
1日1回1時間のヘルパーさんの訪問で調理と週1回のシャワー介助を利用することになりました。
🌟 毎日のセルフケア
私は「できることは全部やる」と決め、毎日次のようなケアを続けてきました。
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レッドライト10分照射
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水素吸入1時間(レッドライトと同時)
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音波療法で経絡刺激
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骨をサポートする栄養(ビタミンD3+K2、カルシウム、マグネシウム、コラーゲン、亜鉛、シリコンなど)
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睡眠の質改善のための栄養サポート
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ミトコンドリア活性・炎症・腸の健康を支えるサプリ
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コルセットは術後2ヶ月は常時着用し、徐々に外す時間を延ばしました。
レッドライトは細胞の働きを活性化しますが、その分活性酸素も増えるため、同時に水素吸入を行うことで負担を減らしています。
🌈 驚くほど早い回復
医師からは
「骨とコンクリートがしっかり付くまで5〜6ヶ月はかかる」
と言われていました。
ところが——
手術からわずか3ヶ月後の診察(11月初旬)で、骨とコンクリートが隙間なく結合していることが確認されました。
この結果は、
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無理のない範囲で毎日動いたこと
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細胞と骨を整えるケアを継続したこと
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栄養と睡眠を徹底したこと
が重なった成果だと感じています。
次回は長引く療養中に感じるストレスと体力の衰えについてお伝えしますね。
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私のストーリー
幼少時代~学生時代
私は1947年生まれです。
戦後2年目の夏です。
幼少時からとっても細くてひ弱でした。
よく蕁麻疹になっていましたし、学校の入学試験の日に風邪を引いて両親が希望する学校に行かれない。など親を困らせていました。
そんなでしたので小学校に入ってもお給食が食べられないでいました。
中学に入って2キロほど離れた学校に自転車で通うようになってからはだいぶ丈夫になりましたが体育の授業はたいていさぼっていました。バレーボールやバスケットなどのボールゲームが大嫌いだったからです。テニスは少ししましたが、全くセンスがないのは明らかでした。
勉強も好きなことしかしなくて、成績のことなどはあまり気になりませんでした。
とても神経質で内向的でかなりわがままな困った子供時代でした。
学校から帰ると音楽を聴いたり本を読んだりしていました。
高校を卒業すると美術史に興味を持つようになり、イタリアに憧れるようになりました。
それで、イギリスかアメリカに留学させたいと思っていた親は猛反対しましたが、結局許してイタリア留学が叶いました。
憧れのイタリアでの生活は想像以上の変化をもたらしてくれました。
第1に変わったのが、神経質で内向的でははいけない、という点です。社交性を身につけなければ誰も相手にしてくれないし、それでは面白くない、ということに気づいた点です。
第2に変わったのは勉強を好きになったことです。新しいことを学ぶのはとっても楽しいし刺激的だということ。それから、多少、いやでも面倒でも学んだことは何かの役に立つ、と分かったことです。
世界各地のお友達が沢山できて楽しかったです。


