(中央を流れるのが「境川」、手前が「JR横浜線の線路」:川の手前は「東京都」、

 川の向うは「神奈川県」)


「蔦屋重三郎シリーズ」は、第12回の前々回をもって最終回としました。

 

 

「上野の森美術館」は、未だ7月6日まで、喜多川歌麿や東洲斎写楽などが

 展示されていますので是非足を運んでみてください。)

 

「高層ビル展望室からの眺め」シリーズは、前回の「藤沢市役所」に続いて、

今回は、「町田市役所」です。

 


私の中学のクラスメイトが、「町田市役所」の隣の「町田市民ホール」で、

考古学の講演会を開催するというので聴きに行って来ました。

 



JR横浜線の町田駅で下車、西友の脇の道を直進、「町田市民ホール」へ向かいます。

 

 

 

「町田市民ホール」に到着しました。

 

クラスメートの講演会は夕方からなので、それまで、隣の「町田市役所」の中で

時間を潰します。

 

 

 

 



庁舎内は、吹き抜けの天井が高いので圧迫感がなく、明るい雰囲気で綺麗です。ウインク

 

 

先ずは、「町田市役所」の職員食堂で食事をします。ステーキ

 

 




先ずは、この吹き抜けの2階の「食堂・キッチンパチパチ」へ向かい

ランチを食べます。

 


刺身定食(1,380円)を注文します。寿司

ネタが新鮮で、厚くて、美味い!ラブ

食事を終わり、食堂の脇の展望テラス(2階)に出てみます。

 

 

 




更に、外の階段を上がって3階展望テラスへ行ってみます。

 

 


隣のビルの町田市民ホールでの講演会まで、未だ時間があるので、それまでの間、

市役所の「屋上の展望テラス」で過ごします。

 



南エレベーター2号機で、11階の屋上展望テラスへ向かいます。

 



「屋上展望テラス」は、市役所の開庁日には一般開放しているので誰でも

利用できます。ニコニコ

 

 

 

 

 

 

屋上の展望テラスからは、「大山や丹沢山系」の山々を眺めることが出来ます。

 

「大山」については、上の写真では見ずらいので、末尾の動画でご覧ください。

 





上の写真の中央を流れるのが「境川」で、その手前が「JR横浜線の線路」です。

 



「境川」の手前は「東京都・町田市」ですが、「境川」の向こう側は

「神奈川県・相模原市」になります。


講演会の開会時間になったので、「町田市役所」の隣の「町田市民ホール」へ、

クラスメートの講演会を聴きに行ます。

 

 


 

・町田市役所のYouTube動画です。

       ↓

 

 

 

 


(藤沢市役所)

 

「蔦屋重三郎シリーズ」は、第12回の前回をもって最終回としました。

 

しかし、蔦屋重三郎が見出して売り出した喜多川歌麿や東洲斎写楽などの

展覧会は、下記日程で未だ開催されていますので是非足を運んでみてください。

 

「上野の森美術館」は7月6日まで、「東京国立博物館」は今月15日まで。

 

今回からは、暫くの間お休みにしていた「高層ビル展望室からの眺め」シリーズ

を再開します。

 

今回は、「藤沢市役所」です。

 

蔦屋重三郎シリーズ(その7)でご紹介しました様に、2月19日に、

「神奈川県辻堂」の「藤澤浮世絵館」の「蔦屋重三郎と絵師たち」の特別展を

見に行きました。

 

「藤澤浮世絵館」を出て、この「辻堂駅」の隣の「藤沢駅」で下車し、

藤沢駅の脇の「藤沢市役所」の食堂で昼食を食べてから帰宅しました。電車

 

 

   

 

東海道線の「辻堂駅」で下りて、北口を出て真っ直ぐ北へ歩いて行きます。

 

 

 

 

「藤沢市役所」は、「JR藤沢駅」北口のビックカメラの脇のエスカレーターを

降りて直進、徒歩3分で到着です!ニコ

 

 

 

2017年に建て替えられたばかりの真新しくて綺麗な市役所です。照れ

 

 

 

 

 

 

本庁舎の中には、職員食堂が無いので、上の写真の様に、本庁舎の広場には、

移動式のキッチンカーの前には、職員の長蛇の列が出来ています。鍋

 

 

1階ロビーは「市民ラウンジ」が用意されています。

 

 

先ず、本庁舎9階の「展望デッキ」へ向かいます。

 

 

新しくて綺麗で大きなガラス張りの広々とした迫力満点の空間が広がっています。照れ

 

 

東海道本線の電車が続々とやってくるので飽きません。新幹線後ろ新幹線真ん中

 

   

 

青空に冠雪の富士山が、真近に大迫力で迫ります!富士山  ラブ

 

 

   

 

ビルの隙間からは、湘南の真っ青な海も見えます。うお座

 

 

 

椅子やベンチもたくさん用意されているので、親子連れ、高齢者のグループ、学生、サラリーマンなど、大勢の皆さんが気ままにゆっくり過ごしています。

 

 

続いて、5階に移動し「屋上庭園」にも立ち寄ってみます。

 

 

 

 

市民ラウンジの横を抜けると屋上庭園へ出ます。

 

円形の大きなベンチが設置されており、広々とた開放感があります。ニコニコ

 

「分庁舎」の1階の食堂でランチにします。

 

 

 

 

「分庁舎」の1階の食堂でランチにします。お弁当

 

(ビーフカレー:850円)

 

藤沢市役所

 

 

ps.

