健康は細胞から!
細胞からの若返り ヘルスコーチ 山中眞理子
入院して「1ヶ月はベッドから立ち上がれない」と告げられた瞬間、私は強い恐怖を覚えました。
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1ヶ月も寝たきりになれば筋肉が落ち、サルコペニアが進んで回復が難しくなる
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刺激のない生活が続けば認知能力が急激に低下してしまう
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動けないことで自信を失い、気持ちが沈み込み、鬱っぽくなる
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痛みで食事が取れず、点滴に頼る生活が続けば内臓やホルモンにも影響が出る
そんな未来が次々と頭に浮かび、「どうにか早く動ける方法はないのか?」と必死で探しました。
その中で私は、背骨に医療用のセメント(コンクリート)を注入して骨を安定させる、比較的新しい手術法があることを知りました。
そこで、
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どこの病院なら受けられるのか
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どのような患者が対象なのか
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手術後どれくらいで動けるようになるのか
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リスクは何か
これらを調べ、担当医にお願いをしました。
しかし、私が入院していた病院ではこの手術が行えなかったため、すぐに転院依頼書を書いていただき、翌日には転院することができました。
次回からは、
「寝たきりを防ぐために、入院中からできたこと」
について書いていきます。
高齢者が回復するために本当に役立ったこと、
医師や理学療法士から教わったポイント、
私が自分の体で試して効果を感じたことなどをお伝えします。
同年代の方やご家族の参考になれば嬉しいです。
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私のストーリー
幼少時代~学生時代
私は1947年生まれです。
戦後2年目の夏です。
幼少時からとっても細くてひ弱でした。
よく蕁麻疹になっていましたし、学校の入学試験の日に風邪を引いて両親が希望する学校に行かれない。など親を困らせていました。
そんなでしたので小学校に入ってもお給食が食べられないでいました。
中学に入って2キロほど離れた学校に自転車で通うようになってからはだいぶ丈夫になりましたが体育の授業はたいていさぼっていました。バレーボールやバスケットなどのボールゲームが大嫌いだったからです。テニスは少ししましたが、全くセンスがないのは明らかでした。
勉強も好きなことしかしなくて、成績のことなどはあまり気になりませんでした。
とても神経質で内向的でかなりわがままな困った子供時代でした。
学校から帰ると音楽を聴いたり本を読んだりしていました。
高校を卒業すると美術史に興味を持つようになり、イタリアに憧れるようになりました。
それで、イギリスかアメリカに留学させたいと思っていた親は猛反対しましたが、結局許してイタリア留学が叶いました。
憧れのイタリアでの生活は想像以上の変化をもたらしてくれました。
第1に変わったのが、神経質で内向的でははいけない、という点です。社交性を身につけなければ誰も相手にしてくれないし、それでは面白くない、ということに気づいた点です。
第2に変わったのは勉強を好きになったことです。新しいことを学ぶのはとっても楽しいし刺激的だということ。それから、多少、いやでも面倒でも学んだことは何かの役に立つ、と分かったことです。
世界各地のお友達が沢山できて楽しかったです。
