私の住んでいるところは馬と日常に出会えたり森や牧草、道の駅で売る無農薬野菜や減農薬のお米を作っている方の多い自然豊かなところでもともと住んでいた方と移住者が半々くらい。
今日お話ししてきた方は元から住んでいた方です。
交通事故にあわれて何か所も骨折して、集中治療室から普通の病室に移るという日にエコノミー症候群のように肺に血栓が飛んで倒れられ、生死をさまよって数日が過ぎたようです。
こうして、気が付くと先生や看護師さんが忙しくいろいろとしてくださっているのが分かりました。
病室のベッドで点滴と酸素吸入で身動きができない中数日を過ごし、
このままでは死ねない。
何とかしなくては!
自分に何ができるだろうか
と考えられ、
深呼吸
を気が付くといつもするようになさいました。
深呼吸を続けて10日経っても胸の苦しさは何も変わらず
「なんの知識もない私なんかが考えることでは状態が良くなるはずはない」
と思いつつもつつも深呼吸を続けておられたそうです。
そうすると2週間ほどたった時
突然、呼吸が楽になった!!!
看護師さんを呼んで伝えると先生も来てくださり
「とても危ない状態でした。よく回復されました」と驚かれたそうです。
深呼吸
諦めないで続ける
私は生きる。今は死ねない、
という気持ち
この3つがこの方を救ったようです。


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1山中眞理子
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私のストーリー
幼少時代~学生時代
私は1947年生まれです。
戦後2年目の夏です。
幼少時からとっても細くてひ弱でした。
よく蕁麻疹になっていましたし、学校の入学試験の日に風邪を引いて両親が希望する学校に行かれない。など親を困らせていました。
そんなでしたので小学校に入ってもお給食が食べられないでいました。
中学に入って2キロほど離れた学校に自転車で通うようになってからはだいぶ丈夫になりましたが体育の授業はたいていさぼっていました。バレーボールやバスケットなどのボールゲームが大嫌いだったからです。テニスは少ししましたが、全くセンスがないのは明らかでした。
勉強も好きなことしかしなくて、成績のことなどはあまり気になりませんでした。
とても神経質で内向的でかなりわがままな困った子供時代でした。
学校から帰ると音楽を聴いたり本を読んだりしていました。
高校を卒業すると美術史に興味を持つようになり、イタリアに憧れるようになりました。
それで、イギリスかアメリカに留学させたいと思っていた親は猛反対しましたが、結局許してイタリア留学が叶いました。
憧れのイタリアでの生活は想像以上の変化をもたらしてくれました。
第1に変わったのが、神経質で内向的でははいけない、という点です。社交性を身につけなければ誰も相手にしてくれないし、それでは面白くない、ということに気づいた点です。
第2に変わったのは勉強を好きになったことです。新しいことを学ぶのはとっても楽しいし刺激的だということ。それから、多少、いやでも面倒でも学んだことは何かの役に立つ、と分かったことです。
世界各地のお友達が沢山できて楽しかったです。