これまでの「ビル展望台」については、以下のビルをクリックしてください。

「あべのハルカス」「ミッドタウン八重洲」「歌舞伎町タワー」

「渋谷スクランブルスクエア」「横浜ランドマークタワー」

「池袋サンシャイン60」、「三軒茶屋キャロットタワー」、

「川崎市役所・新庁舎」「虎ノ門ヒルズステーションタワー」,

「文京シビックセンター」   、  「北とぴあ(北区王子)」、  

「東急プラザ蒲田(大田区)」、「小田原駅ビル」  、

  「足立区役所」 、「ザ・ヨコハマフロント」、

「横浜スカイビル」、「渋谷マグネットビル」、「都庁本庁舎」、

「JR市川駅ビル」「テレコムセンター(お台場エリア)」

「練馬区役所」「港区役所」、

 

 

 

 

 

 

 

(喜多川歌麿:「教訓親の目鏡シリーズの「ばくれん※」:写真撮影OKの絵) 
       (※「ばくれん」とは、酒好きであばずれの女性のことです。)

 

 

この「蔦屋重三郎シリーズ」は、前回の連続11回目「蔦屋重三郎展(神奈川

県立近代美術館」で終了する予定でしたが、昨日(5月27日)から7月6日まで、

「上野の森美術館」で「五大浮世絵師展」が始まってしまいました。びっくり

「五大浮世絵師」は、喜多川歌麿、東洲斎写楽など、蔦屋重三郎とは密接な関係

にある絵師のため、このシリーズから外す訳にはいきません。汗うさぎ

という訳で、シリーズを1回延長して、今回をもって最終回とします。

次回からは、暫くの間お休みにしていた「高層ビル展望室からの眺め」シリーズ

を再開します。

 
 

これまで「蔦屋重三郎シリーズ」として、「1.大河ドラマ館(浅草)」

「2.耕書堂(吉原)」「3.蔦重と絵師たち展(藤沢市)」

「4.蔦重関連の墓石巡り」「5.耕書堂(日本橋)」「6.大田南畝宅 (神楽坂)」

「7.大田南畝歌碑 (上野公園)」「8.太田南畝の墓」「9.武士の戯作者たち」

「10.蔦重展(国立博物館)」「11.蔦重展(神奈川県立近代美術館)」

をご紹介しました。

 

 

 

JR上野駅で下車します。電車

 

 


上野の森美術館は、上の写真の東京会館の隣です。
 

 

 



「五大浮世絵師展:入場料・2,000円:会期中無休)

 

 

 

大河ファンなのでしょうか、会場には若い人たちが溢れており、全く想定外の

雰囲気でした。びっくり

美人画の歌麿、役者絵の写楽、森羅万象を描いた北斎、名所絵を独自に描いた広重、

怪奇絵の国芳。
この5人の浮世絵師の代表作が140点も展示されていて、大満足の展覧会でした。

ラブ
歌舞伎俳優の尾上松也さんがつとめる本展の音声ガイドは、スマホで無料で

聞くことができます。(イヤホンがあると便利)

会場は、浮世絵師の五人が、それぞれの5部屋に分かれた構成で、各部屋は、

各々の作品が年代順に並んでいます。

 

そして、各部屋の最初の1枚だけが写真撮影が出来ます!カメラ



[第一章:喜多川歌麿 ― 物想う女性たち]

大河ドラマ「べらぼう」ファンとしては、やはり、「喜多川歌麿」を観たいです。照れ
 


歌麿は、蔦屋重三郎がスカウトし、専属的に次々と名作を世に出してヒットさせ、

大スターに育て上げました。

遊女や芸者だけでなく、市井の娘たちをも描き出した美人画の第一人者です。ウインク

最初の版元は、当然、蔦屋重三郎ですが、途中から鶴屋喜右衛門に変っているのが

興味深く面白いです。ニヤリ

 



上の写真は、館内のグッズショップで買ったこの展覧会の目録です。

 

従って、各部屋毎に1枚だけが写真撮影OKの絵以外以外の絵は、

この目録からの転写です。


上の写真は、目録からの転写での「当世踊子揃 吉原雀」ですが、

ベールのような被り物の透け感が見事です。ウインク

 

下の写真も、同じく目録からの転写での「遊君鏡八契 蚊帳の内外」ですが、

蚊帳の網目が、恐らく1ミリに数本くらいの間隔で彫られています。ゲッソリ

 

絵の上から下まで、びっしりと、気が遠くなるくらいこの幅で続いています。ラブ

 

描く歌麿はいいでしょうが、これを彫らされる彫り師はたまったものでは

ないと思いますよ。えーん




下の写真は、同じく目録からの転写で、「五人美人愛敬競 兵庫屋花妻」ですが、

髪の生え際の描き方は超絶技巧です!ラブ

 

 

全体を通して言えることですが、別の作品ではないかと思うくらい、目録の絵と

実物の絵は色の鮮やかさが違います・・・びっくり

 

その意味では、色鮮やかな歌麿の実物が、真近かで見られてホントに嬉しいです!
ラブ



[第二章:東洲斎写楽 ― 役者絵の衝撃]
  

 
写楽も歌麿と同様に、蔦屋重三郎に見出されました。ウインク

写楽は、活動期間の僅か10か月の間に、145点ものの錦絵を残した謎の絵師で、

役者絵の新境地を切り開きました。

役者の顔を大胆にクローズアップした「大首絵」は、見る者に強烈な印象を

残します。びっくり

 


写真撮影OKの「尾上松助の松下造酒之進」です。

 

役者大首絵の写実が余りにもリアル過ぎて、役者の顔の欠点が目立ち、

江戸の歌舞伎ファンは買いたがりませんでしたが、同業者の絵師たちからは

絶賛されたらしいです。ガーン


 

 



[第三章:葛飾北斎 ― 怒涛のブルー]


北斎は、70年以上の絵師生活の中で、挿絵、錦絵、摺物、肉筆画など、

あらゆる分野の仕事を手がけました。

 

 


写真撮影OKの「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」は余りにも有名な1枚です。ラブ

「北斎漫画」は、北斎の代表的な絵手本で、自由に描いた印象で、弟子たちの

手本とも言われ、後にフランスで注目され、ジャポニスムの意匠としても

高く評価されました。照れ

冨嶽三十六景シリーズは、70歳代に入ってから発表しました。びっくり

老境に入ってからは、より彩りが増し、新しいテーマに挑戦し続けました。




[第四章:歌川広重 ― 雨・月・雪の江戸]

 


広重が、風景画の絵師としての名声を高めたのが「東海道五拾三次之内シリーズ」

で、当時の旅ブームと相まって、大ベストセラーとなりました。ラブ

東海道53次以外にも、江戸市中をはじめ、各地の名所を描いた「名所絵」を

得意としました。

自然と人々の営みを、情緒豊かに描き出した風景画の名手です。照れ
 


上は、写真撮影OKの「東海道五拾三次之内 日本橋 朝之景」です。




[第五章:]歌川国芳 ― ヒーローとスペクタクル]

 

 

 

上は、写真撮影OKの「小子部栖軽豊浦里捕雷」です。

国芳は、武者絵、戯画、風刺画、美人画などの多彩なジャンルで、奇抜な構図と

大胆な発想で描きました。

通俗水滸伝でブレイクし、その地位を確立しました。

三枚続の大判絵に描かれた迫力あるヒーローたちで、武者絵の広がりを見せます。

江戸の刺青ブームに影響を与えました。

 


広重や北斎の旅行絵を観ているうちに、五街道を踏破した際の思い出が

蘇ってきました。ニコニコ



上の絵は、「日光街道の千住宿」ですが、「千住宿」は、日光街道の実質的な

スタート地点で、芭蕉もここから歩き始めています。

 

(「千住宿」については、「中山道を歩く」の中程の一覧表の「日光街道」

 の1番目の「千住宿」をクリックしてね。)



上の絵は、「東海道の丸子宿」ですが、この絵の通りの茶屋が現在も残っており、

私は、弥次さん喜多さんが食べたのと同じとろろ丼を食べました。

あの美味しさが忘れられません!

(「丸子宿のとろろ丼」については、「中山道を歩く」の中程の一覧表「東海道」

 の20番目の「丸子宿」をクリックしてね。)

 



上の絵は、「甲州街道の猿橋宿」の「猿橋」ですが、この絵の通りの江戸時代に

架けられた橋が今も残っています。

 

(「甲州街道の猿橋宿」については、「中山道を歩く」の中程の一覧表「甲州街道」

 の19番目の「猿橋宿」をクリックしてね。)

 

 

美術館の前は「清水観音堂」です。

 

 

上の写真は、清水観音堂の「月の松」です。(赤丸印)

 

 

清水観音堂の隣は、「西郷さんの銅像」です。

 

 

銅像の脇のエレベーターで、2階にあるJR上野駅のレストラン街へ下ります。

 

 

「日本橋すし処・二ノ宮」に入り、ランチの握りを注文しました。寿司

 

 

 

・上野の森美術館のYouTube動画です。

       ↓

五大浮世絵師展(上野の森美術館)

 

 

 

 

 

 

 

 

(片岡球子」が描いた「(面構(つらがまえ) 東洲斎写楽)」)


この「蔦屋重三郎シリーズ」も、今回で、連続11回目となりました。OK

蔦屋重三郎関連の史跡もほぼ巡り尽くした感があるので、今回で最終回にします。

次回からは、暫くの間お休みにしていた「高層ビル展望室からの眺め」シリーズを

再開します。

 

これまで「蔦屋重三郎シリーズ」として、「1.大河ドラマ館(浅草)」

「2.耕書堂(吉原)」「3.蔦重と絵師たち展(藤沢市)」

「4.蔦重関連の墓石巡り」「5.耕書堂(日本橋)」「6.大田南畝宅 (神楽坂)」

「7.大田南畝歌碑 (上野公園)」「8.太田南畝の墓」「9.武士の戯作者たち」

「10.蔦重展(国立博物館)」をご紹介しました。
 




JR横構駅から、横須賀線に乗り、「逗子駅」で下車します。新幹線後ろ新幹線真ん中

 

 

駅前から京急の路線バスに乗ります。バス

 

 

 

京急の路線バスは、逗子の海岸沿いに南下して行きます。バス

 

 

 

 

(葉山マリーナ)照れ

 

 

 

 

 

 

 

車窓からは、富士山、葉山灯台、森戸神社の鳥居がクッキリと見えます!ラブ

 


逗子駅前から、京急バスで、葉山アリーナ、森戸海岸を経て、

「三ヶ丘 神奈川県立近代美術館前」バス停で下車します。

 

 


バス停の前が上の写真の「神奈川県立近代美術館」です。

 

 

先ず、美術館の周囲の散策路をひと回り一回りしてみます。

 

 

 

 

 

 

散策を終わり入館します。( 1,200円:月曜休館)

 

 

 

 

 

(美術館併設のイタリアンレストラン)

 

 

 



現在、特別企画「片岡球子・蔦屋重三郎の浮世絵師たち」展を、

6月29日まで開催中です。

内容は「片岡球子が描いた写楽や歌麿の面構〈つらがまえ〉」です。

写楽や歌麿が描いた作品は展示されておらず、片岡球子が描いた浮世絵師たちの

似顔絵が展示されています!ガーン

早合点して、写楽や歌麿が描いた大首の役者絵や美人絵を見ようと、

出掛けない様にして下さい!びっくり


 

(面構 年老いた喜多川歌麿と鳥居清長)

 

 


 

(面構 鳥文斎栄之 : 左の手元に紙と筆を置き、右は遊女と禿)

 

 



 

(面構 蔦屋重三郎 : 安藤広重の「大はしあたけの夕立」を横に)

 

 

 

 

片岡球子(1905-2008)の履歴を簡単にご紹介しておきます。

 札幌生まれ、女子美卒、院展を中心に活動。

 横浜市大岡尋常小学校の教諭、女子美の専任講師に就任。

 愛知県立芸術大学教授となり、代表作の”面構/足利尊氏”を発表。

 面構シリーズは、歴史上の人物をモデルにしていますが、球子自身は、

 単なる肖像画ではなく人間の魂を描きたいと述べています。

 103歳で亡くなるまで藤沢に住んでいたこともあり、ここ「近代美術館」に

 多数の作品を寄贈。ラブラブ

     片岡球子の作品は、全て写真撮影が可能です。カメラ



近代美術館の道路向かいの「葉山茶寮六花」で、ランチにします。生ビール お弁当

 

上の写真の道を真っ直ぐに歩くと、葉山御用邸です。

 

 


塀沿いに進んだ先に正門がありますが、海辺の街にたたずむ端正な日本家屋です。

昭和天皇に仕えた持医頭(じいのかみ)の旧塚原伊勢松別邸として、

昭和9年に建てられました。

屋根のある立派な門構えに由緒ある奥ゆかしさが感じられます。照れ


店内は、庭の緑がよく見えるようにテーブルが配置されています。


日本家屋の広縁で、庭の緑を眺めながらゆったりと食事が出来ます。ニコニコ

 


カウンタ―席もあり、その向こうには床の間のある和室になっています。

「六花御膳」(4,000円)を注文します。

六花御膳は、先ず、地元で採れたての旬の野菜を頂きます。 

 

 

 

 

  次は、地野菜のせいろ、地元の魚です。

 



・ご飯 汁物 香の物

 



・最後のお茶とお菓子は、抹茶ジュースとアイス最中を選びました。ロックグラス ソフトクリーム


今読んでいるのは、直木賞受賞の「松井今朝子著・吉原手引草」です。

全盛を誇る花魁の葛城は、越後の大問屋への身請け話も決り絶頂にありました。

その葛城が、神隠しに遭ったかの様に、忽然と姿を消してしまいました。

事件の真相を追う若い男が、葛城に関係のあった人々に次々と話を

訊いてまわります。

やがて、その人々の重い口から語られる廓の表と裏が徐々に明らかに・・・、

事件の真相は?

 

 

 

 

 

 

 


 

 

(「喜多川歌麿」の「ポッピンを吹く娘」)


現在、上野の「東京国立博物館」で「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」展

が開催中なので行って来ました。(6月15日迄)チョキ

平日の昼間に行きましたが、テレビの影響は大きいみたいで、会場はたくさんの人

でした。
でも、大勢の人の列で渋滞という様なことはなく、それなりにゆっくりと

見る事が出来ました。ラブ




JR上野駅の公園口で下りて、会場の「東京国立博物館」へ向かいます。走る人

 

     

 

 

 

(入場料:前売1,900円、当日2,100円)


 


 


会場の入口は、上の「写楽」と冒頭の写真の「歌麿」です。照れ

 

「横浜流星」の音声ガイド(750円)を借りて入ります。ヘッドフォン

 

展示のほとんどは、残念ながら撮影禁止です。カメラ えーん

 

 

(以下、浮世絵の写真は、「特別展・出品目録」(3,300円)からの転写です。)

 

展示の最初のテーマは、「吉原細見、黄表紙、洒落本の世界」です。

 

 

(吉原細見:序は山東京伝)

 

 

(一目千本:北尾重政画)

 

 

(箱入娘面屋人魚:山東京伝作)ニヤリ

 

続いてのテーマは、「浮世絵師発掘―歌麿、写楽、栄松斎長喜」です。ニコニコ

 



上の絵は、「喜多川歌麿」の「婦女人相:高名三美人」です! 爆笑 

 

「高名三美人」は、町の素人の美人を描いた、所謂、”読者モデル”です。ニヤリ
 

 

有名な「喜多川歌麿」の「ポッピンを吹く娘」です!ラブラブ

 

爽やかな風を感じる立体感、一瞬の表情!ドキドキ

背景の無地の「白雲母摺り(しろきらすり)」もよく分かります。ニコニコ

 

 

(喜多川歌麿:難波屋おきた)

 

色鮮やかな美人画が真近かで見られて、感動で胸が高鳴ります!花火

 

 

(喜多川歌麿:物思恋)

 

歌麿の全ての作品には、上の写真の様に、歌麿の名前の上に蔦重の印が

押されており、これが、歌麿が蔦重から離れていった原因だと言われています。ゲッソリ

 

 

(喜多川歌麿:当世踊子揃 鷹鷺娘)

 

 

(喜多川歌麿:青楼十二時 続 戌の刻)

 

上の写真の「青楼十二時」シリーズは、遊郭の日常を、一刻(2時間)毎に

描くという、ユニークな視点で、遊女の素の姿を描いた作品です。デレデレ

 

本物の色鮮やかな美人画を、真近で沢山見られて、来て良かったなあ~!ラブ

 

 


作品の展示コーナーを出ると、 最後は、日本橋の蔦屋の「耕書堂」周辺の町並みが

再現されていました。花火

 

 

 

 


あっ!、「平賀源内」が追い詰められた原因になった「エレキテル」(パブリカ)だ!

びっくり

 


この辺りは、撮影可能ですが、動画とフラッシュはダメです。カメラ OK

 

 

 

 

 

 

 

(ドラマの衣装のデザイン画)

 

 

 

 

 

 


会場を出ると、下の写真の「べらぼう」の主人公たちの大きなパネルが

並んでいました。

 

 

 

 

 

 

国立博物館を出て、正月におせち料理を食べた「韻松亭」の隣の「上野精養軒」で

名物メニューの「ビーフシチュー」(2,900円)を食べてから帰宅しました。ステーキ

 

 

お土産に上の写真の「鴨場プリン(2個入)」(1,000円)を買いました。プリン

 

 



(上野・御徒町の「佐竹商店街」)

 

 


今回は、「平沢 常富(つねまさ)」が家老を務めた「秋田佐竹藩の屋敷跡」を

訪ねます。


大江戸線・新御徒町駅で下車します。新幹線後ろ新幹線真ん中
 

 

「平沢常富」のペンネームは、「朋誠堂喜三二」(ほうせいどう きさんじ)でした。

 

「江戸留守居役・平沢常富」の主な役割は、幕府や他藩との情報交換で、そのための会合は吉原で行われていました。びっくり



写真は、上野・御徒町の「佐竹商店街」です。

 

商店街の入口の説明版(赤丸印)には、
「この辺り一帯(佐竹商店街)が、「秋田佐竹藩」の「家老(江戸留守居役)

・平沢常富」がトップだった「上屋敷」だった。」と書いてあります。

 

 

 


ここ佐竹商店街のスピーカーからは、江戸時代の佐竹藩の歴史についての解説が、

買い物客向けに流れています。カラオケ

 


商店街の中程には、上の写真の「佐竹秋葉神社」があります。

 

その説明版には以下の様に記されています。


「佐竹秋葉神社は、二十八万石を有する東北地方屈指の大名で、秋田藩十二代藩主・

佐竹右京太夫義尭公の上屋敷の守護神にて、この地にあった広大な屋敷跡である。」

 

(以下の挿絵は、「蔦屋重三郎の真実(歴史人)」、「居酒屋蔦重(オレンジページ)、

    NHKテレビ「英雄たちの選択」からの転写です。)

 


「平沢常富」のデビュー作は、吉原に通う若者のスタイルを紹介した上の写真の

洒落本「当世風俗通」で、挿絵は親友の「小島藩藩士・恋川春町」が描きました。

 

 


「平沢常富」は、「鱗形屋孫兵衛」の専属作家でしたが、「蔦屋重三郎」が強引に

引き抜き、自分の専属にしてしまいます。ガーン

 

 


上の絵は、平沢常富の「文武二道 万石通」です。

源頼朝の家来の畠山重忠が、武士の教育を勘違いして、風流や教養を奪ってゆく

という物語です。


時代は鎌倉時代に置き換えていますが、内容は「松平定信」の「寛政の改革」を

皮肉ったものです。

 


この黄表紙「文武二道 万石通」は、蔦屋から刊行されて好評を博しました。

 


この「文武二道 万石通」の初版では、畠山重忠を示す「重」(右肩の青丸印)と、

松平定信の家紋を示す「梅鉢紋」(左肩の青丸印)が描かれています。

 


しかし、これが松平定信の怒りをかったのちの三版では、「重」と「梅鉢紋」が

共に削られています。


「寛政の改革」を皮肉ったこの「文武二道 万石通」により、「平沢常富」は、

 秋田佐竹藩の藩主の佐竹公により断筆を命ぜられます。ガーン


しかし、平沢常富は、大大名の秋田佐竹藩の江戸留守居役(家老)なので、

幕府も遠慮して、叱責だけで済ませてしまいます。ニヤリ


「大大名の家老の平沢常富」や、「幕臣の大田南畝」とは異なり、「弱小藩の

小島藩のただの藩士」だった「恋川春町」の運命は過酷なものでした!! 

ガーン
「恋川春町」は、「松平定信」が書いた教本「鸚鵡(おうむ)の詞(ことば)」に

なぞらえた「鸚鵡返 文武二道(ぶんぶの ふたみち)」を出版しました。

 


上の絵は、春町の「鸚鵡返 文武二道」で、吉原などの取り締まりを厳しくしたために、一般の女性に被害が及んだことを風刺しています。


春町の「鸚鵡返 文武二道」の鸚鵡返(おうむがえし)とは、「平沢常富」の

「万石通」の後編であることを示すとともに、「松平定信」が書いた「鸚鵡言」

(おうむのことば)も風刺していました。


また、下の漫画の様に、政治の在り方を凧揚げに例える鸚鵡言の記述を

取り上げています。

 

 


それを人々が勘違いして凧揚げを競ったと茶化しています。


下の絵は、春町の「鸚鵡返 文武二道」ですが、平安時代、武芸の推奨を勘違いした

貴族たちが、町中で大混乱を起こす物語です。

 


(時代は平安時代に置き換えていますが、内容は「松平定信」が編集した「鸚鵡之詞」(おうむのことば)を皮肉ったものです。)
 

これらの本は、「松平定信」の文武奨励を揶揄したものとみなされ、「松平定信」の

逆鱗に触れてしまいます!びっくり

 


恋川春町は、幕府からの呼び出しを食らいます!えーん

 


もし春町が、出頭して罪を認めれば、「お家断絶」のうえ、「小島藩の藩主」にまで

類が及びます!滝汗


春町は、恐れおののき、病を理由に屋敷に籠り続け、出頭命令に応じませんでした。


春町は、出頭命令に応じないまま死去してしまいますが、この死去については

自殺説もあります。泣くうさぎ


辞世の句:「我もまた 身は亡きものと 思いしか 今はの際は 寂しかりけり」


この春町の「辞世の句」を知って、「蔦屋重三郎」は、自分が危ない橋を

渡らせてしまったと後悔します。えーん

 

 




 

 

 

 

(「大田南畝(なんぽ)の墓」のある「本念寺(文京区)」)

 

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今回は、「大田南畝の墓」のある「本念寺」を訪ねます。

 

 

都営三田線の「白山駅」で下車し、旧白山通りの坂道を下りて行きます。

 

 

白山通りに合流しますので、道路向こうの道へ渡り、京華中高校の前まで歩きます。

 

 

京華中高校の道路向こうの坂道を上る途中に、目指す「本念寺」がありました。

 

 

 

この寺には、御家人で、江戸を代表する狂歌師だった「大田南畝(蜀山人)」が

眠っています。

 

 

「松平定信」の「寛政の改革」によって、出版物への厳しい弾圧の嵐が吹き荒れた

時代に、江戸では、「世の中に 蚊ほどうるさき ものはなし 

ぶんぶぶんぶ(文武 々)と 夜も眠れず」という狂歌が大流行しました。

 

この狂歌の作者が南畝ではないかと疑われ、南畝は江戸払いとなり追放されます。

 

南畝は、これを機に、狂歌壇と関係を断ち、幕臣としての活動に専念します。

 

 

お参りは寺の人の許可が必要でしたが、ご不在だったので、お墓にお参りする事は

出来ませんでした。

 

気を取り直して、本念寺を後にし、白山通りに出ます。

 

 

白山通りの白山駅とは反対側に、後楽園のジェットコースター(赤丸印)が

見えたので、後楽園駅を目指して歩いて行きます。

 

 

東京ドームシティ・ラクーアの隣の「文京シビックセンター」に着きました。

 

シビックセンターの前の中華料理「味菜里」に入り、

ランチに好物の「酢豚」(1,100円)を注文します。

 

ところで、「寛政の改革」では、


版元の「蔦屋重三郎」と、

仲間の「山東京伝」が、厳しい処分を受けます

 

(山東京伝(北尾政演)役:古川雄大)

 

「寛政の改革」では、更に、「大田南畝」を経済的に支えてきた

「田沼意次」の腹心の「土山宗次郎」が横領の罪で斬首されました! 

 

 

「寛政の改革」では、「大田南畝」以外の「武家の戯作者」たちも圧力が加わります。

 

その戯作者たちとは、「秋田藩家老・平沢常富」と「小島藩士・恋川春町」です。

 

   

 

「平沢常富」は、「朋誠堂喜三二」などの号を名乗っていました。

「朋誠堂喜三二」は、「干せど 気散じ」が由来だそうです。

 

 

「江戸留守居役・平沢常富」の主な役割は、幕府や他藩との情報交換で、

そのための会合は吉原で行われました。

 

次回は、「平沢常富」が家老を務めた「秋田佐竹藩の屋敷跡」を訪ねてみます。

 

 

 

 

(上野公園に立つ「大田 南畝(蜀山人)の歌碑」)

 

今回は、お花見を兼ねて、上野公園の中に立つ「大田 南畝(なんぽ)の歌碑」を

見に行きました。

 

JR上野駅の不忍口から出て、京成上野駅方面へ歩いて行きます。 

 

 

京成上野駅の手前の石段を上がったところに、「大田 南畝の歌碑」があります。

 

    

   

    

 

歌碑の歌は、「一めんの 花は碁盤の 上野山 黒門前に かかるしら雲」です。

 

この歌の文字は南畝の自筆です。

 

江戸時代も、ここ寛永寺の境内は、桜の名所として知られていました。

 

歌は、桜の花を「碁盤」に見立て、「黒門」と「雲」を、黒と白の碁石に

例えたものです。

 

 

この句碑自体は、昭和13年に、日露戦争の忠魂碑として建立されました。

 

歌の左側には、上の写真の様に、細字で、蜀山人についての説明、碑建設の

いきさつを刻んでいます。

 

また、「浅草寺」にある「山東京伝の机塚」の碑文を書いたのも南畝でした。

 

 

私は暫く歌碑の前にいましたが、この歌碑が植え込みの中にあることもあり、

誰一人として気付くことなく通り過ぎて行きます・・・

 

この場所には、上野戦争で彰義隊と新政府軍が激突した激戦地となった「黒門」が

ありました。

 

現在は、黒門の跡地には、下の写真の「黒門」をイメージしたモニュメント

(黒門を模した壁泉)が設置されています。

 

 

 

この壁和泉のモニュメントは、かってこの地にあった「黒門」の姿を

イメージしています。

 

 

上の黒門の説明版には、以下の様に書かれています。

 

 「黒門」は「寛永寺の総門」です。

 

 幕末の上野戦争で、最も激しい戦闘が行われたのは、この黒門付近です。

    戦いは主として銃撃戦でした。

    そのため、黒門にも多くの銃弾が当たり、門にはその痕が無数に残りました。

 

 焼け残った黒門は明治40年、荒川区の円通寺に移築されました。

 

 円通寺には、幕府軍の彰義隊の墓所があります。

 

 

上野公園のメインストリートを、お花見をしながら歩いて行きます。 

 

 

今年の正月に、お節料理を食べに来た上の写真の「韻松亭」の前を通りますが、

相変わらずの長蛇の列です。

 


(写真は安藤広重「名所江戸百景上野 月の松」)

 

お花見のメインストリートの右手に、上の写真の「清水観音堂」があります。

「清水観音堂」は、「京都の清水寺」に見立てて造られました。

 

 

浮世絵に描かれた清水観音堂の「月の松」は、松の枝がくるりと円を描いており、

江戸の名所でした。

 

石段を上って、観音堂の「清水の舞台」に出てみます。

 


清水観音堂の「清水の舞台」から眺める桜並木は満開でした。

 

 

清水観音堂の前の通りは、ブルーシートを敷いてのお花見OKみたいで、

賑わっていました。  

 

上野公園のメインストリートの桜並木の端まで来ました。

 

 

上の写真の国立博物館の隣に、大田南畝の歌碑の「黒門」とは関係ありませんが、

下の写真の 「黒門」(重要文化財)がありました。

 

     

上の写真の説明版にとると、この「黒門」は、旧因州(鳥取県)の池田屋敷の

表門だそうです。

 

江戸末期の最も格式が高い大名屋敷の入母屋造りの門で、門の左右に向唐破風の

番所を備えています。

 

「上野 桜フェスタ祭り」(4月6日で終了)の出店を覗きながら、JR上野駅へ

戻り帰宅します。

 

 

仮設の舞台では、「上野 桜フェスタ」祭りの演奏などをやっていました。

 

   

    

 

能登地震の応援の意味を込めて、能登牛のジャンボロースステーキ串(1,700円)を

買います。

 

 

 

 

 

(上野公園の大田南畝の歌碑は、中央左端の青色四角) 

 

     

 

【「大田 南畝(なんぽ)」の生家跡に建つ「肉まん屋」】

 

 

 

尊敬する「磯田道史」が司会の「英雄たちの選択」で、「蔦屋重三郎」の

狂歌仲間のリーダーの「大田南畝」についてやっていました。

 

 

(「大田南畝」/四方赤良(よものあから))

 

 

私が「大田南畝」の名前を知ったのは、「中山道踏破」の途中の「本山宿」の

蕎麦屋でした。

 

 

そこにこの蕎麦屋の宣伝文句を書いた「大田南畝(蜀山人)」の掛け軸が

下げられていました。

 

何故こんな山奥に、江戸の狂歌師の歌があるの?、大田南畝って何者なの? 

 

という訳で、今日は、神楽坂の「大田南畝宅」を見に行きます。

 

 

地下鉄大江戸線の「牛込神楽坂駅」で下車します。

 

 

 

先ず、最高裁判所長官公邸を目指して急な坂道を上って行きます。 

 

 

急な坂道を上り切った牛込のこの辺りには、江戸時代には幕臣の家が

立ち並んでいました。

 

そして、「大田南畝」の属する「御徒方」が暮らすこの辺りは、下級武士の小さな家がぎっしりと並んでいました。

 

 

最高裁判所長官公邸に着きました。   

 

黄土色の長い塀の中央に入口があり、警察官が監視しています?

 

そう言えば、建物になんの表示も無く、初めての人は何の建物か分かりません。

 

念のため写真の監視の警察官に「ここは誰が住んでいるのですか?」と聞いて

みたら、「偉い方です。それ以上は答えられません」とのこと。

 

最高裁判所長官は、裁判で逆恨みをされて命を狙われますからね、なるほど!

 

 

この公邸は、江戸時代の旗本の「大久保甚四郎」の屋敷だった建物を

そのまま使用しています。

 

 

最高裁判所長官公邸から少し戻って、「大田南畝宅」へ向かいます。

 

大河ドラマ「べらぼう」では「大田南畝役」を「桐谷健太」が演じるらしいです。

 

 

「大田南畝宅」の跡に建つ「肉まん屋・目黒五十番」の前に「南畝の業績などを

説明したパネル」が下がっていました。

 

 

(中央の四角の青色が肉まん屋、ピンク色(当初)と茶色(後に引越)が太田南畝宅)

 

肉まん屋の女将さんの話では、このパネルは「南畝の大ファン」だというお客さんが勝手に作ったそうです。

 

なるほどね、さすが江戸に狂歌の大ブームを起こした南畝、今でも熱心な信奉者が

いるんですね!

 

 

肉まん屋から少し戻って、交差点を右折し、写真の「光照寺」に立ち寄ります。

 

 

この立派な構えの光照寺は、戦国時代の「牛込城跡」だそうです。

 

 

(大田南畝)

 

大田南畝は、1749年、ここ牛込中御徒町で、幕府の最下級の役人である

「御徒(おかち:いわゆる歩兵)」の家の長男として生まれました。

 

本名は大田直次郎と言い、勉強好きで、とびきり頭が良い少年でした。

 

15歳で、同じ牛込に住む「内山椿軒」に入門して、和歌、漢学、漢詩、狂詩を学び「南畝」と名乗ります。

 

南畝の名が広く世間に知られる様になったのは、19歳で刊行した処女作の

「寝惚(ねぼけ)先生文集」でした。

 

この本の序は、南畝の才能に感嘆した「平賀源内」が書きました。

 

また、大田南畝 は「四方赤良」と号して、「四方連(狂歌の会)」を主催しますが、

その会に「蔦屋重三郎」も顔を出します。

 

 

(大田南畝 が主催する「四方連(狂歌の会)」:正面の屏風の前が「大田南畝」で、

右が「蔦屋重三郎」)

 

 

(蔦唐丸(蔦屋重三郎))

 

 

(四方連の「朋誠堂喜三二」と「恋川春町(倉橋格)」)

 

    

 

(倉橋格(恋川春町)役:岡山天音、下記左はその作品)

 

 

(四方連の武士「平沢常富」と「倉橋格」)

 

    

 

「四方連」の「平沢常富(手柄岡持)」役の「尾美としのり」は、

インターネットの検索キーワード「#尾美としのりを探せ」で、

大ブレイクしています。

 

 

平沢が本名で、狂歌の名前を上記以外にも多く名乗っていました。

 

 

(大田南畝(四方赤良))

 

 

自身が主催する狂歌集団を「四方連」と称し活動、発刊した上の写真の

「万載狂歌集」が大ヒットしました。

 

狂歌とは、和歌と同じ、5.7.5.7.7ですが、洒落や皮肉を面白おかしく表現

したものです。

 

 

更に、蔦屋重三郎を版元として、上の写真の「黄表紙:虚言八百万八伝」を

出版しました。

 

この黄表紙は、万のうち8つしか本当の事を言わない「万八」という人物の

物語です。

 

また、「大田南畝」は、「山東京伝」の才能を見出して世に送り出しました。

 

 

上の写真は、「山東京伝」の黄表紙「箱入娘面屋人魚」 です。

 

竜宮城の「浦島太郎」が、妻である「乙姫様」の目を盗んで、美しい鯉

(下の写真の人魚が浮気相手の鯉)と浮気をするという話です。


毛虫 「毛をふいて きずやもとめん さしつけて きみがあたりにはひかかりなば」

 

(君にちょっかいを出そうと、僕が這って近寄れば、毛に隠れた傷を探す様に、

 僕のあら捜しをするのだろう。)

 

この毛虫の歌を詠ったのは「大田南畝(四方赤良)」です。(絵は喜多川歌麿)

 

狂歌で人気絶頂の「南畝」は、土山宗次郎の取り巻の一人になり「吉原通い」を

しました。

 

批評家、戯作者など多彩な一面も持ち合わせ、無類の酒好きでした。

 

吉原の松葉屋の三保崎という遊女を身請けし、自分の屋敷の中に離れ家を建てて

妾にしました。

 

ところが、「寛政の改革」で、版元の蔦屋重三郎と仲間の山東京伝が処分を受けます。

 

また、南畝を経済的に支えてきた田沼意次の腹心の土山宗次郎が横領の罪で

斬首されました!

 

 

この厳しい寛政の改革に対する批判として、江戸では、

「世の中に蚊ほどうるさき ものはなし ぶんぶぶんぶと夜も眠れず」

という狂歌が大流行しました、

 

この狂歌の作者が南畝ではないかと疑われ、南畝は江戸払いとなり追放されます。

 

 

これを機に、狂歌壇と関係を断ち、幕臣としての活動に専念します。

 

「昌平坂学問所」の試験を受けて、見事に首席で合格し、大坂銅座、長崎奉行所

などに赴任し、勘定奉行配下の支配勘定に出世しました。

 

長崎奉行所に赴任中は、当時来航したレザノフ率いるロシア艦隊に対応しました。

 

寛政の改革の嵐が過ぎたあとでは、幕臣として活躍する傍らで、「蜀山人」の号で

再び狂歌を詠み、「千紅万紫」などを出版し、江戸の代表的な知識人との評価を

得ました。

 

南畝は74歳でこの世を去ります。

 

南畝は、以下の有名な辞世の歌を残しています。

「今までは 人のことだと 思ふたに 俺が死ぬとは こいつはたまらん」

 

 

 

 

毘沙門天(護国寺)の隣の「玄品ふぐ」でランチを食べてから帰宅しました。  

 

 

うな重:5,500円

 

 

              

 

(葛飾北斎が描いた「耕書堂」:絵の上方に「堂書耕」の看板)

 

 


先週、いつもの様に上の写真の「NHK:歴史探偵」を見ていたら、「江戸時代の

日本橋の町並み」をCGで再現していました。

 

 

(日本橋は、江戸随一の繁華街)

 

 

写真は、「耕書堂」の店頭の様子ですが、蔦重は、吉原大門から、事業拡大に

合わせて「日本橋 通油町」(とおりあぶらちょう)に進出しました。

 

通油町の一帯には、有名版元が軒を連ねており、新興勢力の蔦重はライバルと

競いながら、江戸ナンバーワンの版元を目指します。

 

 

蔦重は、「東洲斎写楽の役者絵」を28枚同時に売り出しました。

 

   

 

(蔦重がプロデュースした東洲斎写楽の浮世絵)

 

 

(山東京伝の黄表紙)

 

 

(喜多川歌麿の美人画)

 

 

という訳で、今日は、「日本橋の耕書堂」へ行ってみます。

 

「日本橋の耕書堂」は、日光街道のメインストリート沿いにありました。

 

 

そこで、地下鉄日比谷線・小伝馬町駅で下車して、スタート地点の「旧日光街道 

本通り」(日光街道のメインストリート)の石碑へ向かいます。

 

「旧日光街道 本通り」の標柱には、以下の様に刻まれていました。

 

 

 

「江戸名所図絵や、広重の錦絵に画かれて著名なこの地は、 将軍御成道として

繁華な本街道であり 、木綿問屋が軒を連ねて殷賑(いんしん)を極めた」

 

 

この「旧日光街道」をそのまま直進すると、「大伝馬本通り」となり、

地下鉄・馬喰横山駅を右手に見ながら信号を渡ります。 

 

 

 

信号を渡れば、この通り沿いに「耕書堂」があるハズなのですが・・・

 

 

あった!やった!

 

 

「旧日光街道本通り」の標柱から暫く歩くと、アパホテル小伝馬町駅前の

道路向かいに「耕書堂」の説明板がありました!

 

   

 

最近は「べらぼう」が大変なブームになっているということで、「じゅん散歩」でも、

今週、この「耕書堂跡の説明版」を訪ねていました。

 

下の絵は「日本橋の耕書堂」の店頭の様子です。

 

 

店自体はそれほど広くはありません。

 

行灯の右上、店の壁面には、「東都名所一覧 狂歌入彩色摺」、「狂歌千歳集 

高点の歌を集」の書名を記した広告看板が架かっています。

 

右下には、店の前に置かれた行灯(あんどん)型の箱看板が描かれ、

版元・蔦重の家標(いえじるし)の「富士山型に蔦の葉」が描かれています。

 

家標の下、右の面には「通油町 紅絵(べにえ)問屋 蔦屋重三郎」、

左の面には「あぶら町 紅絵問屋 つたや重三郎」とあります。

 

 

絵の左端には熱心に浮世絵を物色する武士の客が描かれ、その武士を見ている

禿頭の人物が店の番頭でしょう。

 

店内の中央の棚には、浮世絵と書籍が平積みにされています。

 

棚の右側では、3人の男たちが、紙をページ順に揃え、その紙を断裁し、

そして綴る、という一連の流れ作業をしています。

 

蔦重は、ここで「洒落本」や「浮世絵」などを扱う”地本問屋”を開きました。

 

”地本”とは、京都などの他の土地でつくられたのではない、江戸の地元で

企画出版された本です。

 

江戸時代には、この辺りには木綿問屋が軒を連ねていました。 

 

 

今はこの付近はオフィス街で、説明板の建つこの辺りは、何となく裏通り感が

漂いますが、かっては、江戸で最も賑やかなメインストリートだったのです。

 

 

この説明版の通りの並びに写真の「通油町(とおりあぶらちょう)ギャラリー」

があり、蔦屋重三郎の関連グッズを売っていました。

 

 

 

私は写真の「蔦重 居酒屋」を買いました。

 

このギャラリーの親切なお姉さんが、近くに耕書堂を再現展示している店が

あるので、行ってみては如何ですか、とその店までの地図をくれました。

 

 

この地図を見ながら、耕書堂を再現展示している写真の「イチマス田源」へ

行ってみました。

 

 

 

「じゅん散歩」でも、この「イチマス田源」を訪ねている写真がありましたが、

その日付を見ると、何と24日です!

 

一昨日に来たの?、ほとんどニアミスです!

驚き!

 

記帳台を覗いてみたら、結構、各地からここに来ていて、「来店理由」の蘭には、

ほとんどの人が「じゅん散歩を見たから」と書いていました!

「じゅん散歩」の影響力、恐るべし!

 

    

 

 

 

「耕書堂」がある「通油町」の東の「横山町」から「馬喰町」にかけては、

現在も江戸時代から続く「都内有数の問屋街」です。

 

江戸の人々は、ここ耕書堂で「多川歌麿の美人画」を観て、耕書堂の並びの

上の写真の様な呉服屋で、美人画と同じ着物を買ったのでしょうね。

 

  

  

通りの入口には、「横山町問屋街」の大きな看板が立っています。

 

 

軒を並べる衣服の問屋は、どの店も豊富な品揃えで買い物には楽しそうです。

 

しかし、我々一般人は、この問屋街で買い物をすることは許されません?

 

買物はおろか、店の中に入ることすら許されないのです?

 

 

ほとんどの店には写真の様に、「一般消費者の方の入店はお断りします」の様な

張り紙がしてあります。

 

 

今、「じゅん散歩」の番組を横目で見ながら、”昨日”歩いたこの「日本橋耕書堂」や「横山問屋街」散策の原稿を書いています。

 

 

何と!、今書いているブログ原稿と同じ場所を、”今朝”の「じゅん散歩」が

歩いています!

 

 

今週は、完全に「じゅん散歩」と毎日ニアミスです!!

 

 

お昼過ぎになってお腹が空いたので、「備長炭焼鳥 鳥元」でランチします。  

 

    

 

(うなぎ焼き鳥重:1.800円)

 

やはり、鳥元の焼き鳥は美味い!  

 

 

(通油町ギャラリーの親切なお姉さんから貰った地図)